(10)紅蓮の覚醒

「じゃあ私は彩ちゃん、しゅーくんは燐ちゃんでお願いできる?」

「良いぞ。鬼籠野燐との擬似対局という訳だな?」

「そういうこと。……あ、私途中抜けてたから、わからない部分があるの。しゅーくん、フォローお願いできる?」

「問題ない」


 さすがはしゅーくん。

 私が困った時、いつも助けてくれる。


「それじゃ、まず一手目。これはまあ、オーソドックスな角道を開ける手だね」

「定番中のド定番。これを指さずに何を指すよって手だな」

「しかも居飛車か振り飛車かまだわからないから、相手に対策されることも無いし。つくづくお得な一手だよね」


 うんうんと双方頷く。

 問題は、次の一手だ。


「二手目、32銀」

「これがねぇ、悪手な気がしてならない」

「てっきり新戦法かと思った」

「だって、角道開けた手に対してこれでしょ? 初手ならまだしも。いや、初手も無いか」

「自分の角が使えず、相手には言いように暴れ回られる。しかも角頭をカバーできる駒が銀しか無い。指してみたら酷いな」


 今度は双方、相悩む。

 メリットが何も思いつかない──のが、ひょっとしてメリット?


「相手は間違いなく油断する。あ、こいつミスったって」

「後、そうだな。相手を居飛車に限定できる効果はあるかもな」


 限定というか、振り飛車党に居飛車を指してみたくさせる効果か。

 でも、居飛車党には意味無いけどね。


「動揺してたと思うんだけどねぇ」

「まあ、動揺している演出としては、効果が高いよな」

「で、まあ。案の定居飛車で仕掛けて来る、と」


 飛車先の歩を進める。

 ここで私は受けきれないと判断し、あゆむ君を呼びに行ったんだよね。


「悩むな。角道を開けて角で受けるか、銀で受けたい所なんだが」

「どちらもダメ。角道を開けた瞬間、角をタダで取られるもんね」

「じゃあ端歩を突いて端角にするか? つくづく銀が邪魔だな。向かい飛車にもできない」

「罪深い一手だよねぇ」

「どうせなら、端角中飛車を目指す手はあったかもしれない」

「けどそうしなかった」

「何故だ」

「戦法を知らないから」


 燐ちゃんは、飛車先を突き合う手を選んだ。

 彩ちゃんは冷静に金を上げて受ける。

 焦ることは無い。どうせ相手は、角を使えないのだから。


「彼女の棋風は正統派居飛車党。好感が持てる」

「そうなの? 正統じゃないのって何?」

「所謂奇襲戦法の類だ。初見殺しで勝って何が嬉しいのか、俺には全く理解できん」


 ああ、きっと奇襲戦法にボコボコにされた経験があるんだな。

 しゅーくんの口調に苛立ちが混じる。


「恐らく師匠に恵まれたのだろうな。繊細ながらも、威風堂々とした指し手だ」


 ちら、と彩ちゃんの隣に座った青年を見る。

 白髪の青年は、狂気科学者などというHNとは裏腹に、彼女の対局を穏やかに見守っている。


 あの二人には、兄妹以上の絆を感じる。

 血の繋がりよりも強い、まるで恋人同士のような。

 あ、いけない、またイケない妄想をしそうになった。


 それにひきかえ。反対側の二人はどうだ。


 苛々を露わにするあゆむ君と、半ベソ状態の燐ちゃん。

 血は繋がっていても、心はバラバラじゃないか。


「つまりこの対局は、正統派居飛車VS我流戦法の対決な訳ね。しかも、我流戦法の方はパニクッてて、まともな状態じゃない」

「ああ、一見そう見えるが」

「しゅーくん、何か気づいた?」

「動揺しているようで、致命的な悪手は指していない。最初の32銀以外は全て、形勢を維持するための疑問手だ」


 おお、そうなんだ?

 私程度の棋力では、そこまで読み取ることはできなかった。

 流石はしゅーくん、初段に限りなく近い男!


