(5)二回目のプロポーズ

「お疲れ」


 しゅーくんはそう言って、缶コーヒーをくれた。

 そういや、近くに自販機があった気がする。まだほんのりと温かい。


「ありがと。──気付いてたんだ?」

「真後ろであんなに喋ってたら、そりゃ気付くさ。かおりんは声が大きいんだよ」


 やつれた顔で、彼は苦笑混じりに応えた。

 やれやれ。どっちがお疲れなんだか。


「……ごめんな。情けない姿、見られちまったな」


 彼の表情が暗いのは、日が陰り始めたせいだけではないだろう。


 そっか。

 単に敗北して悔しかっただけじゃないんだ。

 私の目の前で負けたのが情けなくて、だから気付いていながら歩き去ったんだ。挨拶することも忘れて。

 だから彼は、涙を流していたんだ。


「いいよ、そんなの。あの子強かったじゃん。負けてナンボの将棋でしょ? 次勝てば良いんだって」

「ああ。次は絶対に勝つ」


 彼の顔を真正面から見るのは、いつ振りになるだろう?

 胸が熱くなるのを感じた。そうだ私は、この顔を見たかったんだ。


「ねぇ、将棋って、楽しいね」


 満足感と共に、コーヒーを飲み込む。疲れたけど、楽しかった。

 そして、嬉しかった。


「だろ?」


 彼と共有できた、この時間が。


 夕暮れの並木道を、二人連れ立って歩く。

 まるで夢のようだった。


「そうだ、あなた。今夜は肉じゃがにしようと思うんだけど」

「え。マジ?」


 私が思い出して言うと、何故か露骨に嫌そうな顔をするしゅーくん。

 何だ、そのリアクションは。


「何よ? 肉じゃが好きでしょ? 美味しい美味しいって、嬉しそうに食べてたじゃない」

「それは、ほら。付き合ってる頃は手作りの料理が嬉しくてさ。けど、何度も食べてる内に、その──飽きてきたと言うか、何と言うか」


 彼の言葉にハッとする。

 まさか。私の料理、不味いのか?

 気に入ってくれていると思ってたのに。少しばかり、ショックではあるが。

 それ以上に、この会話を楽しんでいる私が居た。

 ほんと。久し振りだなあ、こういうの。


「……わかった。じゃあ、一緒に作ろ? あなたの好み、私に教えてよ」


 笑って、私は応えた。

 ああと頷いて、彼は私に顔を向ける。


「なあ、かおりん。俺、嬉しいんだ。かおりんが将棋に興味を持ってくれて」


 真剣な表情で、彼は言う。

 この感じ、プロポーズの時と似ている。


「できればこれからもずっと、俺と一緒に将棋を指してくれないか?」

「……うん」


 頷く。

 涙が溢れそうになった。


 これまで独りで過ごした時間を思い出す。それは泣く程に辛かったけど、でも。

 彼を愛して、本当に良かったと思った。


 この人は一途なんだ。恋愛にも将棋にも、不器用なくらいにひたむきなんだ。

 私はようやく、夫のことを理解できた気がした。


 手を繋ぐ。


 その後家に帰るまで、二人とも黙っていたけど。

 私は、幸せだった。



 彼は初段になりたいのだと言う。

 あの女の子、りんちゃんと同じ段位に。

 それは、級位者共通の目標なんだとか。


 ならば、私も初段を目指そうと思う。


 まだまだわからないことが多いけど。

 きっと想像以上に大変な道のりなんだと思うけど。


 それでも、彼と一緒なら。

 どんな困難だって、乗り越えていけると思った。


「宜しくお願いします」


 夢想するのは、初段になった夫との真剣対局。

 いつの日にか、それが現実になると信じて。


 私達は、今日を生きていく。



 第一章・完

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