(3)最強の称号

 辺りに甲高い笛の音が鳴り響く。

 大会の開始を告げる合図だ。


 本殿の前に、全員集合する。


 狐面の巫女さん達が、並んで待っていた。

 その中に雫さんも居る。あゆむ君の姿は、見えない。


「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。それでは今から、秋祭り将棋大会のルールを説明させていただきます」


 巫女さんの一人が話し始める。

 声優さんみたいな可愛い声だ。聞き惚れてしまう。


 ルールをまとめるとこうなる。


 団体戦は三人一組で、先鋒・中堅・大将に分かれて対局する星取り形式。

 勝ち数の多いチームが勝利する。


 トーナメントを勝ち抜いた一チームのみ、決勝戦で去年優勝の竜ヶ崎と対局することができる。


 持ち時間は十五分。

 それを過ぎると、一手三十秒以内に指す必要がある。


 ルール自体は、極普通の将棋大会と変わらないようだった。

 竜ヶ崎がやたら厚遇されている点を除いては。


「続きまして、対局の組み合わせを発表します」


 トーナメント表が掲げられる。

 参加しているチームは、私達を入れて八チーム。

 つまり、竜ヶ崎と戦うまでに三戦し、全勝しなければならない。


 うーん、正直言ってかなり厳しい。

 周りは皆、強そうな人達ばかり。将棋指し特有のオーラを感じる。

 私に勝てるだろうか。


 ──あ。

 その中に一人だけ、全くオーラを感じない人が居た。

 人の良さそうな顔立ち、気の抜けたような笑顔。

 少し安心する。

 私、あの人と当たるといいなあ。どのチームだろう?


「説明は以上になります。それでは、対局を始めて下さ」

「ちょっと待った」


 巫女さんの声を遮り。

 一人の男性が、前に進み出た。

 こちらを振り返ったその顔は、まだ三十代位だろうに、哀愁に満ちていた。

 死んだ魚のような、底知れない闇をたたえた瞳が、私達を見つめて来る。


「ミスター穴熊だ」


 しゅーくんが呻いた。


 周囲にどよめきが走る。


 男性の顔を見た瞬間、ある者は頭を抱えて座り込み、ある者は悲鳴に近い叫び声を上げた。


 何? あのヒトの顔に何か付いてるの?


「古来より、穴熊は最強の囲いである」


 やたら厳かな声で、男性は語り始める。


「それを極めた我もまた、最強なり。諸君らには、棄権を進言する」


 ……はあ? 棄権?


 いきなり何を言い出すんだ、あの人。


「勿論、タダで帰れとは言わぬ。棄権した者には、我が営業する将棋サロン『サロン棋縁』への入店を許可しよう」


 何か、営業トークまで始めたし。


「サロン棋縁。選ばれし者のみが入店を認められる、伝説の将棋サロン。まさか実在していたとは」


 しゅーくんが息を呑む。何、その説明口調。

 え、このノリに付いて行くの?


 一人取り残された私は、どう反応したら良いのかわからない。


 ──いや。正確には、一人ではなかった。


「ちょっとオジサン、いきなり何言ってんの? 穴熊だか何だか知らないけど、私の邪魔をしないでくれる?」


 燐ちゃんが、声を上げた。


 穴熊さん?はそんな燐ちゃんを静かに見つめた。

 憐れむような目で。


「そこの娘。年はいくつだ?」

「……十六だけど」

「そうか。好きな異性は居るか?」

「何でそんなことを、貴方に言わないといけないの?」

「そうか、居るのか」


 その瞬間、空気が変わった。

 晴れた空に、雷鳴が轟き渡る。

 大地が震えた。


 勿論それは錯覚だ。

 しかし確かに感じた。

 男性を中心に、空間が歪み始める。軋む音を立てて。


「もう一度だけ言おう。我は、諸君らに棄権を推奨する。何故なら、諸君らが悲しむ姿を見たくないからだ。我と戦えば、諸君らは──愛を失うことになる」


 冗談かと思ったが、どうやら本気のようだった。


 男性の全身から、黒いオーラが立ち上る。何て禍々しい闘気。


 この人は何なんだ。

 私には理解できない。

 対局したら、逆に取り込まれてしまいそうで……怖い。


「ふん。さっきから訳の分からないことをゴチャゴチャと。その減らず口、黙らせてやりましょうか?」


 一方、燐ちゃんは鼻で笑う。


 睨み合う穴熊さんと燐ちゃん。

 このままじゃ取っ組み合いの喧嘩でも始めてしまいそうだ。

 流石に止めないとまずいかな。私がそう思った、次の瞬間。


「はい、そこまで。続きは試合でお願いします」


 パンパンと手を叩いて、雫さんが割り込んで来た。


「穴熊さん、困ります。営業妨害はやめて下さい」

「む。そんなつもりは無かったのだが」


 雫さんの一言で、穴熊さんの暗黒闘気は霧散する。

 通常モードに戻った彼は、ポリポリと頬を掻いた。


「我はただ、善意で進言しただけなのである」

「ありがた迷惑です。寝言は優勝してから仰って下さい」

「……失礼した」


 雫さんに一礼。

 それからこちらにも、深々と頭を下げる。


「諸君の健闘を祈る」


 それだけ言って、穴熊さんは列へと戻って行った。

 ふう、修羅場にならずに済んで良かった。


「あの親父。もし試合で当たったら、タダじゃ済まさないんだから」


 ──もう一人がまだ、臨戦態勢だったけど。

 私は無言で、彼女の頭を撫でた。


「なっ! 子供扱いしないで下さい!」

「や。実家の犬が近所の人に吠えた時は、こうすると収まったのを思い出してね」

「い、犬扱い!? 余計酷くないですかっ」


 涙目になって睨んで来る燐ちゃんに、更に続ける。


「燐ちゃん。感情的になったら獣と同じよ。盤外の屈辱は盤上で晴らす。それが将棋指しってもんでしょ?」

「……むう。確かに」


 良かった、何とかこの場を収めることができたようだ。


「わかりました。盤上でギタギタにノシて差し上げましょう! ふふふふふ」


 いや、感情的になっちゃ駄目って言いたかったんだけど。

 もういいや。


「ミスター穴熊。できれば戦いたくない相手だ」


 それまで黙っていたしゅーくんが口を開く。


「やっぱ、強いの?」

「強いなんてもんじゃない。この辺りの将棋指しで、彼の称号を知らない奴は居ない。彼に穴熊を組ませたら終わりだ。絶対に勝てない」


 そこまで言う程なのか。

 でも。穴熊を組ませたら、ってことは。


「穴熊が完成する前に仕掛ければ、ワンチャンあるってこと?」

「それも、限り無く不可能に近い」


 穴熊囲いの最大の弱点は、組むのに手数が掛かること。

 故に完成する前に仕掛けることは可能で、実際に数多くの対策が存在している。

 中には、居玉のまま攻撃を開始する戦法まである。

 裏を返せば、完成したらそれだけ厄介な囲いだということだ。

 玉が遠く、王手が掛からないのだ。


 そう。対策は存在する、のだが。


「当然、対策して来るのは想定済ということだ。現在主流の対策は、彼には通用しない」


 あえて穴熊に特化することで、穴熊さんは無類の強さを手に入れたのだと言う。

 弱点を知り、それをも克服する。


 一言で言えば、無敵。


「うーん。凄い人なんだねぇ」

「大丈夫です。私なら勝てます」

「はいはい」


 根拠の無い自信はやめて欲しい。

 期待してるわよ、とだけ燐ちゃんには伝えた。

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