(3)二つの園瀬流
──え?
「そこの巫女さん、頼みがある」
「はい?」
駒を交換して引き返そうとした巫女さんを呼び止めるしゅーくん。
「妻の具合が悪いようだ。済まないが、椅子を持って来てくれないかな?」
「え、ここにですか? でも」
ちらっと、巫女さんは本殿の方を見た。
雫さんは肩を竦めて、頷きを返した。
え、いいの?
てっきり怒られるとばかり思っていたから、意外だった。
しゅーくんのすぐ隣に、背もたれ付きの椅子が用意される。
ありがたい、けど。ちょっと、恥ずかしい。
「何あれー? あの人、対局者じゃないじゃん。反則じゃないのー?」
当然、ブーイングが起こった。
ごめん、その通りだよね。
これじゃ、二対一の将棋になってしまう。問答無用で反則だ。
「黙れ」
──と。
その声を制したのは、意外な人物だった。
「この二人は夫婦だ。夫婦が一緒で、何が悪い?」
香澄翔さん。
盤を挟んだ向かいに座る彼は、何故か涙を流していた。
キラキラが、零れ落ちる。
「修司君。僕は君を潰す。僕自身の安寧のために、君の将棋を根本から否定する。
だが。愛は別だ」
愛は素晴らしい。
香澄さんは続ける。
「僕にも家族が居る。愛する妻と子供達が居る。本当なら、片時も離れたくないんだ。
だけど今日は将棋大会。断腸の想いで、家族を置いて出て来てしまった。今、君達の仲睦まじい姿を見て、少し後悔し始めている」
だったら。今すぐ家に、帰りなさい。
奥さん、可哀想でしょ。
「そうか。あんたも苦労してるんだな」
「ああ。まだ子供が小さいから、目を離す訳にもいかなくてね。ほら、子供って危ない物でも平気で触るだろ? できるだけ片付けるようにはしてるんだけどね。
昔はとーとー、とーとーと後を追っかけて来たものさ。今は妻の方にべったりで、少し寂しいんだ」
対局中に育児の苦労話を始める香澄さん。男親ってこんな感じなのかあ。
しゅーくんも子供が産まれたら、こうなるのかな?
──って、それって私が産むんだよね……?
想像もつかない。
先程のしゅーくんの言葉を思い出しただけで、心臓発作を起こしそうになるというのに。
『今夜、君を抱きたい』
うひゃー!
「だから、手早く終わらせるよ。家族の笑顔が、僕を待ってる」
そう言った、香澄さんの全身を再び闇が包み込む。
あれ? 光のオーラ、戻ったんじゃないの……?
「かおりん。手を握っててくれ」
震える手を伸ばして来るしゅーくん。私は黙ってその手を取った。
対局者じゃないから、声は出せないけど。
対局再開。
盤上を、黒い稲妻が走る。
幾筋もの雷撃が、こっちに向かって一直線に、物凄いスピードで伸びて来る。
怖い。
こんなのをしゅーくんは味わっていたのか。
黙って、耐え続けて来たのか。
落雷。火花が散った。
握った手に、汗が滲む。苦悶の表情を浮かべるしゅーくん。
負けないで。
「大丈夫だ。直撃じゃ、ない」
しゅーくんは、力強く握り返して来た。
「かおりん。俺の避雷針になってくれ」
襲い来る漆黒の稲妻を、紙一重でかわしていく。
受けきるのでなく、受け流すのでもなく。
守備駒を一枚一枚、徐々に剥がされながらも。
「くっ……どういうことだ? 何故、潰れない?」
「簡単な話さ。あんたの矢倉には、見覚えがあるんだ。
園瀬流。本当に憧れていたんだな。
ありがとうな、親父を追いかけてくれて」
親父に代わって礼を言うよ。
しゅーくんの気持ちが、握った手を通して伝わって来る。
そうか。だからこそ、この一局だけは負けられないんだ。
見てますか、お義父さん。
修司さん、頑張ってますよ。
