(2)手と手を取って

 将棋盤の上に、歩ーくんと歩ーちゃんという仲の良い幼なじみが居ました。

 二人は互いのことを想い合っていましたが、盤上では触れ合うことができません。

 『二歩』(※反則手)になるからです。

 ああ早く駒箱に戻りたいと、二人は願いました。


 あ、危ない!

 遥か彼方から、香車ねーさんが狙っています!

 逃げてー!


「あー、取られた! 歩ーくん、かむばーっく!」

「……何やってるんですか」


 迫真の演技のつもりだったのだが、待っていたのは冷ややかな視線だった。

 呆れた様子のりんちゃんに、私はパタパタと手を振る。


「疲れたの、式場巡り。どこも高いったらありゃしない。皆よくお金払う気になるものね」

「はあ。結婚式ですか」

「あ、何その自分には関係無いって感じの反応。貴女だっていつか悩む時が来るのよ。間違いない」

「私、色恋沙汰に興味ありませんから。はい、王手」


 りんちゃんは涼しい顔で、私の玉を追い詰めて来る。

 ぬう。まだまだ平手じゃ勝負にならないか。勉強してるんだけどなあ。


「本当に? 気になる人とか、居ない訳?」

「……気になる人は、居ますよ」


 お、マジ?


 彼女の視線が右に動く。

 私から見たら左側では、夫が大森さんから指導対局を受けていた。


 一瞬、目が点になった。


「あの人の伸びは凄いです。私が受験勉強している間に追い付かれそうで、ヒヤヒヤしています」


 ああなんだ。そういう気になる、か。一瞬焦ったわー。


「それに、あの人の将棋への真摯な取り組みは見習うべきものがあります。格好良いと思います」


 あー、うん。

 控え目に言っても、カッコいいのは認める。

 けどあれ、私の旦那だからね?

 道場では秘密にしてるけどさ。

 秘密と言うか、何となく言い出せなかっただけだけど。

 ここでは私は『清水(きよみず)さん』、夫は『園瀬(そのせ)さん』で通っている。


 ──あ。そんなこと考えてたら、詰まされた。


 対局の後は感想戦をしっかりやることが大事だと、皆が口を揃えて言っていた。

 負けて悔しくても、何が悪かったのか知ることは次へと繋がるんだって。


 確かに、強い人達に色々教えてもらえて、少しずつではあるが強くなっているような気がする。

 流石にもう、十枚落ちでは負けない。

 と、思う。多分。


「りんちゃんさ、どこの大学受けるの?」


 駒を並べ直しながら、私はふと思ったことを訊いてみた。

 すると彼女は、きょとんとした表情になった後で、


「あの、私まだ中学生なんですけど」


 なんて、困ったように言って来た。


「え、そうなの!?」


 大人びた雰囲気だから、てっきり高校生と思ってたわ。

 中学生なら、結婚と縁遠いはずだわと妙に納得する。


「うー。私、そんなに老けて見えますか?」

「いやあ、落ち着いてるから年上に見えただけよ。十分可愛いわよ?」


 可愛いのは世辞ではない。私には無い美貌を彼女は持っている。本人は意識してなさそうだけど、時たま色っぽい仕草をすることあるしなあ。


「でも高校受験でそんなに勉強しないといけないなんて、余程の難関校を受けるのね?」

「あ、いえ。お恥ずかしながら、私勉強は全然駄目で。塾には通ってるんですけど、皆についていくのが精一杯なんです」


 へえ、意外。成績良さそうに見えるのに。

 文章問題を読み解く能力が無いのだと、彼女は自嘲気味に言った。


 ふーん。人それぞれ、悩みを抱えているものなんだな。

 この道場に来ている人達は、皆将棋を指しにやって来る訳だけど。

 もしかしたら、一見お気楽に見える彼らにも悩み事があるのかな?


