(5)賭け将棋

 さらっと、いつものゆかりちゃんの口調で。彼女は、とんでもないことを口走った。

 ──いや、前から突拍子も無いことを言う子ではあったけど。

 いくら何でも、今回のは度が過ぎている。


「何、言ってるの? 自分が何言ってるかわかってる? 人の命を賭けるなんて、そんなことできる訳ないでしょう?」

「もちろん、わかっていますよ。私はお友達の香織さんと全力で指したい。そのためには、貴女の本気を引き出す必要があると考えたんです。

 勝てば良いんですよ、勝てば」

「私が勝ったら、照民さんの命が無くなるんでしょ? そんなの嫌だよ」

「ふふ。お優しいんですね」


 そう答えながらも。彼女の目は、笑っていなかった。


 しばらく、私達は見つめ合う。

 ゆかりちゃんの顔から、表情が消えた。


 今度は『誰』が現れるのだろう。

 『結月ゆかり』の仮面の下には、得体の知れない素顔が潜んでいる。


「……冗談、ですよ」


 やがて彼女は、乾いた笑みをこぼした。


「命の代わりに、一勝を下さい。旦那さんの分の一勝を」


 ──え?

 それって、つまり。


 私が負ければ、しゅーくんも負けたことになるってこと?

 私達のチームの敗退が、決まってしまうってこと……?


「残念ながら、照民は補欠なので一勝は差し上げられませんが。

 その代わりに、一日ご奉仕券をプレゼント。身の回りのお世話を何でも照民がしてくれますよ! 洗濯も料理もばっちりですっ!」


 あ、それは助かる──じゃなくて!


「そんな条件、呑める訳ないでしょ! さっきから言ってることが滅茶苦茶だよ、ゆかりちゃん!」

「あら。命を賭けるより、だいぶマイルドになったでしょう? もしかして、勝つ自信が無いんですか?」


 私の言葉に、彼女は不敵に笑う。勝つ自信? 勿論、無い。ある訳無い。


「賭けならもっと平和的なのにしようよ。例えば缶コーヒーおごるとか、そんなレベルの」

「下らない」


 私の提案を一蹴し、彼女はしゅーくんの方へ目を遣る。


「旦那さんは、私と香織さん、どっちが勝つと思いますか?」

「無論、かおりんだ」

「では賭けますか? 貴方の一勝」

「ああ。構わんぞ」


 いやしゅーくん、そんなあっさり承諾しないでよ。

 私に期待してくれるのは嬉しいけど、プレッシャーが半端無いんですけど。

 うう、胃が痛くなって来た。


「俺が一勝を賭けた程度でかおりんが勝てるなら、安いものだ」

「香織さん。旦那さんはこう仰ってますが、いかがですか?」


 嫌です、やりたくない。


 そんな賭けはしたくないけど、しゅーくんにまっすぐな瞳を向けられると、断りづらい。

 助けを求めて、視線を巡らせる。


「そう言われても……ねえ、燐ちゃん! 困るよね?」

「え? うーん」


 たまたま目が合った燐ちゃんに声を掛けると。

 彼女は、困ったように首を傾げた。

 さては、話を聞いてなかったな。


「正直、香織さんには期待していませんがー」


 しばらく考えた後で、燐ちゃんは口を開いた。


「賭けるなら、何としてでも勝って下さい。負けたら恨みます」


 ……彼女に訊くんじゃなかった。

 余計にプレッシャーかけられた。


 こうなったら。彼女の隣に座っている大森さんに視線を移す。

 お願いします。


「大森さん! 賭け将棋なんてしちゃ駄目ですよね?」

「ううむ、そうですね。金銭を賭ける行為は確かにいかがなものかと思いますが。

 今回の場合は、主催者側が問題無ければ、別に宜しいのではないでしょうか」


 いつも通りの丁寧な口調で、大森さんは答えてくれた。

 なんという模範解答。


 うん、特に問題無い──って、そういうことじゃなくて!


「私が負けたら、即敗退ってことなんですよ!? この町の将棋に、新しい風を吹かせたいんじゃないんですか?」

「ああ、それは困りますねぇ」


 腕組みをして考える大森さん。

 何か、いまいち緊張感を感じないのは何故だろう。

 私だけ? こんなに焦ってるの。

 皆、意外と「負けてもいいや」って思ってたりする?