「形勢を良くする手があっても、あえて指さずに別の手を選ぶ。ピンチの演出という奴か。それにしても、狙ってそんな手を指し続けるのは容易ではないぞ」

「何故そんな真似を?」

「うーん、相手の油断を誘うためか、それとも他に理由があるのか」

「例えば、弟の気を引くためとか?」

「もしそうなら、完全に将棋をナメてるな」


 しゅーくんは苦笑する。

 だよね。将棋と、対局相手を馬鹿にしてる。

 でも……弟に対してだけは、常に本気だったのかも。だから、あんな手を指したのかもしれない。あゆむ君に、自分を見て欲しかったから。


「やあ。楽しそうだね。僕らも混ぜてよ」


 光の粒子が、将棋盤くんに舞い落ちる。香澄さんと、もう一人。


 私と同じ位の年齢だろうか?

 白いワンピースを着た見知らぬ女性が、胸に西洋人形を抱いていた。

 その人形よりも整った、端正な顔立ち。艶やかな黒髪が綺麗。同性ながら、息を呑む美しさだ。

 これは注意しておかないと、しゅーくんが取り込まれる危険性があるな。


「香澄さん。そちらの女性は?」

「ああ。こちらは僕らのチームの大将、文月(ふみづき)レイカさんだよ。宜しくね」


 大将。なら、次に私はこの女性と対局することになる訳か。

 レイカさんは無表情で、こちらを見つめている。


「伏竜将棋道場チーム大将の園瀬香織です。お手柔らかに宜しくお願いします」


 私の言葉に、彼女は無言で頷いた。

 代わりに、抱いている人形が口を開く。


「コンニチハ。ヨロシクネ」


 に、人形が喋った?

 いや、そんなはずがない。腹話術か何かだ。


 それにしても、不思議な雰囲気の女性だ。感情が全く読めない。


「お手柔らかに、か。大将戦、実現すれば良いんだけどねぇ」


 そこへ割り込んで来る香澄さん。

 彼は、視線を燐ちゃんの方へと向ける。


「彼女、手を抜いてるでしょ? や、それは別に良いんだけど」


 流石、お見通しか。

 今度は彩ちゃんの方に目線を泳がす香澄さん。


「問題なのは、彼女がそれに気づいてないってことだ」


 そう告げて、彼はふう、と息を吐いた。


 確かに、彩ちゃんは自信満々な様子で早指しを続けている。

 深く読みを入れていない。そりゃ圧倒的に優勢なんだから、考える必要すら無いんだろうけど。


「終始疑問手を指して来る相手に勝ちきれないでいる。相当な棋力差を感じるのは、僕だけかい?」


 あれでも彼女、二段なんだけど。

 香澄さんはそう続けて、目の前の将棋盤くんに視線を落とした。


「ちなみに、狂気君は気付いているよ」

「教えてあげないんですか?」

「どうやら彩ちゃん自身に、気付いて欲しいらしい。複雑な親心、いや、兄心だね」


 なるほどー。

 強い人は見える世界が違うなあ。


 香澄さんの話が本当なら、この勝負は彩ちゃんが手抜かれていると気付くか、その前に燐ちゃんが本気を出すかに懸かっている。


 さて、私はどうするか。

 同じチームとしては、燐ちゃんの本気を引き出すべきなんだろうけど。

 ……さっき、爆笑されたしなあ。


「観戦者は大人しく見守っていよう。それがマナーだよ」


 すかさず香澄さんに釘を刺される。

 う。私、何かしそうでした?

 いやまあ、何かしたかったんだけど。


 四人で勝負の行方を見守る。


 局面は、いよいよ終盤に突入していた。

 彩ちゃんの絶え間無い攻めが、容赦無く突き刺さる。

 受けるだけで手一杯。とても反撃できる状況ではない。攻めが終わらない。


 えげつなー。

 あんなの食らったら瞬殺されるわ、私。


 なのに、燐ちゃんは。

 もはや涙すら出ない、憔悴しきった顔で、ぼんやりと盤を見つめていた。

 それでも投了はしない。指す。ひたすら受ける手を指し続ける。

 劣勢、大劣勢、そして敗勢。

 形勢は悪くなる一方だったが、それでも負けは認めない。


 無意識。

 心は折れても、将棋指しの本能が、燐ちゃんの代わりに指しているようだった。


 それは、悲惨な光景だった。

 敗北しか見えない状況で、それでも足掻く。

 足掻いても一向に好転せず、奈落へと転がり落ちる。

 自業自得の結末とはいえ、同情を禁じ得ない。


「……頑張れ」


 自然と、声が出ていた。


「頑張れ、燐ちゃん」


 このままじゃ私、笑われ損じゃない。

 何のために、危険を冒して本殿に突入したと思ってるの?

