(8)踊らされる者

「あ、そうだ。弁当食べないか?」


 ゴキゲン中飛車と言って満足したのか、しゅーくんは提げていたビニール袋からお弁当を取り出した。

 大会では定番の、幕の内弁当だ。


「わーい、ありがとう。

 ……でも、手が震えて食べられないかも」

「そうか、まだ疲れが取れないか。どれ、あーんで食べさせてやろう」


 あーんはちょっと、人前では恥ずかしいかも。

 でもこの際仕方ないか。うん、手が震えてるから仕方が無い。


「ほら、あーん」

「あー──」


 言い掛けて。

 お弁当箱が3個あるのに気付いた。


「あれ? もしかして燐ちゃんの分?」

「ああ。そういえば燐の姿が見えないが、どこに行ったか知らないか?」


 私も知らない。

 てっきり休憩所でお弁当を食べているものと思って、気にしてなかったんだけど。


「もしかして、外で食べてるのかな?」

「なるほど。黙って居なくなるなんて非常識な奴だな」

「ねえ。このお弁当どうする?」


 言いながら。

 ちら、と穴熊さんの方を見る。


「良かったら、食べます?」

「む。我は施しは受けぬ」


 渋い顔をして応える穴熊さん。

 その時、彼のお腹がぐーっと大きな音を立てた。


「武士は食わねど高楊枝なり」

「我慢は良くないですよ。照民さんのためにもしっかり食べて、しっかり応援しなきゃ! ね?」

「ぬう。背に腹は代えられぬか」


 あ、でも両手塞がってるか。

 お姫様抱っこされてもスヤスヤと眠り続けるゆかりちゃんは、まるで眠り姫のようだ。王子様のキスならぬ、照民さんの愛で目覚めることを祈ろう。


「しゅーくん、ごめん。穴熊さんにもあーんてしてあげてくれないかな?」

「……はぁ? 何で俺が」

「お願い。愛してる」


 私の言葉に、渋々頷くしゅーくん。


 さて、これで観戦に集中できる。

 視線を対局席に戻すと。

 照民さんの一手に対し、爆炎のロウはゲラゲラと馬鹿笑いをしていた。


「アホやこいつ! 早石田相手に角道を閉じんとはなあ! 何がゴキゲン中飛車や! そんなもん、ワイが爆破したる!」

「──いいから、さっさと指せよ」

「あー!?」


 笑ったと思ったら次の瞬間には怒り心頭、感情の起伏が激しい奴だ。

 私も人のことは言えないけど。


 ロウは予告通り、飛車を三間に振って来た。

 これが早石田。通常の駒組をすっ飛ばし、速攻で攻め潰そうという戦法か。

 何か、成立するのか怪しい気もするんだけど。


 対する照民さんは、勿論。

 飛車を掴み、鮮やかな手つきで滑らせ、中央に召喚する。

 最強最大の攻め駒が、相手玉を直射した。


 早石田 対 ゴキゲン中飛車。


 この一局は、互いに囲うことを捨てた、最速の攻め合いだ。

 恐らくは、最短手数で決着がつく。


「ワイは早石田一本で初段にまで上り詰めた男や。覚悟しいや、兄ちゃん」


 速攻も速攻!

 いきなり飛車先の歩を突き越すロウ。

 流石にと金を作られてはまずいと、同歩とした所で。


「踊れ踊れ。ワイの掌の上で踊り狂え!」


 すかさず、角交換を仕掛けて来る。

 これには照民さんも少し考え、同銀ではなく同飛とした。

 中飛車にこだわる訳じゃないのか。どうやら柔軟な思考の持ち主のようだ。


 対するロウは、左金を上げる。


「一旦受けて来たか。意外と冷静だな」

「もぐもぐ……ふん。最善手は違うがな」


 しゅーくんと穴熊さんが口々に感想を漏らす。

 食べながらでも、何か言いたいことがあるらしい。


「互いに角を持っている以上、角打ちの筋に警戒するのは当然だ。ただ受けるだけでは三流だな」


 はあ。言いたいことは何となくわかるけど、しゅーくんに食べさせてもらいながら言われてもなあ。


 対する照民さんは、右銀を左斜めに上げる。

 怒りの感情を抑えて、冷静に指せている。凄い。

 そこで、ロウの飛車が走って来た。


「早くも出るぞ。勝負の一手」


 照民さんが息を吸い込み、角を手にする。

 飛車を狙いつつ、8筋と4筋の歩を同時に狙う。

 渾身の、65角打ちが炸裂する!


「くっ……味な真似を……!」


 ロウの顔が苦しみに歪む。

 確かにこれは、受けが難しい。

 流石に飛車を取られる訳にはいかないし、かといって歩を取られて角成りを許すのは癪だろう。


「いい気になるのも、今の内やでぇ……!」


 吐き捨てながら、ロウは飛車を一マス下げた。

 これで角成りは確定。どちらの歩を取るか?

