(6)兄と妹

「素晴らしい相矢倉の一局であった。感動したぞ」


 拍手が起こる。


 額に絆創膏を貼った穴熊さんが、ボロボロと大粒の涙を流しながら、こちらに向かって親指を立てている。


 悪い人じゃないんだよなあ。変わり者だけど。


「先鋒戦勝者、園瀬修司。続いて、中堅戦を開始します」


 まずは一勝。

 次に燐ちゃんが勝てば、準決勝進出が決まる。


 頑張って。


 ゆかりちゃんの所に戻る。今度はしゅーくんも一緒だ。


「終盤までハラハラドキドキ、手に汗握る将棋でしたね! お疲れ様でした!」

「お、おう」


 目を輝かせて言ってくるゆかりちゃんに、しゅーくんはぎこちない返事を返す。

 もう、折角褒めてくれてるのに。

 人見知りなんだから。でも、そんな所も可愛い。


「あ、そうだしゅーくん。対局前の約束なんだけど」

「ん?」

「……キス大盛、汁だくでって」


 恥ずかしいから、耳元で囁くと。

 しゅーくんは「ああ!」と手を打った。


「忘れてた。今からするか?」

「え!? いや、結構ですっ」


 慌てて断る。

 これじゃ、私の方から誘ってるみたいじゃない!


 そこに突き刺さる冷たい視線。


「お二人さん。私の対局よりイチャイチャの方が大事ですか?」


 私達と入れ替わりに席に着いた燐ちゃんが、頬っぺたを膨らませて文句を言ってくる。

 いや、心の中では声援を送っていたんだよ?


「ご、ごめん。頑張って燐ちゃん。二勝を決めて、準決勝に行きましょう」

「ふん、言われなくても勝ちますよーだ」


 燐ちゃんは盤に向き直る。

 対局相手が、円陣から立ち上がる。


 ──え、二人?


 一人は高校生くらいの女の子。ニット帽を被っている。

 そしてもう一人は、背の高い白髪の男性だった。大学生かな?


 女の子が燐ちゃんの向かいの席に座る。

 男性は、その隣に腰を下ろした。


「ちょっと、どういうつもり?」


 文句を言う燐ちゃんに、女の子はにやりと笑って応える。


「あら。夫婦が良いなら、兄妹だって良いでしょ?」


 う。それを言われると辛い。


「大丈夫、貴女と指すのは私だから。お兄ちゃんは応援担当だよ。ね? お兄ちゃん」

「ああ。俺は、ただ彩を愛するのみ」


 白髪の男性は、優しく彩ちゃん?の柔らかな黒髪を撫でた。

 美男と美少女、お似合いの二人だ。

 兄妹ということらしいが、恋人でも十分通用する。


「本当はお兄ちゃんの方が強いんだけど、今日は彩に頑張って欲しいって、譲ってくれたんだー」

「へー。そうですか」


 駒を並べ始める、二人の美少女。


「つれないんだ? あ、羨ましい?」

「何が?」

「兄妹仲が良いのが」


 彩ちゃんがそこまで言った時、燐ちゃんは手を止めた。


「はっきり言う。目障りよ。兄妹でベタベタしちゃって、気持ち悪い」

「ひどっ!?」


 はっきり言い過ぎだ。

 燐ちゃんのストレートな言葉に、彩ちゃんは傷付いた様子を見せる。


「えーん。お兄ちゃん、あの子が苛めるよぅ」

「きっと俺達の絆の強さに嫉妬しているんだよ。可哀想に、彼女には愛してくれる家族が居ないらしい」


 見せ付けるかのように、青年は彩ちゃんと手を繋ぐ。

 ──あ。それ、禁句かもしれない。


「家族なら、私にだって居るわ」

「どこー? どこに居るの?」


 煽るような彩ちゃんの口調に、苛々が頂点を迎えたのか。

 燐ちゃんはビシッと、本殿を指さした。

 ずらりと並ぶ巫女さん達の中に、あゆむ君の姿は見えないが。


「あそこに、弟が居る! 特等席から私の試合を観ているの!」

「……あー。そうなの」


 何かを察したのか、哀れみの視線を向ける彩ちゃん。


「何その目! 信じてないでしょ!?」

「いやいや。信じてる、信じてるよぉ」

「くっ……見てなさい!」


 何を思ったのか、燐ちゃんは立ち上がる。

 そして、本殿に向かって力一杯叫んだ。


「あゆむ! 命令よ! 今すぐ出て来なさい!」


 よく通る声だった。

 本殿の中まで、響き渡ったに違いない。


 でも、誰も姿を見せない。

 燐ちゃんの叫びは、空しく風に流される。


「こら! お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」


 うーん。

 あゆむ君の耳に届いていたとしても、こんな命令口調じゃ、出て来てくれないと思うんだけど。


 燐ちゃんはなおも叫び続けたが、あゆむ君が姿を見せることは無かった。


「もういいよ。弟なんて居ないんでしょ?」


 彩ちゃんが笑って声を掛けるも。

 そんな彼女を、燐ちゃんはキッと睨み付けた。涙目だった。


「あゆむは居る! 私にはわかる! 多分具合が悪くて休んでいるのよ。そうでなきゃ、私のことを大好きなあの子が現れないはずが無い」

「うんうん、わかったよ」


 燐ちゃんは着席する。

 何やらブツブツと呟いているが、大丈夫だろうか?

 将棋は、平常心が大切なのに。


「さて。対局前に自己紹介をしよっか。私は水無月彩椰(みなづき あや)。そしてこちらはお兄ちゃんの」

「HNは狂気科学者。どうぞ宜しく」


 何でハンドルネームを名乗ったんだろう?

 別にいいけどさ。


 二人は仲良く手を繋いだままだ。

 その様子をじっと見つめ、燐ちゃんは「私だって」と呟きを漏らした。

 もしかして燐ちゃん。本当に、嫉妬してる?


「貴女の名前は何? 良かったら教えてよ」

「……鬼籠野燐」

「おお、強そうな名前だね! お兄ちゃん、彩勝てるかなー?」

「勝てるさ。彩は十分強い」


 心からの信頼の言葉だった。

 確かに、この二人は強い絆で結ばれているように見える。

 ちょっと妹バカ入ってるけど。


 彼らの様子が気に入らないのか、燐ちゃんは鼻を鳴らす。

 駒を並べ終わる。


「ありがとうお兄ちゃん! 彩、頑張るね!

 それじゃ、振り駒いくよー」


 五枚の歩が、勢い良く振られる。

 振り駒の結果、燐ちゃんは後手番になった。


 一般的には、戦型にもよるけど、先手番が若干有利とされている。

 でも、冷静さを欠いている今の彼女では、対局の牽引役となる先手番は荷が重いかもしれない。

 傍目から見て私はそう思ったけど、燐ちゃんは舌打ちした。


「宜しくお願いします」


 対局、開始。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る