 貴女に、勝って欲しかったからよ。


 本気を出して。勝って。

 私の言葉に、燐ちゃんが振り向く。


「ごめん、なさい」


 か細い声で、彼女は謝罪した。

 いいって。謝らなくて良いよ。


 そこへ、別の声が被さった。

 女の子と見紛う程に美しい、狐面を着けた男の子。


「私の知っている姉さんは。尊大で、唯我独尊で、自己中心的で、非道で、どうしようもない人物だった」


 独り言のように、彼は呟く。


「けど。孤高で、強かった。弱者を一切顧みない、理不尽なまでの強さに、私は憧れていた。姉さんのようになりたいと、ずっと思っていた」


 鬼籠野燐。

 貴女はいつまで、そうやって燻っているの?

 貴女の弟は、貴女のことをちゃんと見ていたよ。


「ここで潰れるようなら、私は二度と鬼籠野の家に帰らない」


 頑張れなんて、口が裂けても言わないんだろうけど。

 これは、彼なりの精一杯の声援だ。


 常に、自分の前に居て欲しい。

 心からの願いだ。


「潰れる? 誰が?」


 冷えきっていた心に、種火が入った。

 色を失っていた双眼に、紅い光が宿る。


 ばちん!


 力強い一手が、彩ちゃんの快進撃を止めた。反撃の狼煙が上がる。


「──え?」


 驚きの声を上げる彩ちゃん。

 彼女を見つめ、燐ちゃんは不敵に笑った。


「お遊びはここまでだ。鬼籠野燐の本気、魅せてやるよ」

「は? 何言ってんの。あんたはもう敗勢! 逆転の芽は、もう万に一つも無い!」


 燐ちゃんの言葉にカチンと来たのか、彩ちゃんは吐き捨てるようにそう言って。

 再び、怒濤の攻めを繰り出して来た──が。


 更なる燐ちゃんの一手が、押し戻す。

 三手の攻めに、わずか一手で対応する。攻めの起点を、造作無く潰す。


「馬鹿な、あり得ない。あそこから、巻き返したってのか」


 冷や汗をかき、戦慄するしゅーくん。


「どうやら、恐れていた事態になったようだね。眠れる獅子を呼び覚ましてしまったようだ」


 香澄さんは右手で十字を切った。

 獅子じゃなくて、鬼だけどね。


「ステキデス」


 レイカさんの人形が称賛する。


 皆が盤上に注目していた。

 やはり対局はこうでなくっちゃ。

 最後までどちらが勝つかわからない、手に汗握るドラマ。極限状況下で初めて、対局者同士の人間性が浮き彫りになる。


 燐ちゃんは既に『鬼』を発動させたようだ。

 対する彩ちゃんは、先程までとは打って変わった燐ちゃんの指し手に動揺している。


「おかしいな。何で、寄せられないの?」

「水無月彩椰。あんたの攻めは、もう見切っている」

「は? 何言ってんの? さっきまで、半泣きで指してたくせに」


 変化に気付いていない。

 いや、気づこうとしていない。認めたくないから。

 ──相手の方が自分よりも格上だなんて、簡単に認められるものじゃない。


 だけど、盤面は無情にも真実を映し出す。

 徐々に形勢が傾いていく。

 彩ちゃんは攻め続けるけど、無理が生じ始める。

 気持ちよく攻めていたはずなのに、息切れをし始める。

 それが、緩手へと繋がる。


 一瞬の隙を、燐ちゃんは見逃さなかった。

 玉将が飛び込んで来る。


「……入玉?」


 違う。王の進撃だ。

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