「困ります、が」


 長考の後に、大森さんは口を開く。


「対局者同士が盤上で決めたことなら、第三者が口を挟む権利はございません。それこそ『口無し』です。

 香織さん。貴女が嫌なら嫌だと、きっぱり断ってはいかがでしょうか?」


 う。何か、凄い正論言われた。

 確かに、そうかもしれない、けど。


 そりゃあ嫌だよ。今すぐ盤をひっくり返して、逃げ出したい気分。

 でも、しゅーくんが期待してくれている手前、断りづらいんだってば。


 あ、でも。反対しそうなの、もう一人居たか。

 本殿の方へと視線を向ける。

 雫さん。こういう時こそ、文句を言って来てよ。


 果たして、彼女は姿を現した。

 狐面を被った巫女は、やけにゆっくりとした歩調で、こちらへと近づいて来る。


「雫さん! 勝手に賭け将棋とかしちゃ駄目だよね、大会的に」

「ええ。私個人としては、大反対なんですけどね」


 私の横に立って、彼女はため息をつく。


「睡狐様が、面白いから、是非やれと仰っています」

「──は?」


 雫さんの一言に、私の目は点になった。


「運営側として、園瀬香織さんにお願いします。是非とも賭け将棋を受けて立って下さい」

「え、そんな」

「もし断れば。伏竜将棋道場チームは即敗退、です」

「……マジ?」


 そんな、いくら何でも無茶苦茶過ぎる。

 これじゃ、私に選択肢は無いじゃないか。


 断れば即敗退。

 負けても敗退決定というなら。

 残された道は、私が勝って、後の二人に繋げるしか無い。


 酷い。酷過ぎる。

 涙目で雫さんを睨み付けると、彼女は視線を逸らした。


「私だって、おかしいのはわかっています。だから、あえて言います。本当はこんなこと、貴女に頼みたくはないのですが」


 勝って下さい。


 雫さんは、その一言を残して歩き去った。

 勝て、か。

 選択肢は無い。言われなくても、勝つしかない。

 嫌だけど。


 私は、逆境を受け入れて来た女だ。

 夫を将棋に取られた時には、彼を取り戻すために将棋を始めた。

 今、夫の期待を一身に背負って、新たな逆境へ挑もうとしている。


 嫌だけど。

 そこから逃げ出すのは、もっと嫌だ。

 逃げ出したくなっても、最後には踏み留まる。

 絶対に、背を向けたりはしない。いや。できない。


 つくづく、損な性分だと思う。

 だけど、それが──この私、園瀬香織の生き方だった。


 しゅーくんの顔を見る。力強く頷いてくれた。

 うん、わかった。私、やるよ。


 ゆかりちゃんの方へと、向き直る。


「賭け将棋、乗った」

「ありがとうございます。香織さんが勝てば、ここに居る照民を自由に使っていただいて構いません。

 反対に私が勝てば、修司さんの一勝分もいただきます。宜しいですね?」

「うん。それでいいよ」


 賭けの重さを、胸中で噛み締める。……うん。


 ゆかりちゃんには一度勝ったことがあるけど、あくまでそれは『結月ゆかり』を演じている彼女に勝ったに過ぎない。もう一度やって、勝てる保証はどこにも無い。

 手の内を既に見せてしまっているのも痛い。対策される可能性が高い。


 それでも、やる。

 二回戦の疲れはまだ残っているけど。

 やれるだけ、やってやる。


「もう一つ。私が勝ったら、お願いを聞いて欲しいんだけど」

「いいですよ。何でしょう?」

「貴女の、本当の名前を教えて」


 私の言葉に、ゆかりちゃんは一瞬目を見開き。

 その後すぐに、微笑みを浮かべた。


「一勝に比べたら、安いものです。わかりました」

「ありがとう。それじゃ、始めようか」


 よろしくお願いします。


 いつもの挨拶、始まりを告げる定型句。

 その、たった一言の、何と深いことか。

 お願いし、お願いされる。対局者双方の同意の下に、対局は開始されるのだ。


 今、戦いの火蓋は切られた。ついに始まる。

 私にとっては特別な意味を持つであろう、その一局が。

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