(18)意外な来訪者
準決勝のアナウンスが流れる。
休憩を挟んだ後、引き続きここで指すことになるらしい。
色々あって地面はちょっと凸凹してるけど、この際しょうがないか。
……あ。
そう言えば、燐ちゃん結局戻って来なかったな。
しゅーくんの話だと、休憩所には居なかったらしい。
となると、神社を下りて、外に食べに行ったのかな?
ちょっと気になる。この辺のお店、あんまり知らないんだ。
私が声を掛けると、しゅーくんも付いて来た。
二人で並んで、来た道を歩く。
「ふふ。ゆかりちゃん可愛かったね。真っ赤になっちゃって」
キスくらいで、と私が笑うと。
「──そう言えば。キス大盛汁だくの約束、果たしてなかったな」
しゅーくんは真剣な表情で、そんなことを言って来た。
わ、覚えてたの? 私、すっかり忘れてたよ!
「するか?」
「え、今!?」
ここ、天下の往来なんだけど。
「木の陰に隠れれば、見られないだろう」
いや、隠れればって。
余計恥ずかしいんだけど……!
じりじりとにじり寄って来るしゅーくん。
彼の吐息が顔にかかるのを感じ、思わず後退する私。
「俺とキスするの、嫌か?」
「嫌な訳ない、けど」
せめて心の準備をする間が欲しい。
だってキスを大盛で、しかも汁だくだよ?
歯も磨いてないんだよ?
とんっ。
背中が木に当たった。
境内にたくさん植えられている、イチョウの木だ。この時期には黄色く紅葉していて、なかなか見応えがある─なんてことを悠長に言ってる場合じゃない!
「嫌じゃないなら。俺はしたい」
しゅーくんは左手を私の肩に置き、右手で顎をくいっと上げた。
まっすぐな視線を向けられる。
うう。そんな目で見られたら、「やっぱ無し!」とか言い出しにくい。
いやまあ、もちろん私だって、彼とキスするのは嬉しいんだけど。
できれば家のベッドが良かったかな、なんて。
少し上気した、彼の顔が近づいて来る。
ダメだ、もう見て居られない。私は目を閉じた。
彼の息遣いが、間近で聞こえる。
あ。唇が、触れ──。
「……こんな所で、何やってるんですか」
呆れたような声が聞こえて来たのは、その時だった。
この声、ものすごく聞き覚えがある。慌てて目を開くと。
私達が探していた少女、鬼籠野燐ちゃんが、鳥居の向こうから歩いて来るのが見えた。
う、そんなジト目で見ないでよ。恥ずかしいんだから。
彼女の後ろには、もう一人の姿が在った。
あの小柄なお爺さんは、もしかして。
「ああっ、大森さん……!」
何故だかひどく懐かしさを感じて、私はその人の名前を呼んだ。
相変わらずの柔和な笑顔で、お爺さんは返して来る。
「はい、大森でございますよ。いやあ、お二人共、仲の宜しいことで」
仲が良い? あ! 燐ちゃんだけでなく、大森さんにも見られちゃった!?
慌てて離れる私としゅーくん。大森さんには以前にもキスする所を見られているけど、だからって気恥ずかしさは変わらない。
「試合の様子は、燐ちゃんから伺っております。お二人共、強くなられましたな。お見事でございます」
私達の様子を気にする風も無く、ニコニコ笑顔で続ける大森さん。
「ありがとうございます。道場の方は良いんですか?」
「それがですね。大会のことを話したら、皆に応援に行けと説教されましてな。急遽道場を閉め、こうして馳せ参じた次第であります」
そうなんだ。
道場のおじさん達、ありがとう。
大森さんが居ると心強い。
私と燐ちゃんは大会初参加だし、しゅーくんだって団体戦は初めて。
経験の無い三人だけでは、この先を勝ち上がっていくには不安がある。
助言してくれる人の存在は大きかった。
「実を言うと、もう少し早く来るつもりだったのですが。
燐ちゃんが、どうしてもというので」
「わあっ! 大森さん、それは秘密にしてって言ったでしょ!」
「あ……すみません。今のは聞かなかったことにして下さい」
隣で声を上げる燐ちゃんに、大森さんは申し訳無さそうに応える。
どうしても、何? どうしたんだろう?
