(2)愛振り飛車戦
私は彼女との対局を大会と関係の無い、意味の無いものだと思っていた。
だけどそれは間違いだった。認識を改める。
意味の無い対局なんて、無い。
私は初めて、真正面から彼女の顔を見つめた。興奮した様子で、頬を赤らめている。
夢中になっているのか、私の視線には気づいていない。
可愛い、かも。
自然と、笑みが零れた。
ごめんね。
貴女のこと、変な子だと思って侮ってた。関わらないようにしようと思っていた。
貴女の事情も知らないで。胸中で謝罪する。
ホント、ごめんなさい。
彼女の将棋を知り、彼女という存在を理解する。
そのために私は全力を出し切る。勝敗は意識しない。
楽しくやろう。
反撃開始。
角道を開けると同時に、飛車先を突く一手。65歩。
相振りではカウンターの意味は薄い。けど、根本の考え方は同じだと思う。
「お姉さん。楽しいですね」
「うん」
「でも、最後に勝つのは私です」
それはどうかな?
角が逃げると香車が取られるため、角交換される。
同銀と応じる。
これで銀を繰り出せる。
持ち駒の角を打ち込む隙は今はまだ無いけど、十分な戦果だ。
角打ちを警戒させ、駒組を制限させる。
飛車を引かれた。
次に桂馬の頭に歩を打ち込まれれば、攻めが継続される。
──だったら、先に歩を打ってやる。
相手の打ちたい場所に打つ。
同飛に対し、飛車先の歩を突く。
これに対し、同歩と応じれば。
「目から火が出る、王手飛車」
彼女は呟き、再度飛車を引いた。
流石に読まれていたか。いいね!
構わず取り込み、歩は成りて王手を掛ける。
同金に。
飛車金両取りの、底角打ち!
「りょ、両取りヘップバーン」
彼女は呻いた。
飛車が逃げる。金を取る。同飛。
渾身の力を込めて、残った一枚の金の頭に歩を打ち込む。
金無双が、弾け飛んだ。
彼女の玉が、七色に輝き始めた。
その中には、小さな小さな、将棋盤の姿が在った。
「貴方が、将棋盤くんね?」
『そうです。やっと会えましたね』
「良かった」
『ゆかりさんにお伝え下さい。重たい将棋盤を持ち運ぶ必要は無いと』
ずっと、貴女の傍に居ますから。
それは、優しい声だった。
私はそっと、玉を包み込む。
彼女は呆けた表情で、
「負けました」
と呟いた。
「ありがとうございました」
頭を下げ、私は立ち上がる。
「ねえ。さっきはごめんね。私、園瀬香織」
そう言って私は。
彼女に向かって、手を差し伸べた。
「香織、さん。素敵なお名前ですね」
「ありがと。ゆかりちゃんも良い名前だと思うわよ」
ゆかりちゃんを起こしてやると。
照れ臭いのか、やや俯き加減で彼女はそう言って来た。
さっきまでの元気はどうした?
もしかしたら。さっきまでのアレは演技で、彼女の素はこんな感じなのかもしれない。
この奇抜な服装も、素の自分を隠すための仮面?
一瞬狐面の巫女のことが頭を過ぎった。それから、狐面を着けたあゆむ君の姿も。
仮面は一種の自己防衛だ。
本当の自分を見られたくなくて、だから覆い隠すんだ。
精一杯、彼女は虚勢を張って生きて来たのだろう。
大丈夫。もう無理しなくて良いんだよ。
「ゆかりちゃん。私で良ければ、友達になってくれないかな?」
「え……えええっ……!?」
「あ。ライバルの方が良かった?」
「い、いえ、そんなことは! 香織さんがそこまで頼まれるのなら、友達になってあげてやらなくもないですっ」
ふふ。素直じゃないんだから。
「よろしくね、ゆかりちゃん」
「おーい」
そこにしゅーくんが走って来る。
どうやら受付完了したらしい。
「お待たせしました!」
燐ちゃんも。買い物袋を引っ提げて戻って来た。
あ、もしかして飲み物買って来てくれた?
