第四章・秋祭りは波乱がいっぱい?

(1)出会い頭に将棋盤

 夫が将棋を指していなかったら、私はどうしていただろうと、時々考えることがある。

 多分、しゅーくんと仲良く縁側でお茶でも飲んで、ぼーっと一日過ごしていたんだろうなあ。

 それはそれで、悪くない人生だと思うけど。


 やっぱり、今の方が楽しいな。

 将棋は、相手との関係を深めてくれる。


 しゅーくんだけじゃない。


 りんちゃ──あゆむ君とだって、分かり合えることができた。初対面の時からは想像できないくらいに。

 そりゃ、今は対立関係にあるけどさ。

 もう一度対局すれば、彼がどうして竜ヶ崎に行ったのか、理解できると思う。


 大森さんからも色々なことを教わった。

 戦法だけじゃない。


 大森さんの将棋は、まるで大きな山のようだ。

 途方もなく広くて迷子になりそうになるけど、周りは青々とした樹々に囲まれていて、優しく包み込んでくれる。

 登山者になった気分で、ずっと指していたい気持ちになる。

 大森さんの人間性が、将棋にも表れているんだ。


 私も、あんな風に指せたらなあ。


 将棋が無ければ、深く相手のことを知ろうとは思わなかった。

 表面上の付き合いで終わらせていた。

 愛想笑いを浮かべて、不快な思いをさせないよう、それだけに配慮して。


 将棋に出逢う前の私は、なんて薄っぺらい人間だったのだろう。

 それを、当たり前だと思っていた。


 今は違う。

 貪欲に、知りたい。


 さあ、大会が始まる。

 今日はどんな人と指すのだろう?

 どんな将棋が指せるのだろう?

 ワクワクする。

 こんな胸の高まりは、しゅーくんとの初デートの時以来だ。

 あの時は色々あったけど、今となっては良い思い出だ。


 今日だって、大変かもしれないけど。

 振り返ればきっと、楽しい思い出になると信じている。



 秋祭りにおける将棋大会の目的は、祀っている竜と狐の神様に喜んでもらうことだ。

 よって、決勝戦は畏れ多くも本殿で執り行われる。

 じゃあ、その他の試合はどうなのかと言うと。


 本殿の前の広場に、参加者達は集合していた。

 神様からよく見えるように、青空の下で対局するらしい。

 雨が降ったら中止するのかな?


 幸いなことに、今日は良い天気だった。

 神社という場所も相まって、清々しい気持ちで指せる気がする。ちょっと秋風が肌寒いけど。


 広場には多くの人の姿が見えた。

 皆、整然と並べられた机の周りに集まっている。

 各々が自由に練習対局したり、お喋りしたりしている。


 おおー……!

 これが、大会か!

 当たり前だけど、皆将棋を指すために集まって来たんだなあ!


「かおりん。先に受付済ませておくから、ちょっと待っててくれるか?」


 独り感動する私に、しゅーくんが声を掛けて来る。

 うんいいよ、いってらっしゃーい。


「私もお手洗いに行って来ますねー」


 燐ちゃんも走って行った。

 うんいいよ、いってらっしゃーい。


 ……あれ? 私、何してたら良いんだろ。


 とりあえず、飲み物でも買っておこうか。

 でも自販機、見当たらないよなあ。

 あ、露店なら売ってるかも。割高だけど。


 そう思って、くるりと踵を返した、その時。


「きゃっ」


 誰かとぶつかり、尻餅をついた。

 相手も転んだようだ。盛大に駒がばら撒かれる。


「ごめんなさい。大丈夫?」


 慌てて声を掛け。

 その時初めて、相手の姿を目視した。


 えっと──コスプレイヤーさん?


 紫色の服には、奇抜な装飾が施されている。

 髪も薄紫色に染めてるし、この格好で町を出歩くのは勇気が要るだろう。

 可愛い女の子なのに、何でこんな姿で将棋大会に?


「将棋盤くんのおかげで助かりました」


 将棋盤、くん?


