(5)低級者達は笑う

「なっ……端攻め……!?」


 驚きの声を上げる安藤さん。


「かおりん、流石に無理筋なんじゃないか? この局面での端攻めは、いくらなんでも早急過ぎる」


 しゅーくんも驚いた様子で言ってくる。


「あー、対局中に言っちゃ駄目だよ。そういうこと」

「う。しかしだな……!」

「成立するかどうかなんてどうでも良いの。楽しめるかどうかが大事なんだから」

「はあ?」

「いいから、黙って観ててよ」


 怪訝そうな表情を浮かべる彼を手で制す。

 常識を、捨てる。


 安藤さんはそんな私としゅーくんの顔を見比べ、それから「ふっ」と笑った。


「僕は対局を楽しむことに関しては、高段者にも負けないと思っていましたが。貴女はどうやら、僕と同じ境地に到達したようですね」


 端攻めを無視して、右の桂馬を跳ねて来る。

 角に当てて退かせ、次に飛車先の歩を突く狙いだ。


 右四間の攻めは止まらない。

 飛車、角、右銀、右桂。四枚の攻め駒を使って、波状攻撃を仕掛けて来るのだ。

 受けきるのは容易ではない。半端な受けは、相手に更なる攻め駒を渡す結果となる。


 ならば、受けずに攻める。

 端歩を突き越す。


 安藤さんの顔に笑みが浮かぶ。

 私も笑っていた。これは楽しい。


 互いの攻めが、双方の陣地に突き刺さる。

 守備駒を剥ぎ取り、攻め駒として活用する。スピード勝負だ。


「安藤さん。さっき、過去に女性と指したことがあるって言ってましたよね?」

「はい。それが何か?」

「もしかして、好きなヒトだったんじゃないですか?」

「はは。それは秘密です」


 攻め続ける。


 飛車先を突破される。

 その代償として得た歩を、端に突っ込む。交換した角で、相手玉を直射する。

 安藤さんは逃げなかった。

 左辺を制圧される。


 凄い、伸び伸びと指してる。

 自由な発想で、攻めを構築してくる。

 これが安藤さんの持ち味なのか。

 面白い。


 でもこっちだって、端を突破した。

 攻めきる!


「私、だいぶ調子が上がって来ましたよ? 受けなくて良いんですか?」

「はは。受けるより、攻める方が楽しいでしょう?」

「ですよねっ」


 端を突破してもまだ相手玉は捕まらない。

 左美濃の『隙間』を縫って、右辺への脱出を試みる安藤さん。


 一方の私は、左辺に龍を作られ、端にも隙が生じた。


 挟撃されれば逃げ場は無い。

 負けちゃう?

 うーん、もうちょっと粘りたいなあ。


 左美濃の『出口』に、そっと成銀を置いた。

 安藤さんの笑顔が消える。

 大きく息を吸い込む私。


「バカみたい」


 それまで黙って見ていた、燐ちゃんの呟きが聞こえた。

 そうだ、これが低級者の将棋だ。

 滑稽と笑うがいい。


 プロや高段者みたいな格調高い将棋なんて、私達には指せない。


 ひたすら泥臭く殴り合うのみ。

 小手先だけの技術など、終盤で簡単にひっくり返る。

 筋の悪い手が頻発し、後にはお見苦しい棋譜が残る。


 けどね。

 そういう将棋も、結構楽しいもんだよ?


 最終局面。

 安藤さんの渾身の一手が突き刺さる。


 端の香車を浮かしてからの、桂打ちから始まる強襲。

 わかっていても、凌ぎ切るのは至難の業だ。


 王手のラッシュが続く。

 持ち駒の全てを費やし、足りない分は龍を切ってまで補充し。

 私の玉を閉所へと追いやって行く。

 かわす、かわす、ひたすらかわす。

 一手でも間違えれば、即詰みする恐怖を味わう。


 詰むや詰まざるや。


 将棋の最たる魅力はそこにあると思う。

 互いに死力を尽くし、相手玉を仕留めるまでの攻防の数々。


 ああ、将棋を指していて良かったと、心から思える瞬間がそこにはあった。


 安藤さん。そろそろ息切れしませんか? まだ続きますか?


 もし、後数手続くのなら。

 貴方の、勝ちです。


 手が止まった。


 ギリギリの所で、紙一重で、安藤さんの攻めが、遂に切れた。

 首の皮一枚が、残った。


「くそ……!」


 悔しいのだろう、安藤さんは吐き捨てる。


 持ち駒は歩一枚のみ。

 その歩を打てば、私の玉は詰む。

 しかしそれは、『打ち歩詰め』の反則なのだ。


 打ちたくても、打てない。

 悔しいよな。


「……負けました」


 やがて、安藤さんは頭を下げた。

 私も合わせて一礼する。

 溜めていた息を吐く。


「ありがとうございました」


 最終盤は、呼吸する暇すら無かった。

 互いに持ち時間を使いきっての秒指し。命を削り合う、正に死闘と言えた。


 序盤で作戦負けしたとはいえ。

 安藤さんは、強かった。


「感想戦、やる元気あります?」

「んー。少し休憩させて下さい」


 はは、と互いに力無く笑い合う。

 消耗が半端無かった。

 まだ『奥の手』を使っていないのに、まだ1回戦目なのに、疲労を感じている私が居る。


「かおりん、お疲れ。コーヒー飲むか?」

「ん。ありがと」


 あ、優しいしゅーくんに戻ってる。


「昔のこと、思い出したよ」


 束の間の休憩。

 皆で温かいコーヒーに舌鼓を打っている時に、ふとしゅーくんが呟いた。


「さっきの対局、安藤さんもかおりんも、伸び伸びと指してたよな。

 何だか懐かしかったよ。昔は俺も、あんな風に純粋に将棋を楽しんでいたのに。

 どうしてこうなっちまったのかなあ」


 憂いを帯びた表情も格好良い。


「今からでも遅くないよ。しゅーくんも、対局を楽しんでみたら?」

「え? いや──そう、だな」


 遠くを見つめるその瞳に映るものは何か。過去か、未来か。

 彼に合わせて、私も虚空に目を遣る。視界を、共有する。

 雲一つ無い青空はどこまでも広く、澄み渡っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る