第二章・妻と夫のLOVEゲーム

(1)甘い夜

 最近、夫の寝顔を見るのが楽しい。


 普段は隙無く凛々しい顔立ちが、ほんのわずか崩れるのが可愛らしくて、ついつい見惚れてしまう。

 この人が私の旦那様なんだと思うと、たまらなくいとおしく感じる。

 さらさらとした彼の髪を撫でながら、私は視線を手元のスマホに戻した。


 詰将棋が、解けない。


 彼の傍でこうして甘い時間を過ごせるようになったのは、将棋のおかげ。それは良くわかっている。


 けど、将棋は難しい。

 勉強時間に比例して強くなると言うけれど、一向にそんな気配は無い。

 もしかして私、才能無いのかな……?


 特にこの、詰将棋という奴がどうにも苦手だった。

 難しいパズルを解いている気分。

 脳細胞が悲鳴を上げている。


 かれこれ5分以上考えたが、どうにも解けず。

 夫の寝顔を観て現実逃避したりもしてたけど、やっぱり無理なものは無理な気がする。


 私が諦めかけていたその時。

 スマホが、突然鳴り出した。

 こんな時間に、誰だろう?


 画面を見ると、母さんからだった。

 う、何か嫌な予感がする。

 寝たフリしようかな?


 スマホは軽快なメロディーを奏で続け、一向に鳴り止む様子は無い。

 仕方なく、私は電話に出た。


「……もしもし。何?」

『何、じゃないわよ! 緊急事態かも知れないから数コール以内に必ず出なさいって、いつも言ってるでしょ! 何かあったのかと心配になるじゃない!』


 耳元で怒鳴り立てられる。


「そんな、無茶言わないでよ。何の用? 眠たいんだけど」

『あらそう? じゃあ単刀直入に聞くけど。一体いつになったら、結婚式を開いて下さるのかしら?』


 ほら、やっぱりろくでもない用事だった。

 だから出たくなかったんだ。


「何よ、突然」

『突然じゃないわよ! 前から言ってるでしょ!』


 母さんの話によると、友人から娘さんが結婚式を挙げたと言う話を聞いたらしい。

 それで、私達がいつまでたっても式を行わないことを思い出して腹を立て、こんな遅い時間にもかかわらず電話を掛けて来たと言うのである。


 相変わらず困った母だ。

 私はため息をつきながら、どう収めようか考える。


「しゅーく──修司さんと話し合って、結婚式はしないことに決めたんだけど」

『えっ!?  何それアンタ本気? せっかく結婚したのに、皆に祝ってもらいたくないの?』


 考え方が古い。昭和か。


「別にいいよ、お金もかかるし。準備するのも面倒だし」


 私は彼と一緒に居られるだけで幸せなのだ。他には要らない。


 すると母は、一瞬絶句した後。

 少し声のトーンを落として言って来た。


『お婆ちゃんがね、最近元気無いのよ。ほら、もうすぐお爺ちゃんの一周忌でしょう? 寂しいんだと思うわ。

 あんた達が式に呼んでくれたら、お婆ちゃん喜ぶと思うけどな』


 ズルい。

 それを言われると、胸の奥が痛むじゃないか。


 お婆ちゃん。


 母がこんな苛烈な性格のせいもあり、私はお婆ちゃん子だった。

 昔はよく、手を繋いで同じ布団で寝てたっけ。

 母のことは正直どうでも良いが、お婆ちゃんには恩返ししたい。


 しかし、結婚式ねぇ。

 最近打ち解けたばかりの私達夫婦にとっては、結構ハードルの高いイベントだ。

 端的に言えば、人前でイチャイチャするの、恥ずかしい。


『ま、もう一度修司さんと話し合ってみなさい。私は首を長ーくして待ってるから。じゃあね』


 言うだけ言ってスッキリしたのか、切ろうとする母。


「……まあ、前向きに考えとくわ」


 私がそう応えると、


『あんたの前向きが、あさっての方向でないことを祈ってるわ』


 母は笑って、電話を切った。


 ふむ。あさっての方向、ね?


 母の言葉に、ふと思いつき。

 私は改めて、詰将棋に向き直った。


 もしかして、考え方を間違えていた?

 詰ましに行くのではなく、まず詰んだ形を考える。

 例えば、頭金。

 そこから、元の形へと遡っていけば。


「……解けた」


 呆然と呟く。

 え? こんなにあっさり解けるものなの?

 今まで悩んでいたのが嘘みたいだ。


 おっと、スマホの充電が無くなる。

 思わぬ邪魔が入ったが、今夜はこのくらいにしておこう。


 そう思って顔を上げると、しゅーくんと目が合った。


「わっ!? 起きてたの?」

「かおりんの声が大きいのは、お義母さん譲りなんだな」

「う。ごめん」


 起こしてしまったにもかかわらず、彼は優しく微笑んでくれた。

 なんて素敵な笑顔。一日の疲れが癒される。


「お。詰将棋解けたんだ? やったな」

「3手詰、だけどね」

「それでも大した進歩だ。偉いぞかおりん」

「ふふ。褒めても何も出ないよ?」

「そっか。だったら」


 不意に、抱き締められた。


「ふぇっ! しゅーくん?」

「寒いから、湯たんぽ代わりになってくれ」


 彼の体温を感じて、頬が熱くなる。

 何これ、私夢でも見てるのかな?


「なあ。結婚式、したいか?」


 抱き合ったままで、彼はそんなことを訊いてきた。

 どうやら電話の内容は筒抜けらしい。声大きいよ、母さん。

 結果的にはグッジョブだったけど。


「したくない、訳じゃないけど」

「じゃあ、するか?」

「……いいの? 前言ってたじゃん、コストがかかり過ぎるって」

「必要経費なら、何とか捻出するよ」


 耳元で囁かれると、くすぐったい。

 でも、嫌な感じはしなかった。

 どちらかと言うと、気持ち良い。とろけてしまいそうになる、甘い声だった。


「無理しないでよ? 私、しゅーくんに負担掛けてまでやりたくないよ」

「わかった、無理はしない。でも俺、かおりんのウェディングドレス姿が見たくなったんだ」


 ああ私も、しゅーくんのタキシード姿なら見てみたい。きっと似合うだろうな。

 想像しただけで、胸がきゅんとなる。


 以前とは異なる、今の関係だからこそ。

 お互いのことを、ちゃんと向き合って見られるようになった今だからこそ。


 結婚式を、してみたくなったんだ。


 前向きに検討する。

 あさっての方向に進まないよう、気を付けて。


 二人並んで横になる。

 しゅーくんの腕枕は、少し固かったけど、温かかった。

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