第六章・秋祭りは波乱がいっぱい?Ⅱ──棋激乱舞──
(1)大将戦、開始
この地方に伝わる伏竜の物語には、続きがある。
何でも、元々竜は三つ首で、地に封じられた際に二つの首を本体から切り離し、逃がしたというのだ。
逃げた二つ首の行方は、誰も知らない。
睡狐の神通力をもってしても捉えられなかったと言うのだから、恐らく元の形を留めてはいないのだろう。
その話を大森さんから聞いた時、私は竜の首がそれぞれ人間に化けていたなら、面白いだろうなと思った。
物語に深みが出るし、後世に受け継がれる設定にもなる。
私がそう言うと、大森さんは笑ってこう応えた。
「なるほど、面白い発想ですね。それでは竜の子孫に、狐への復讐でもさせてみせましょうか」
復讐とは穏やかでないが、ドラマ性があって良いかもしれないと思った。
いや別に、そんな小説を書くつもりは無いんだけど。
そういったやり取りを、何故だかふと思い出した。
二回戦の大将戦。私と文月レイカさんの対局が、今始まろうとしている。
将棋盤を間に挟んで向かい合う。
静かだった。
長髪が秋風に揺れ、頬を撫でる。
それを気にする風も無く、彼女は黙々と駒を並べている。
絶世の──というと大袈裟かもしれないが、間違いなく美女に分類されるであろう彼女は、これまで一切の感情を表に出していない。
生気を感じない、まるで人形のような。
あるいは……死人、のような。
何を考えているんだ、私は。
首を振る。彼女は生きている。
それは、この一局で証明できるはずだ。
「ねえ。レイカさんはどうしてこの大会に出ようと思ったの? やっぱり竜ヶ崎と指してみたくて? それとも、スイコちゃん目当てかな?」
試しに尋ねてみるも、レイカさんは盤から顔を上げない。
「フクシュウ、デス」
彼女の代わりに応えたのは、チェスクロックの横に置かれた西洋人形だった。
ふくしゅうって──まさか、復讐?
咄嗟に脳裏をよぎったのは、伏竜の子孫が睡狐に復讐する脚本だけど。
あれは私と大森さんの間で勝手に作った話で、公式のものじゃない。
はず、だった。
静寂の中、駒音のみが響く。
いくら何でも、静か過ぎる。
どうして皆、黙っているんだ?
先程まではワイワイガヤガヤ喋っていたじゃないか。
対局に関係あること無いことを、対局者に配慮すること無く大声で。
……まあ、一番騒がしかったのは私なんだけど。
疑問を感じて、顔を上げる。
大会参加者達は、皆一様に無表情で、こちらを見つめていた。
皆が皆、まるで魂が抜けたようにぼんやりと、対局の様子を眺めている。
しゅーくんまでも。
唯一ゆかりちゃんだけが、うたた寝を続けていた。
それは、異様な光景だった。
観戦者は居るようで居ない。誰も対局に関心を示さず、かといって立ち去る訳でもない。
ただ、そこに居るだけ。
まるで、人形のように。
一体いつから、こうなってしまったのだろう。
駒を並べる手を休めずに、記憶を遡る。
中堅戦の終了後、しゅーくんに応援をお願いして、対局席に腰掛けた。
そこまでは普通だったのを覚えている。
向かい合って座った時に、初めてレイカさんと目が合って。その漆黒の瞳に、吸い込まれそうになったんだ。
目が合ったのは、ほんの一瞬だったけど。
もしかしたらその時に、何かされたのかもしれない。例えば、催眠術の類。
謎めいた彼女なら、使えてもおかしくないと思った。
でも、それを証明する手段は無い。
私には結局、彼女と対局するしか道が無いんだ。
駒を並べ終わる。
その途中で、金と銀の位置を間違えた。
それで、自分が焦りを感じていると自覚できた。
彼女の術中?に嵌(はま)った状態で、果たしていつも通りに対局できるのか。
私には、自信が無かった。
レイカさんよりも早く歩を五枚掴み、振り駒をする。
少しでも先に、主導権を握らなければ。
このままじゃ、きっと私は負けてしまう。
振り駒の結果は、先手番だった。
「宜しくお願いします」
「オネガイシマス」
よし、これなら何とかなるかも。
いつも通りに飛車を四間に振り、美濃囲いに組む。
少なくともそれで、中盤まではもたせることができる。
はず、だったが。
ふと、嫌な予感がした。
初手。角道を開けようとする手が止まる。
果たして、それで良いのかと自問する。
今まで当たり前のように指して来た手に、疑問を感じている私が居た。
こんなことは、初めてだった。
つい、彼女の顔を見た。
相変わらずの無表情で、その視線は私の右手に向けられている。
観られている。注視している。
つまり、彼女は対局者であると同時に、観戦者でもあるということか。
彼女と、他の大会参加者達との違いはそこにある。
少なくとも彼女だけは今、私を観てくれている。
ならば、無表情ではあっても、無感情ではないはずだ。
彼女の関心に、応えたいと思った。
何故私は今まで、初手で角道を開けて来たのか。
今更ながら、その理由を考える。
他の手では駄目だったのか。
駄目な訳じゃない。他にも有力な手は存在する。
例えば私が居飛車党だったなら、初手で飛車先の歩を突いても良い。
それでも私が角道を開く手を指して来たのは、その手に間違いが無いことを、経験的に知っているからだ。
嫌な予感はする。
けれど、それでもあえて指す。
迷いを振り切り、叩き付ける。
どうだ!
レイカさんを睨むも、彼女はやはり盤から視線を上げない。
しばし間を置いた後に、彼女も角道を開けて来る。
……何だ、普通の手じゃないか。
てっきり燐ちゃんみたいに、異次元の手を指して来ると思ったのに。
それなら、角交換されないように角道を一旦閉じて、飛車を4筋に振って──。
再び、違和感を感じた。
私の中の何かが、警告を発している。それで良いのか、他に無いのかと。
けど、私は、この指し方しか知らない。曲げる訳にはいかないんだ。
どぷっ……。
足が沼に嵌(は)まる。
真っ黒い泥々とした水が、私の体を引き摺り込もうとしている。
勿論それは錯覚だ。気の迷いに過ぎない。
頭の中で繰り返す。
相手がどんな戦法で来ようと、四間飛車にして、美濃囲いに組む。
それで間違いは無い。自分を信じるんだ。
……棋力は5級だけど。経験値少ないけど。
それでも、自力で何とかするしか無い。
レイカさんの思考が読めないからって臆するな。
自分の将棋を見失うな。思い出せ。
大森さんから太鼓判を押された。
しゅーくんに褒めて貰った。
何度も何度も、夢の中で繰り返し指して練習した。
そして、ゆかりちゃんに勝った。安藤さんにだって。
思い出せ。自信を取り戻せ。
私が信じないで、誰が信じるんだ。
そうだ、相手が振り飛車でも居飛車でも、急戦でも持久戦でも……!
なんだ、その程度か。
声が、聞こえた気がした。
その程度の気持ちで、勝てると思っているのか?
一手一手が、重い。
勝てると思っている訳じゃない。
精一杯、全力を尽くそうと思っているだけだ。
お前の全力は、その程度か?
何だ、この感じは?
何で、こんなに苦しいんだ。将棋が、楽しくないなんて。
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