(17)目覚める眠り姫
「同金に79と金。同銀、同龍と進めば、金駒を張り付かせて勝てる」
そうだ、そうなれば確実に勝てると、穴熊さんは頷いてみせた。
「さあ、最善手を指してみるが良い」
「き、貴様はそれでも勝てると読んでいるのか?」
「指してみればわかる」
トンシさんは自陣と相手陣を見比べる。長考の海に、沈む。
指そうとしていた手を予告されてしまったのだ、これは悩む。
徐々に顔が青ざめていくのが、傍目からもわかった。
両目を大きく見開き、食い入るように盤を見つめて。唇を噛み、必死で思考を繰り返す。
あらゆる可能性を模索する。
──それでも、行き着く結果は同じだったのだろうか。
持ち時間を使いきった所で。
震える手で、トンシさんは67に銀を置いた。
これに同金とすれば、先程穴熊さんが示した変化で必勝形となる。
当然、それには応じず。
穴熊さんは、先程高美濃の下金狙いで打った歩を、成り込ませた。
トンシさんはこれを銀で取るも。
そこに、龍が突っ込んで来た。
当然の同金に。
龍・金両取りの角打ちが決まる。
ああ。これが、決め手か。
高美濃が崩壊した今、飛車を渡すのは危険だ。
かといって、金を取られて至近距離に馬を作られるのもまずい。
トンシさんは、果たしてどちらを選ぶのだろう。
龍と金の間を、力なく右手が往復する。
虚ろな表情を浮かべ、ぶつぶつと何かを呟いている。
聞き取れないくらいの小さな声に、穴熊さんは頷きを返した。
「貴殿の実力は、皆が認めている。我にここまで本気を出させたのだ、誇りに思うが良い」
「くっ……!」
駒から手を離すトンシさん。
唇を噛み締め、彼は穴熊さんを睨み付けた。
「これで勝ったと思うなよ!
吾輩はいつの日にか必ずや、貴様を倒しに再び参上する!」
「ああ。その時が来るのを、楽しみにしているよ」
「ふん! 負けました、である!」
ふんぞり返って、トンシさんは敗北を認めた。
な、何て偉そうな投了の仕方。
とはいえ、何とか無事に決着した。
結局対策できなかったな。わかったのは、穴熊さんが強過ぎるってことだけかあ。
「なあ、かおりん」
「ん?」
「準決勝、俺に大将をやらせてくれないか」
真剣な顔で、しゅーくんがそう言って来る。
え、いいけど。どうしたんだろう、急に?
「穴熊さんと指してみたい。何故かはわからないが、彼と俺は、似ている気がするんだ」
「そ、そうかな? しゅーくんの方が格好良いけど」
「駄目か?」
「いいよ。私だってゆかりちゃんと対局したいし」
正直。穴熊さんと指すの、怖いし。
穴熊さんの将棋には、得体の知れない何かがある。
伶架さんと指した時にも感じたけど、それ以上に深い闇が、指し手を見えなくする。
観戦しても、一向に全容を掴めない。
気を付けて、しゅーくん。その人、普通じゃないよ。
「おうおう。勝者の凱旋だぜ」
普通じゃない人が、こちらに向かって歩いて来る。
軽口を叩くショウさんに、穴熊さんは頭を下げた。
「結月のお守り、ご苦労であった」
「へへっ。合法的に女の子のお尻に触れたから良しとするぜ」
「礼は取り消す。結月の代わりに成敗してくれる」
などと言い合いを始める二人は、とても将棋の強い人達には見えないけど。
盤上では、まるで別人のようだった。
そんな時だった。
「ん……?」
可愛らしい声を上げて、ゆかりちゃんが目を覚ましたのは。
「おはようお姫様。王子様のキスが効いたかな?」
「えっ、ショウさん!? ええええっ、キスぅ!?」
「ぐえっ」
飛び起きた、頭がショウさんの顎を打つ。
あの巨人ムーの音速の連撃さえかわした彼が、まともに食らった。
まあ、全面的に彼が悪いので、同情の余地は無いけど。
慌ててショウさんから距離を取ったゆかりちゃんの顔が、耳まで真っ赤に染まる。
「きききき、キスしたってホントに!?」
「ま、待て、落ち着け! 冗談だ! キスなんてしてねーって!」
将棋盤くんを振り上げ、血走った目で睨み付ける彼女。
あー、これは止めた方が良いかもしれない。
顎を擦りながら、必死に弁解の言葉を述べるショウさん。
本気になれば彼女など容易く組み伏せられるだろうに、そうしないのは──彼の、女性への配慮だろうか?
「信用できない! ああ嫌だ、寝てる間に初めてを奪われるだなんて! しかも、好きでもない男に!」
おお? ゆかりちゃんの好きな男性って、もしかして照民さん?
などと乙女な妄想を膨らませている間にも、会場は殺人現場と化そうとしている。
そろそろ本気で止めなければ、ショウさんの頭がスイカみたいにパカンと割れてしまう。
「二人共、痴話喧嘩はそれくらいにしておけ。公衆の面前であるぞ」
呆れた様子の穴熊さんが、二人の間に割って入った。
「結月よ。ショウは何もしておらん。お前が寝ている間、抱き締めていただけだ」
「なっ……抱きっ……!?」
「おいミスター! それ以上余計なこと喋るんじゃねぇよ──!」
今度は三人で言い争いを始める、サロン棋縁チーム。
仲が良いのか、悪いのか。
寝て回復したのか、ゆかりちゃんは元気一杯みたいだ。
良かった、これで一緒に指せるね。
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