(4)過去との再会

 黒く塗り潰されていく盤面。

 指せるマスが、瞬く間に無くなっていく。

 どこを指しても悪手にしかならない。指すことで敗北が決定する。

 できればパスしたいけど、将棋にそんなルールは無く。嫌でも、何かを指さなければならない。


 そんな、絶望的な局面が形成される。

 たった一手が、破滅をもたらした。


 しゅーくんは盤面を凝視する。

 必死に頭を働かせているのだろう、表情は真剣そのもの。

 その瞳は、未だに輝きを失ってはいない。希望を捨ててはいない。

 まだ戦うつもりなんだ。


 だけど、私には何も見えない。

 真っ暗になってしまった盤を見つめ、胸中にて嘆息する。

 信じたいのに、未来が見えない。



 そんな時にふと、声が聞こえた。


『ぼくはここに居るよ』


 誰かが、どこかから呼び掛けて来る。

 小さな声、だけど、はっきりとした少年の声。

 声の方向を探す。


『ここだよ。こっちこっち』


 どこ? 私は周囲を見回す。

 いつの間に夜になっていたのだろう。辺りは真っ暗で、誰も居ない。闇の中。


 握っていたはずの手の感触が、無くなっている。

 しゅーくんまで居ない。たった独り、取り残される。

 そんな、どうして? 怖いよ。


『大丈夫。ぼくを見て』


 怯える私に、優しく語り掛けて来る、その声は。

 盤外ではなく、盤上から聞こえて来た。


 黒く塗り潰された中で、唯一つのマスが光っている。


 あ……!


 思わず声を上げそうになった。

 希望は零では無かったと気づく。

 私は早々に諦めていたけど、しゅーくんはずっと探し続けていたのだろう。


 たった一つの最善手。逆転の一手。

 人はそれを『将棋の神様からの贈り物』だと言う。


 光るマスに、駒を置く。


 次の瞬間。

 眩い閃光が、辺り一面の闇を吹き飛ばした。



 白い世界で、私は声の主と対面する。


 十歳位だろうか。

 はにかんだ笑顔の男の子。

 どこかで見たことがある気がするけど、誰なのか思い出せない。


「やっと逢えたね」

「君は誰? ここは、どこなの?」

「わからない? ぼくは」


 言い掛けた、彼の言葉を遮るように。

 誰かが「おーい」と呼んで来た。


「あ、お父さんだ」


 男の子はそう言って、私の手を引いた。


「行こう」


 不思議と、逆らう気にはならなかった。

 歩いている内に、何も無かった世界に白以外の色が生まれる。

 足裏には土の感触。懐かしい草の匂い。

 気が付けば、田んぼ道を並んで歩いていた。


 遠くで誰かが手を振っている。

 この子のお父さんかな?


 近づいていくにつれ、だんだんとその人の顔が見えて来た。中年の男性。見覚えはあるけど、やっぱり誰なのか思い出せない。

 穏やかな瞳で、彼は私達を眺めている。


「お父さん! 連れて来たよ」


 男の子は弾んだ声でそう言って、男性に抱き着いた。

 やっぱりこの人がお父さんなんだ。

 仲が良い親子だなあ。


「よくやった。えらいぞ」


 よしよしと、男の子の頭を撫でる男性。

 それから彼は、私の方へと視線を向けた。


「逢えて嬉しいよ。さあ、行こうか」

「行くって、どこへ?」

「この世界の、最果てさ」


 よくわからないまま、彼らについて行く。

 田んぼ道を抜けると、そこには一軒の古民家が、ぽつんと建っていた。

 中に入る。


「悪いね、ボロ小屋で。もうすぐ引っ越すつもりなんだが。少しの間、我慢して欲しい」

「いえ、そんな。風情のあるお宅だと思います」

「はは。お世辞の上手なお嬢さんだな。

 あの時と、変わらない」


 奥へと案内される。

 部屋を抜け、縁側まで。

 そこには。立派な将棋盤が一つ、置かれていた。


「わあ、素敵な脚付盤ですね。これを私に?」

「うん。君と一局、指してみたくてね」

「……私、弱いですよ?」


 そう言いながらも、心がウキウキして来る。

 誰かと将棋を指すのは、いつだって楽しいものだ。


 縁側に、盤を挟んで腰を下ろす私と男性。

 男の子も男性の隣に座った。


「宜しくお願いします」

「頑張って! かおりん」


 可愛い、かおりんだって。声援があると嬉しいな。

 ──って、あれ。私、いつ名乗ったっけ? まあいいや。

 男の子に向かって、親指を立ててみせる。


 男性はまっすぐ矢倉に組んでいく。

 私は飛車を振り、美濃囲いにする。矢倉には有利なんでしょ? だったら勝てるかも。


 どうせ指すなら、勝ちたいし!


「知ってるかい? 人は深層心理で願望を描く。この世界は、ある男の夢で成り立っているんだ」


 えーと、矢倉を破るには……あれ、どうするんだっけ?

 四間飛車やってるとあまり遭遇したことが無いから、わかんないかも。


「彼はどうやら、私と君を対局させたかったらしい。その願い、叶えてやろう」


 そうだ、まずは飛車角を捌くことだ。

 そしたら玉の横っ面に飛車を打ち込んでやるんだ。

 矢倉は横の攻めに弱いって、誰かが言ってた!

 ──あれ、誰だったっけ?


「実を言うと、私も君と指してみたかったしね」


 65歩の仕掛け、試してみるか。

 矢倉相手にどれ程の効果があるかはわからないけど。

 それとも、先に高美濃に組む?


 美濃の進化形、それが高美濃だ。

 上部からの攻めに強くなる反面、横からの攻めには少し弱くなる。

 しかしそれを補って余りあるメリットが、高美濃囲いにはあるのだ。

 まず、美濃崩しの手筋を事前に防ぐことができる点。

 次に、玉の逃げ場が広い点。

 そして、右の桂馬を跳ねて攻撃に使える点だ。


 うん、高美濃採用。

 矢倉も上部からの攻めには強いけど、桂跳ねで銀に当てる手が有効になるはずだ。

 組んでから捌く、これでいこう。


 対する男性は、攻撃態勢を整えているようだ。

 油断すると銀が左辺に進出して来る。

 よーし、こちらも左の銀で対抗だ!


「ふふ、負けませんよ」

「おお。やるねぇ」


 試合とか関係無しに指す将棋は気軽で良いなあ。

 最近、神経を磨り減らすような対局ばかりしてきた気がする。

 負けてもいいじゃない、勝てばラッキー。純粋に、この一局を楽しみたい。


 まあ、負けるつもりは無いけど!

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