 照民さんは迷わず4筋の歩を取った。だよね、その方が相手玉に近い。

 しかしすかさず、自陣に角を打ち込むロウ。上手い切り返しだ。

 馬が逃げれば、今度は自身の角成りが決まる。

 せっかく作った馬を、手放さざるをえないか。


「とはいえ。一歩得したのは、十分な戦果と言えよう。あーん」


 穴熊さんの言葉通り、同馬同銀と進んだ局面は照民さんがやや有利に思える。

 ここで手番を握れたのも大きい。

 照民さんは左銀を7筋に進出させる。飛車を抑え込む狙いか。

 対するロウは、その銀の頭に歩を打ち込むも。照民さんの銀は、更に6筋に進んだ。


 その手が、今度はロウの飛車に当たる。

 凄い。銀の特性を活かし、斜めにするすると進めている。


「くっ……これならどや!」


 縦に逃げても使いにくくなると判断し、ロウは横に飛車を逃がす。

 4筋からの成り込みを狙うも。同じく4筋に飛車を回され、手堅く受けられる。


 しかしその時、ロウの口元に笑みが浮かんだ。


「かかったなアホンダラ! 王手飛車や!」


 声高らかに、持ち駒の角を1筋に打ち込むロウ。

 確かに王手飛車。飛車が逃げれば玉が取られる。単純ながら強烈な一手だ。

 居玉はこういうのがあるから怖いんだよなあ。

 照民さんもこれには困ったんじゃないかな? 指し手を止めて考え込んでいる。


「王手飛車、我にはわざと仕向けたように見えたがな」


 穴熊さんが呟いた。

 え、そんなことってあるの?

 顔を見合わせるしゅーくんと私。


「互いの陣形をよく見ろ。低く、飛車を打ち込む隙など無い。このような陣形では、飛車よりも角の方が活用し易いものだ。

 恐らく照民は、わざと持ち駒の角を使わせたのであろう」


 つまり、照民さんは今、飛車を救う手を考えている訳ではない。

 飛車を渡して代わりに角を得た後、どのように行動するかを考えているのだと、穴熊さんは説明した。


 えーと、それって。もしかして、物凄いことなんじゃ?

 相手の思考さえ、コントロールしてるってことでしょう?


「見えて来たな。奴の実力が」


 果たして、長考の後。

 照民さんは飛車を見捨て、左の銀を上げた。

 ここに来て、陣形を更に引き締める一手──!?


 悲鳴を上げそうになる。

 一体どこまで読めているんだ、あの人。怒りの感情のせいで緊張が無くなった途端に、ここまで指せるようになるものなのか?

 照民さんの底が見えず、眩暈を覚えた。


 穴熊さんには見えているようだ。

 では、爆炎のロウはどうなのだろう?


「どうやら、観念したようやな」


 クククと笑いながら、彼は照民さんの飛車を取った。

 どうやら私と同様、見えてはいないらしい。

 これに同玉とし、角を手にする照民さん。

 穴熊さんの言う通り。すぐに飛車を打ち込める隙間は、照民さんの陣地には無い。


 互いに攻め入る隙を探す二人。


 6筋に飛車を転回するロウ。

 天王山、ど真ん中に角を打ち下ろす照民さん。

 飛車を引き、これを受けるロウ。

 すぐに同角とせず、ここで冷静に玉を左に移動させ、安全地帯に逃げ込む照民さん。


「くそがっ!」


 ロウの顔に、焦りの色が浮かぶ。

 ようやく気付いたようだ。目の前の対局相手との、格の違いに。


 玉形の差は歴然。

 片や居玉、片や左美濃である。焦るのも無理は無い。

 攻め潰さなければまずいと、更に攻めを急ぐ。

 恐らくは、それこそが照民さんの狙いなのだろう。

 精神的に優位に立ち、相手に判断ミスを生じさせる。


 7筋の歩の空成りに同桂とさせ、駒が無くなった所に飛車を打ち込むロウ。

 浮いた右金と右香を同時に狙う、勝負手である。

 照民さんは金の横に歩を打ち、受ける。

 ロウは香車を取りつつ、飛車成りを決める。

 一見、悪くない感じで攻めが続いているように見える。

 けれど、全ては照民さんの掌の上。踊らされているのは、ロウの方なのだ。


 ロウの右の陣地に角を打ち込んで来る照民さん。

 せっかく龍を作れても、これでは照民さんの攻めの方が遥かに速い。

 おまけに、ここに来て歩切れが痛い。


「くそっ……くそっ……!」


 筋が悪いとは自覚しているのだろう。

 龍を下げ、歩を補充するロウ。その間に照民さんは右の香車を回収し、馬を作っている。

 一方のロウは、龍で8筋の歩も回収する。それしかやることが無い。


 そのタイミングで、照民さんは左美濃の中に玉を納めた。

 これは酷い。他にいくらでも指す手があるだろうに、よりによって、囲いを強化する手を選ぶなんて。


「見よ。狼藉者の心は折れかけておるぞ」


 穴熊さんは目を細める。

 そりゃ、誰だってあそこまでされちゃ。

 気分的には、もう投了したくなるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る