(5)また逢う日まで
わっ!
突然、周囲が喧しくなった。
それまで黙って観ていた参加者達が、急にガヤガヤと騒ぎ始める。これは一体。
伶架さんの方を見ると、彼女は悪戯っぽく笑ってこう言って来た。
「魔法の時間はもうおしまい。シンデレラは大人しく家に帰ります」
拍手が起きる。
穴熊さんだけでなく、皆が歓声を上げている。
「やったな、かおりん!」
しゅーくんが駆け寄って来る。
その傍らには、燐ちゃんの姿も在った。
「おめでとうございます、香織さんっ」
やった? おめでとう?
ああ、そっか。私、勝ったのか。
まるで夢のような一局で、現実感が無いんだけど。
私──いや、私達は、二回戦を勝ち抜いたんだ。
「ありがとう」
それだけ返すのが精一杯だった。
全身から力が抜ける。
それでもふらふらと立ち上がろうとして、しゅーくんに支えられた。
「おいおい、大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫じゃ、ないかも」
本当なら、決勝戦まで温存しておくつもりだった。
伶架さんに勝つために、使ってしまった。
盤面の全てを見通す、とっておきの能力。
確か、何て言ったっけ……?
「明鏡止水。よもや貴女まで使えるとは。やあ、驚いたよ」
気さくに声を掛けて来たのは、香澄さんだった。
その隣には、伶架さんと彩ちゃん、そして狂気さんが並んでいる。
皆が、私達に笑顔を見せている。
彼らの敗退が、決定したというのに。
「とんだダークホースだったね。レイカさんの一勝は確実だと思っていたのになあ」
「ふっ、俺の妻を甘く見てもらっちゃ困る」
「そこ、君が胸を張る所じゃないんだよなあ。まあ良いさ。君達の勝利だ、おめでとう」
祝福の言葉を贈る、香澄さんの表情は煌めいていた。
やっぱりこの人には光属性が似合うなあ。
「でも、かなり体力を消耗しているようだね? 決勝戦までもつかな?」
「心配は無用だ。準決勝は俺と燐で勝つ──な、燐?」
「えっ?」
突然話を振られて、燐ちゃんは少し驚いたようだったが。
次の瞬間には、力強く頷いていた。満面の笑みを浮かべて。
「頑張ります! 任せて下さい!」
「燐ならやれるよ。真面目に定跡を勉強したら、もっと強くなれると思う」
今度は彩ちゃんが頷きを返す。
そんな彼女の頭を、狂気さんが優しく撫でた。
「偉いぞ、彩。よく言った。それでこそ、俺の妹だ」
「えへへ、ありがとうお兄ちゃん」
その様子を、少し羨ましそうに燐ちゃんは眺めている。
燐ちゃんのためにも、決勝まで勝ち上がらなければ。
決意を新たにするも、今は力が入らない。思っていた以上に、消耗が激しい。
しゅーくんと対局した時はここまでではなかった。普段から良く知っている人と、初対面の人との違いだろうか?
立っていられない。
しゅーくんにもたれかかる。
「辛いか? 向こうで休むか?」
「ううん。大丈夫だから、しばらくこうして居させて」
心配そうなしゅーくんに、精一杯の笑顔で応える。
本当は、すぐにでも横になりたかったけど。
曼六夜チームの人達と、ちゃんとお別れしたいと思った。
「明鏡止水の反動は、慣れていけば徐々に減ってくると思う」
最初の内は辛いだろうけど、使いこなせれば強力な武器になる。
香澄さんはそう言って、しゅーくんに紙袋を手渡した。
「これは?」
「薬だよ。苦いけど、飲めば楽になる。奥さんに飲ませてやってくれ」
「そうか……ありがとう」
苦いのは嫌だなあ。
でもせっかくのご厚意を無下にする訳にもいかないし。
「香織。私からも、これを」
今度は伶架さんが声を掛けてきた。
復讐から解放された彼女の顔は晴れやかで、明るかった。
差し出されたものは、今まで彼女が身に付けていた首飾りだった。
中央に装飾された紫色の宝石が、陽光に照らされてキラキラと輝いている。
「退魔の術式が施してあるわ」
え。何か高価そうなんだけど。
そんなものを戴く訳には。断ろうとするも、伶架さんは強引に私の首に掛ける。
「四十禍津日を相手にするなら、最低でもこの位の備えは必要よ。いいから受け取りなさい」
「でも」
「香織。貴女と対局して視えた未来がある。貴女には、その未来を変えて欲しい」
未来を、変える?
それってつまり、視えた未来が善くないモノだってこと──だよね?
不吉な予感が頭をよぎる。私にとって最悪の未来。それは。
「大丈夫、香織なら変えられる。私が保証する」
私が不安に駆られているのを察してか、伶架さんは付け足した。
「貴女は私に勝った。自信を持ちなさい」
「ガンバッテ」
人形の羚加さんにまで応援された。
苦笑する。頑張るしか、ないか。
未来がどうなるのか、私にはわからないけど。
最後まで足掻くことの大切さは、この一局で学んだから。
投了するには、まだ早すぎる。そうだよね、私?
「ありがとう。頑張ります」
私の返答に、伶架さんは頷く。
「渡す物も渡したし。それじゃあ、僕達はこれで失礼するよ。
伏竜将棋道場の諸君、アデュー」
香澄さんはそう言って、踵を返した。
ご家族を大切にね。
「じゃあね、燐。また今度遊びに行こ!」
「兄ちゃんも連れて行ってくれよ?」
手を繋いで歩き去る、彩ちゃんと狂気さん。
末永くお幸せに。
「貴女達の武運を祈っているわ。それじゃ」
「待って、伶架さん」
「……何か?」
「私と、友達になってくれないかな?」
私の言葉に、伶架さんは息を呑む。
まるで予想していなかったのだろう。困ったように言って来る。
「良いの、私で? 周りから変り者だって言われるよ?」
「貴女だから良いの!」
苦しかったけど、楽しい一局だった。
彼女は確かに変り者だ、一筋縄ではいかない。
だけど。その心の奥底は、純粋で、清らかだった。棋譜を見ればわかる。
対局が終わって、清々しい気持ちに包まれたのを思い出す。
貴女だからこそ、友達になりたいと思ったんだよ?
「嬉しい。ありがとう」
照れ臭そうな笑顔の伶架さんと、固い握手を交わす。
「ウツクシイ、ユウジョウデスネ」
「あら。羚加さんも友達だよ?」
「キャッ」
いつか、本物にも会ってみたいものだ。
「香織。負けないでね」
「ん。伶架さんもね」
「……うん!」
それじゃ、また。
そう言って、伶架さんは歩き去って行った。
『曼殊沙華と六畳一間の長い夜』チームの皆様。
対局、ありがとうございました。
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