盤の向こうで、お義父さんが微笑んでいる気がした。
目頭が熱くなる。
「僕が、園瀬流を?」
信じられない様子で、香澄さんは盤を見つめる。
「違う、こんなもんじゃない。竜司さんの矢倉はもっと」
「たった一局指しただけで、よもやこれ程までとは。凄いよ、香澄さん」
称賛の言葉を送るしゅーくんを、香澄さんは呆然と見る。
確かに、凄まじい研究量だ。
一局を極限まで掘り下げ、自分のものにしてしまうだなんて。
並大抵の努力で成せるものではない。
それを成し得たのは、将棋への、そして園瀬竜司という棋士への、畏敬の念に依る所が大きい。
「おかげで思い出せた。そして見つけた。俺の園瀬流を」
「君の、園瀬流……か」
呟いた香澄さんの顔に、僅かに笑みが浮かぶ。
「だったら。起源を同じくする者同士、どちらが優れているか、どちらが後継者として相応しいか。勝負しようじゃないか」
「望むところだ」
頷くしゅーくん。
雷鳴が聞こえて来た。
二枚の銀が千鳥に駆け、雷の形を作る。
そうか、そうなんだ。
その頃には、私も理解し始めていた。
園瀬流の要は、銀将だ。
前線へと送り出した二枚の銀は、攻めに守りに活躍する。千鳥に、ジグザグに。
ある時は前進し、ある時は後退する。
斜めに移動できる特性を最大限に活かし、捕獲しようとする敵駒の脇をすり抜け、雷の如く敵陣へと飛び込む。
しゅーくんの反撃が始まる。
繰り出す銀は白い軌跡を描き、漆黒の稲妻とぶつかる。
互いに牽制し、弾き合いながら前進する。
盤の中央で白と黒が交じり、スパークを起こした。
陰と陽。
まるで太極図のように渦を巻く。
凄い。しゅーくん、拮抗してる。
あの香澄さんが、防ぎきれていない。
「くっ……これならどうだ!」
黒の稲妻が途中で三方向に分離し、それぞれが別の地点を撃ち抜く。
しかし、浅い。
戦力を分けたために、個々の威力は落ちてしまっている。
しゅーくんは構わず、中央突破を試みる。
白刃が、太極図を両断する。
「そんな馬鹿な……! 君の棋力が、僕を上回るはずが無い」
「ああ。棋力はあんたの方が遥かに上だ。序盤力、中盤力、終盤力。全ての面で俺は劣っている。本来なら、勝負にもならない手合差だ」
あっさりと認めて、しゅーくんは私に向かって微笑んだ。
「けど、あんたは独りだ。俺には香織が居て、盤上には親父が居る。手合差をひっくり返すには、十分過ぎる応援だろう?」
握り合った手に、熱が篭る。
ありがと、しゅーくん。
私を頼りにしてくれて。
嬉しい。
「──僕だって、家に帰れば」
「家族が今、あんたのことを想ってくれていると思うか? 勝手に家を出て、今まで放ったらかしにしといて。虫が良すぎるぞ」
「くっ……黙れ!」
香澄さんの全身から、暗黒闘気が噴き出す。
「最後の勝負だ、修司君。今から僕は、全身全霊を込めた一手を放つ。防ぎきれるものなら、防いでみるがいい!」
噴き出した闘気が、彼が手にした駒に吸い込まれていく。
ばぢばぢっ!
駒が、黒く放電し始める。
どうやら本当に、最後の勝負手を放つつもりのようだ。
次の一手で、全てが終わる。
『香澄流矢倉』
それは、絶対的なる破壊の象徴。
それは、抗う者全てを大地ごと粉砕する、神の雷。
『絶式』
打ち付けられるは、審判の鉄槌。
黒き雷神が今、盤上に降臨した。
全ての敵駒を排除し、恐怖におののく敵将を、無慈悲に叩き潰すために。
『トール』
最終盤。
黄昏が、訪れる。
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