 よく見ると、彼女は確かに将棋盤の上にお尻を乗せていた。

 持ち運びに便利な折り畳み式のものではなく、ずっしりと重たそうな脚付の盤だ。


 うわー、わざわざこれを運んできたの?

 見かけによらず、力持ちなのね。


「ごめん、駒散らばっちゃったね」

「……運命を感じました」


 は?


「運命の出逢いです。お姉さん、今から貴女を私のライバルとして認定します!」


 何故だかわからないが、悪寒を感じた。

 もしかして私、関わったらいけない子と出会ってしまった……?


 彼女の言葉をあえてスルーし、散らばっていた駒を集める。

 駒箱に入れて渡すと、彼女は不敵に笑っていた。


「はん、敵に塩を送るって奴ですか。さんきゅーそうまっち!」

「ええと。じゃ!」


 早々に退散しようとする私。

 その肩を掴まれる。


「待って下さい! 今から名乗る所ですよっ」

「嫌ですよっ」

「即答しないで! 私の名前は結月(ゆづき)ゆかり! お姉さんの名前は何ですか?」


 強引に名乗られてしまった。


「いや、私貴女のライバルでも何でもないから。ただ運悪くぶつかっただけだから。できればこのまま何事も無く立ち去りたい気分なんですけど?」

「くう、畳み掛けて来る。流石は私が認めたライバル、このままじゃ言い負かされてしまいそうです!

 しかしその時、ゆかりさんは閃きました!」


 閃くな。


 彼女は足元の将棋盤を指差す。


「将棋盤くんで、将棋を指しましょう!」

「え、何で」

「私が勝てば、私をライバルと認め、潔く名乗ってもらいます。お姉さんが勝てば、大人しくこの場を去りましょう」


 ──めんどくさい子だなあ。


「一局指せば、諦めてくれるのね?」

「私の言葉に二歩はありません」


 仕方がない。

 将棋盤を挟み、中腰で座る女二人。何て指しにくい体勢なんだ。

 端から見たら異様な光景だろうな……。

 向こうには机があるのに。


 うー。早くしないと、大会が始まっちゃう。


「5分で終わらせるわよ」

「同歩です!」


 それが、対局開始の合図だった。

 私は勿論四間飛車、対する彼女は。


「あら、お姉さんも振り飛車党なんですね。奇遇です」


 そう言って、飛車を3筋に振ってきた。

 『三間飛車(さんけんびしゃ)』、か……!


 お互いが飛車を振った場合、どうなるんだろう。

 今まで指したことの無い局面だ。


「やはりお姉さんとは運命を感じますね。正に愛振り飛車!」


 相振り飛車。

 彼女は経験済なのか?


 よくわからないままに、とりあえず角道を閉じ、美濃囲いに組む。

 相手の出方がわからない時はいつも通りに指すのが最善だと、大森さんが言っていた。


 対する彼女は、3筋の歩を伸ばして来る。

 囲いは──玉の隣に、金が二つ並んでいる。


「王様と金ちゃんズが仲良くお手々繋いで、絆合体です!」


 確か、『金無双(きんむそう)』という囲いだ。


 これは、どこから攻めたら良いんだろう。

 私が戸惑っている内に、彼女の方から仕掛けて来た。


 3筋の歩を突き越され、同歩と応じた所で真ん中に角が飛び出して来る。

 王手なので、やむなく桂馬を跳ねて受けると、そこで飛車が走って来た。


 これは、嫌な感触だ。

 私はまだ何も手を作れていないのに。

 一方的に、攻め潰されるパターン。


 大駒の利きが自玉を直射している。

 対抗形では無かった感覚。

 相居飛車の時に似ているが、何かが違う気がした。

 これが、相振り飛車の戦いか。


 敗北の予感に、背筋を冷たい汗が流れる。

 それと同時に、別の感情が芽生え始めていた。


 知りたい。

 もっと、知りたい。


 一体この先、どうなるのか。

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