 だとしたら、私と同じだ。

 にわかに親近感が沸く。


「じゃあさ。私が教えてあげようか?」


 だからか。自然と、そんな言葉が出た。


「……え?」

「だから、勉強。私こう見えて文章問題得意なのよ」


 職業上、毎日活字と向き合っている。

 それなりにノウハウというか、コツを掴んでいるつもりだった。


「あ、もしかして信用してない?」

「いえ、そんなことは。でも良いんですか、お忙しいんじゃ?」

「大丈夫よ、対局した後で良ければね」


 何しろ、りんちゃんからは将棋を教えてもらっている身だ。迷惑そうにしながらも、対局を断られたことは一度も無い。基本的にいいコなんだ。

 私にできるお返しがあるのなら、是非やらせて欲しいと思った。


 私の提案に、少し考えた後。

 りんちゃんは、素直に頭を下げた。


「宜しくお願いします、清水先生」


 ははは。

 先生とか言われると、照れるなあ。


「やあ。仲良くやってますね」


 そこに。対局を終えたのか、夫と大森さんが並んでやって来た。

 今日も大森さんはニコニコ笑顔で上機嫌だ。


 一方夫の顔には、疲労の色が見える。無理も無い。午前中はずっと式場巡りをしていて、慣れない愛想笑いを浮かべていたのだから。精神的に参っているに違いない。


「実は今日、私から皆さんに折り入ってご相談があります。お時間ありましたら聞いていただきたいのですが、いかがでしょうか?」


 大森さんは私達三人の顔を眺めて、そんなことを言い出した。何だ、藪から棒に?

 夫の方を見ると、彼は肩を竦めて頷いた。

 ははん。さては予め、何か聞いてるな?


「私は大丈夫です。りんちゃん、塾の時間大丈夫?」

「少しだけなら」


 私とりんちゃんが頷くと、大森さんはこほんと、咳払いした。


「実はもうすぐ、秋祭りがあります」

「はあ」

「その中で、神様にお見せするため、毎年将棋大会を開いているのですが」

「ふむ」

「貴方がたには、団体戦に出場していただきたい」


 ……は?

 今、何て言った?


「団体戦に、貴方がた三人が一チームとなって参加していただきたいのです」

「えっと。話が読めないのですが」

「この町の将棋界を、若い世代に託す時が来た、と私は考えています。是非ともこの町に、新しい風を吹かせて下さい」


 大森さんは珍しく、熱い口調で語った。


 ううむ。随分とまあ、ローカルな将棋界ですね。

 少し大袈裟じゃないですか、大森さん?


 ──って。

 そんなツッコミを入れている場合じゃない。


「結婚式が」「受験が」


 私とりんちゃん、二人の声が重なった。


 そうだ、将棋大会なんて出場してる場合じゃない。二人とも人生がかかっているんだ。大森さんには悪いけど、今回は辞退させてもらおう。


「待つんだ、二人とも」


 しかし。そこに割って入ったのは、なんとしゅーくんだった。

 心なしか瞳が輝いているように見えたのは、気のせいだろうか。


「忙しいのはわかる。けど! この町の将棋界に革命を起こせるのは俺達だけなんだ。やってやろうぜ! 三人で協力すれば、どんな相手だって怖くない!」


 いや私、思いっきり初心者なんですけど。

 内心でそう突っ込みながら、私はため息を一つついた。

 ああ。暴走してる姿もかっこいいなあ。


「えっと。秋祭りに出るのは良いんですけど、練習する時間が取れそうにありません。どうしますか?」

「私も塾に行かないといけないので、残念ですが辞退したく」


 私とりんちゃんは口々に声を上げるも、


「大丈夫です、勝敗は関係ありません。貴方がたが参加することに意義があるのです」

「かお──清水さんは負けても良いんだ。君の分まで、俺が勝つから」


 男性陣は、聞く耳を持たなかった。

 はあ。そんなだから男は、いくつになっても子供と言われるんだ。


 私とりんちゃんは顔を見合わせた。


「どうしましょう」

「できれば聞かなかったことにしたい。けど、仕方ないわね。りんちゃん、勉強教えてあげるから、協力してくれない?」

「はあ。清水さんがそれで良ければ」


 渋々、りんちゃんは頷いてくれた。

 ホント、ごめんね? うちの旦那がご迷惑お掛けしました。


 私は夫の方へと視線を移す。


「一つ条件があります。修司さんはウチに来て、家事を手伝って下さい。その間私は結婚式の準備を進めますので。それから、りんちゃんを塾に毎日送迎してあげて下さい」

「え? 俺が?」

「忙しい二人の時間を取らせるんですから、それくらいして下さい!」

「う。わ、わかった」


 私の勢いに圧されて、しゅーくんは頷いた。

 これで良し。


 次に私は、大森さんに声を掛ける。


「大森さん。先程勝敗は関係無いって仰ってましたけど。私達、やるからには勝ちにいきますよ? ご指導、宜しくお願いします」

「承知致しました。全身全霊をもってサポートします」


 大森さんは力強く頷いた。

 ホント、宜しくお願いしますよ。貴方が頼みの綱なんですから。

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