まあ、言いたくないなら別に良いけどさ。秘密にされると、ちょっと気になるなあ。
私達が観戦していた間、燐ちゃんは道場に行っていたのか。てっきり外に食べに行ったと思っていたのに。
何を考えているのか、今一つわからない。掴み所の無い子だなあ。
「そんなことより、何でこんな所でキスしようとしてたんですか? キスですよね、あれ?」
「あははは──その話はもうやめて頂戴」
四人で連れ立って境内を歩く。
大森さんは大体の事情を把握していたようだったけど、穴熊さんの名前を出した途端に顔を曇らせた。
「そうですか、彼が参加しているのですか。これは手強いですなあ」
「大森さんでもそう思います?」
「はい。簡単に勝たせてくれる相手ではありませんし、それに」
彼と対局した者は、愛を失うのです、と。
確かな口調で、大森さんは答えた。
「香織さんの将棋は、慈愛に満ちています。彼と指すことで、もし愛を奪われてしまったなら。我々は、竜ヶ崎への対抗手段を無くすことになります」
その言葉で思い出す。
大会が始まる直前、確かに穴熊さん自身が言った。
我と戦えば、愛を失う、と。
てっきり冗談とばかり思っていたけど、大森さんまでそう言うなら、本当なのかもしれない。愛を失う将棋ってどんなのだろう?
でも、先程のトンシさんとの対局では、特に異常は感じなかった。
口では本気と言っていたけど、真の能力はまだ隠している、ということなのだろうか?
「大丈夫だよ、大森さん」
しゅーくんが口を開く。
「穴熊さんとは俺が指す。だから、かおりんが影響を受けることは無い」
「なんと、左様でしたか。ふむ。であれば、問題ありませんかな」
大森さんは小首を傾げながらも、それ以上は何も言わなかった。
会場に戻ると、巫女さん達が重機で凸凹になった地面をならしていた。
わ、すごい。でも一体どこにあったんだろう、その重機。
呆気に取られて、その様子を見守っていると。
「あ、香織さん! こんな所に居た!」
と、ゆかりちゃんが声を掛けて来た。
彼女の背後には、穴熊さん、ショウさん、そして照民さんの姿が在った。
良かった、無事だったんだね。
「大会開始前、我は諸君らに棄権を推奨した」
覚えているかね、と穴熊さんは問い掛けて来る。
実はさっきまで忘れていたけど、大森さんの言葉で思い出しました。頷く私達。
「だが、それでも君達は戦い、そして勝利して来た。いずれも素晴らしい対局内容だった。尊敬に値する。
その上で、改めて問おう。棄権するつもりは、無いかね?」
その言葉に、息を呑むゆかりちゃん。
彼女は私との再戦を望んでいる。当然の反応だろう。
私だって、彼女とはもう一度戦いたい。
それに、あゆむ君とだって。
「無い。俺達は、あんたには屈しない」
しゅーくんが答える。
穴熊さんをじっと見つめ、一歩も退かずに。
「後悔することになるぞ?」
「あんたと指せば、愛が失われるんだろ? 心配ご無用、俺達の愛はあんたには負けない。後悔することになるのは、あんたの方だ」
きっぱりとしゅーくんは、そう言い切った。
おお、格好良い! ありがとうしゅーくん、私達の愛を信じてくれて。
「そうか。そこまで言うなら、我はもう何も言うまい」
対局席を指差し、穴熊さんは続ける。
「ならば往こうではないか。我らが戦場へ」
いつの間にか、地面はすっかり平らになっていた。
巫女さん達、グッジョブ。
「かおりん、先鋒戦行けるか?」
「うん。回復はしてる。けど、キスお預けになっちゃったね。ちょっと残念かも」
「なに。また勝てば、倍増しさ」
不意に、頬っぺたに口づけされる。
「精一杯楽しんで来い。結月ゆかりともう一度指したかったんだろ? 今度は見えるといいな、あの子の本当の心」
「うんっ」
「負けても大丈夫ですよー。私と修司さんとで完勝しますからっ」
「頑張る」
「ご武運を祈っております。善き対局を」
「ありがとうございます」
皆に、笑顔で送り出される。
本当にありがとう。
こうなりゃ、対局をとことん楽しもう。
余計なことは考えずに、ただ純粋に。
勝敗以外に得られるものが、きっとあると信じて。
踏み出した一歩は、ゆかりちゃんが待つ対局席へと向かっていた。
宜しくお願いします。
第六章・完
第七章に、続く
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