(10)去り行く者達
「ん……もう朝?」
その頃になって、ようやくしゅーくんが目を覚ました。
寝惚け眼を擦りながら、彼は不思議そうに周囲を見回す。可愛い。
「ふふ。おはよ、あなた。まだ大会中だよ?」
「何だ、寝ちゃってたのか。すまないかおりん。重たかっただろ」
ようやく解放される。
少し、名残惜しい。
「どうやら、決着がついたようだな。俺としたことが、全然気付かなかった」
「うん。燐ちゃん、勝ったよ。何か物凄い将棋だった。鬼とか出たし」
「……かおりんも寝惚けてるのか?」
そんなことを話している間に、感想戦が終わったようだ。
燐ちゃんが席を立つ。
「お疲れー」
「疲れましたぁ」
彼女は笑顔だった。
最初あんなに不機嫌そうだったのが嘘みたいだ。
「どう? 楽しかった?」
「んー。正直、よくわかりません。天金さん強かったので、対局中は必死でしたし。次の手を考えるのに、夢中で」
楽しんでるじゃん。
機嫌が直って良かった。
「これで二勝一敗。何とか二回戦進出だな」
しゅーくんが締め括るようにそう言って、
「一敗して申し訳ない」
と付け足した。
「ドンマイあなた。次は勝てるって」
「そうですよ。修司さんが負けても私達が勝ちますからっ」
燐ちゃんと顔を見合わせ、「ねー?」と言って笑った。
「……次は絶対に矢倉を指す」
頑張って、あなた。
私は応援してるよ。
「さて。僕達はそろそろ失礼させていただきます」
背後から声を掛けられる。
もはやお馴染みになったその声は。
振り向くと、低将チームの面々がこちらを見つめていた。
「もうお帰りですか?」
「ええ。敗者は黙って盤を去るのみ。勝敗が決した以上、長居は無用ですから」
「寂しくなりますね」
本心からの言葉を掛けると、安藤さんは照れ臭そうに微笑んだ。
「園瀬。縁があったらまた指そうぜ。次はお得意の矢倉で頼むわ」
「ああ。次こそは俺が勝つ」
「へっ。今度こそ、袖飛車の真髄を見せてやるぜ」
しゅーくんと袖の人は、拳と拳を合わせる。
男同士のこういう関係、いいなあ。少し妬ける。
「またね、紗代子」
「おう。元気でな」
「──私もその扇子欲しいな」
「松山高校においで。いくらでも作っちゃる」
「うん。いつか逢いに行く!」
扇子を広げて、天金さんは口元を隠した。
燐ちゃんは親指を立てて応える。青春だなあ。
低将チームの皆様。
対局、ありがとうございました。
私達が二回戦進出を決めた頃には、既に他チームの対局は終わっていた。
トーナメント表には、四チームの名前が書かれている。
『サロン棋縁』
『曼殊沙華と六畳一間の長い夜』
『来来・頓死ーズ』
そして我らが『伏竜将棋道場』
果たしてどのチームが準決勝へと駒を進めるのか。
それは、神のみぞ知っている。
ミスター穴熊さんを筆頭に、癖の強い人達が一堂に会した。
その中に見知った紫色の子を見つけ、私は声を掛ける。
「ゆかりちゃん」
「あ、香織さん! 良かった、香織さんも一回戦突破されたんですね!」
彼女は心底嬉しそうに笑っていた。
その言葉、その表情が演技によるものでないことを願いたい。
「ゆかりちゃんはどのチームなの? 私は伏竜将棋道場なんだけど」
「あ、じゃあ準決勝で当たりますね。私はサロン棋縁です」
「ああ。穴熊さんの所なんだ?」
「良い所ですよ。私みたいな変わり者でも分け隔てなく受け入れてくれる、懐の広いお店なんです」
へえ、それは意外。
穴熊さんのイメージからして、もっと排他的な場所かと思ってた。
穴熊さん率いる『サロン棋縁』とは準決勝で当たる。
お互い勝ち上がればの話だけど。
ゆかりちゃんとは是非もう一度、対局したいと思っている。
彼女がどうして『結月ゆかり』を演じているのか、知りたい。
そのためには、まず二回戦を勝つことだ。
改めて対戦チームの名前を確認する。曼殊沙華と、何だっけ?
「やあ、君達が伏竜将棋道場チームだね! 僕は『曼殊沙華と六畳一間の長い夜』先鋒の香澄翔(かすみ しょう)です、どうぞ宜しく!」
爽やかな笑顔で、長髪をふわっとなびかせ、一人のお兄さんが声を掛けてきた。
何だろう、光の粒子がキラキラと彼の周りを舞っている。
これもオーラの一種だろうか。
「あ、はい。こちらこそ宜しくお願いし──」
握手を求めて来る香澄さんに、私も自然と応じようとして。
「そうはさせない」
割り込んできたしゅーくんに阻まれた。
またしても反応速度が凄い。
彼はキッと、香澄さんを睨み付ける。
「俺の妻に手を出すな」
「え、駄目? じゃあ君と握手しよっか!」
「嫌だ!」
差し出された手を払いのけるしゅーくん。
そこまで嫌わなくても。
香澄さんは気分を害する風も無く、にこにこと笑っている。
善い人、なんだよね? 多分。
「気を付けろかおりん。こいつは陽の気の使い手だ。気を抜くと取り込まれてしまうぞ」
えーと、しゅーくん?
一体、何の話してるの?
陽の気って、そりゃどちらかと言えば陰気なしゅーくんからすれば対極的な存在なのかもしれないけど。
でも私は、そんな貴方が好きだよ。
「かおりん。こいつに勝ったら、俺にご褒美をくれ」
「え? う、うん。何が良い? ハグとか?」
「キス大盛、汁だくで」
それは多分、私の身がもたないかも……。
こうして。
二回戦の火蓋は切って落とされた。
しゅーくんはやる気満々だけど、相手も一回戦を勝ち抜いた強敵。
すんなり勝たせてくれるとは思えない。
果たしてこの先どうなるか。
そして私はご褒美に耐え切れるのか?
波乱に満ちた大会は、新たなる局面を迎えるのだった。
第四章・完
第五章に、続く
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