(4)エンジョイ将棋
「さて、気持ちを切り替えていきましょう。まずは一回戦を突破することを考えないとね」
既にトーナメント表には人が集まっている。
ええと。伏竜将棋道場チームの対戦相手は──と。
「低将チーム? 変な名前ね」
「正式名称は『こんなレベルの低い将棋見たことがない!』チームです」
私が思わず漏らした呟きに、予期せぬ答えが返って来た。
いつの間にそこに居たのか、温和な笑顔のお兄さんが話し掛けて来る。
「はじめまして。大将の安藤たかゆきです」
「あ、私は園瀬かお」
「気安く妻に話し掛けないでもらいたい」
名乗ろうとした所を、すかさず割って入ったしゅーくんに止められる。
え、何、今の反応速度。
てゆか、今のはちょっと失礼じゃない?
「しゅ、しゅーくん?」
「かおりん。ここは俺が対応する。俺に任せてくれ」
「……は、はあ」
有無を言わさないしゅーくん。
格好良いけど、どうしちゃったの?
「俺は伏竜将棋道場チーム代表の園瀬修司。こっちは妻の香織。後一人居るが、気にしないでくれ」
「ちょっと!」
燐ちゃん、可哀想に。
「それで、安藤さん。あんたの仲間は、どこに居るんだ?」
しゅーくんの失礼な言葉にも、安藤さんは気にした風も無くニコニコ顔のままだ。
──あ。この人、さっきオーラの無かった人だ。
良かったあ。この人となら、安心して指せる。
私とやらせてもらえるよう、後でしゅーくんにお願いしてみよう。
「私としても、ご紹介したいのは山々なのですが。あいにくと、一人は緊張しているのか、トイレに篭って出て来ません。もう一人は、参加者の方々の『袖の匂い』を嗅ぎ回っているようです」
何それ、大丈夫かそのチーム。
他人事ではないけど、ちょっと心配してしまう。
「そうだ。待っているのもなんですし、良かったら先に大将戦をやりませんか?」
思い付いたように手を打って、安藤さんは提案して来た。
それって、大会ルール的にアリなんだろうか?
「……罠じゃないだろうな?」
しゅーくん、安藤さんに対してやたら厳しいな。虫の居所でも悪いのかな?
「はは。罠を張る知恵が僕にあれば良いんですけどね。残念ながら、対局を楽しむことで頭が一杯なんですよ」
何を言われても、安藤さんは態度を崩さない。
仏様でも内蔵されているのだろうか?
「ねえしゅーくん。受けてあげようよ」
この人は悪い人ではない。
直感がそう告げていた。
「しかしな、かおりん。こんな四六時中ヘラヘラ笑っているような奴は信用できん。男なら、常に気を引き締めていなければ」
どうやらしゅーくんは、安藤さんの笑顔が気に入らないようだった。
古いなあ、その感性。武士か。
──あ。袴姿も、素敵かも。
私としては、安藤さんと是非指してみたい。
勝てそうな気がするのもあるけど、何と言うか、私と似たものを感じていたからだ。
勝ち負けよりも、対局を楽しむことを優先する。
大会においては異質な心持ち。
その姿勢から、何か学ぶことがあるかもしれない。
「しゅーくん。お願い、私にやらせて」
私の懇願に、しゅーくんは露骨に嫌そうな顔をする。
しかしそれも一瞬のこと。
溜息をついた時には、元の優しい彼に戻っていた。
「はあ。かおりんがそこまで言うなら仕方ないな。だが、決して油断するなよ。奴は天性の『人たらし』だ」
「うん! ありがと」
ハグしたい気持ちを、懸命に抑える。
「安藤さん、大将の香織です。宜しくお願いします」
「これはご丁寧に。こちらこそ宜しくお願いします」
幸い、近くの机が空いていた。
向かい合って着席する。
「それでは振り駒を。いやあ、ご婦人相手だと少し緊張しますね」
「まあ。安藤さんは女性と指されたことは無いのですか?」
「──いえ」
過去に一度だけ、あります。
そう応えた安藤さんの顔に、陰りが見えた気がした。
振り駒の結果、私は後手番になった。まあ、先手でも後手でも、基本的にやることは変わらないんだけど。
四間飛車+美濃囲いだ。
対する安藤さんは、飛車の筋を合わせてきた。これは。
「右四間飛車……!」
息を呑む。
右四間飛車+左美濃。
私にとって、これ程やりにくい相手はない。
まず、四間飛車のカウンターを決めづらい。相手の狙いも角交換なのだから。
そして、攻めが速い。
せめて居玉のままで仕掛けてくれれば、囲いの差で勝機もあろう。
けど、左美濃なら固さは互角。
なら、攻めが速い方が有利となる。
しまった。
左金を上げて本美濃にするのを優先してしまった。
これじゃ、角交換後の隙が多い。
かと言って、角を交換せずに済む程、右四間の攻めは甘くない。
私が左金を上げてから、安藤さんは飛車筋を合わせてきた。
タイミングとしては絶妙だ。
この人、振り飛車相手に指し慣れている。まずい。
「以前、うっかり飛車を振るのを忘れて敗北したことがありましてね。それ以来、振るタイミングには気を付けているのですよ」
安藤さんは私だけに聞き取れるよう、小声でそう言ってきた。
そうなんだ。
飛車を振り忘れることなんて、あるんだ?
何はともあれピンチである。
こんな時は、応援が必要だ。
ちらっと横目でしゅーくんを見ると。
彼は未だかつて見たことの無い、凄まじい形相で盤を睨み付けていた。
こっわ!
悲鳴を上げそうになる。
わ、私が不甲斐ない将棋を指してるから、怒っているの?
ごめんなさい……。
怖い、怖いけど。
何故か、ドキドキする。
もし、あんな顔で迫られたら。
はしたない想像に、頬が熱くなる。
やだ、こんな時に、私ったら。
今は対局に集中しないと。
でも、でも。
こんな至近距離で、あんな熱視線を送られ続けたら。
頭が沸騰してしまいそうになる。
まともに考えられない。
でも何か指さないと、時間切れで負け。
──負けたら、お仕置きされちゃう?
勝ったらご褒美が貰える?
負けたらお仕置きされる?
どっちに転んでも、私にとって幸せな未来が待っているのなら。
勝敗に拘る必要は、無い気がしてきた。
私が負けても、しゅーくんと燐ちゃんが勝てば良い訳だし。
「顔が赤いようですが、大丈夫ですか?」
安藤さんが心配して訊いてくる。
「大丈夫です。安藤さん、私わかった気がします」
「ふむ?」
「どうしたら、将棋をもっと楽しめるか」
にっこり笑って、私は次の手を指した。
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