ごめん、気を遣わせて。後でお金払うわ。
「お仲間ですか?」
「うん。夫と、もう一人は友達のお姉さん」
「……そうですか」
ゆかりちゃんが離れる。
「ありがとうございました。対局できて嬉しかったです。では、チームメイトが待っていますので」
「ゆかりちゃん?」
「今度は、試合でお相手しましょう。次こそは負けませんから」
「わかった。絶対勝ち上がるわ」
私の言葉に、彼女は力強く頷き。
将棋盤を、持ち上げた。
あ。将棋盤くんの言葉、伝えないと。
思い出した時には、彼女はこちらに背を向けていた。
「あの。ゆかりちゃ──」
「もし優勝したら。私とデートして下さい」
「えっ」
「約束、ですよ!」
その瞬間に振り向き、ニッと笑う彼女。
それから、すたすたと歩き始める。
いやそんな、一方的に約束されても……。
「なあ。今のコ、VTuberの結月ゆかりに似てなかったか?」
後ろから、しゅーくんが質問して来る。
「VTuberって何?」
「Vはヴァーチャルの略。つまり、アバターを使って動画配信してる人達のこと。結月ゆかりと言えば、有名な将棋実況配信者だぞ」
確かに、あの子の名前は結月ゆかり、だけど。
「でもあの子は現実に存在する。仮想現実なんかじゃないわ」
「ああ。結月ゆかりのコスプレだろうな。それにしても、雰囲気が良く似ていた」
感慨深げに、しゅーくんはそう告げた。
前から思ってたけど、たまにマニアックなこと言うよね、しゅーくん。
コスプレ、か。
恐らくは、名前も偽名。
つまり私は、一局を通してなお、彼女の真実を見抜くことができなかったことになる。
あの将棋盤くんだって、結月ゆかりとしての『キャラ付け』の一環に過ぎない。
本当の彼女の心は、ここには無かったのだ。
試合で逢いましょうと、彼女は言った。
もう一度指した時。今度こそ私は、理解できるのだろうか?
彼女の心、彼女の真実を。
私は今まで、将棋を通して対局相手の全てを知ることができると思い込んでいた。
甘かった。人の心は、そう簡単に理解できるものではなかったんだ。
そのことを思い知らされた。
思えば、しゅーくんも大森さんも、私に対して最初から心を開いてくれていた。
だから知ることができた。それだけのこと。
事実、あゆむ君の心の奥底は未だに見えていない。
だから大会に出て、もう一度彼と指すことで、互いに理解し合えると思っていたんだ。
その判断は、甘かったということだろうか?
これから私がやろうとしていることは、全くの無意味だと──。
「そう言えば。結月ゆかりには、モデルになった人間が居たらしい」
私の心情を汲み取ったように、しゅーくんが呟く。
「彼女がそうなのかはわからない。けど、かおりんの気持ちが全く届いていなかった訳じゃないと思うぞ。
さっきの笑顔は、嘘じゃない」
うん。そう思いたい。
彼女がどんなに真実を偽りの仮面で覆い隠そうと、私から彼女に伝えた想いは本物なんだから。
「ありがとう、しゅーくん。私、もう少し頑張ってみるよ。あゆむ君ともゆかりちゃんとも、友達で居たいから、さ」
「わかった。なら俺は、かおりんを応援する。勝ち上がろうぜ、二人で」
しゅーくんはいつも私を励ましてくれる。
彼の存在が無ければ、きっと私はここまで来られなかっただろう。
「ちょっとー。私も居るんですけどー?」
あ。燐ちゃんのこと忘れてた。
頬っぺたを膨らませて文句を言って来る彼女に、私は慌てて手を振った。
「勿論、燐ちゃんも頼りにしてるわ。三人で頑張りましょう!」
今は、将棋の可能性を信じよう。
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