さすらう意思(2)

 ブレアリウスの三角耳は歓喜に雄々しく立っている。外に出ていれば尾は揺らめいているだろうとデードリッテは思った。


『ブレアリウス?』

 美女は慈愛の眼差しで彼を見る。

「決まってる。らしくもないことを言うからだ」

『そう、矛盾ですわね。あなたに生きるよう言いながらわたくしを「殺せ」などと』

「貴女の願いなら何でも聞く。貴女のためなら何でもする。だが、その願いだけは許せない」

 人狼は不平を言う。

『傷付いてしまったのね。ごめんなさい』

「絶対に救いだしてみせる。だから二度と言うな」

『ええ、あなたに賭けます。でも、わたくし本体の破壊は最後の選択肢として頭の隅に留めておいて』

 彼は納得しないとばかりに無言で応じた。


(まるで駄々をこねる子供みたい)

 彼女はそう思う。


 やむを得ない事情から、心から愛している母親にしばらく放置された子供が不平不満をぶちまけているように見える。謝る相手に表向きは反発しながら、心の中では自分を見てほしいと訴えつづけているかのよう。


『久しぶりなのに驚かないのね?』

「会える気がしていた」

『そうなの?』

 立体映像のシシルが近付いてきて狼の胸に手を置く。

「不可能が似合わない人だ」

『買いかぶりよ』

「実際に俺の前にいる」


 実体があるなら抱きしめていただろう。ブレアリウスの腕は持ちあがりかけては自制をくり返している。それが無駄だと何度も学習したからだと感じた。


『こんなに立派になって』

「何のために生き延びてきたのか分からなかった。だが、今は分かる。貴女という人を救うためだ」

 断言する。

『そんなに喜ばせないで。ここまでやってきたのだから、わたくしが何なのか理解したのでしょう? それでもと呼ぶの?』

「考えるまでもない」

『どうして?』

 小首をかしげるとシシルの長い金髪が揺れる。

「少年時代に接した人の中で貴女がいちばんだったからだ」

『それは、不幸ね』

「母に愛を学ぶ時間をもらえなかった俺に愛を教えてくれたのは貴女なんだ」


 優しさや情、誰かを思いやる心などを全てシシルから学んだのだとデードリッテは気付いた。ブレアリウスの基本を形作っているのがシシルである。


(わたしも人造物だなんて思えない。人か、どちらかといえば神の概念に近いもの)

 彼女でさえそう思える。


「もう放さない」

 大輪の花がほころんだように美女が笑う。

『わたくしの旅はもう終わりですのね。求め願いながらも、長い刻の中で諦めかけていたものが見つかりました』

「俺にもう少し時間と可能性をくれ。必ず願いに見合う相手になる」

『ええ、わたくしが与えられるのでしたら』


(うらやましい)

 それが正直な感想。


 デードリッテが思っていたよりずっと繋がりは深いものだった。それが再び強く縒り合わさっていったように感じる。


「なんだか目の前で浮気されている気分」

 思いは裏腹な形で唇から漏れてしまった。

「う、浮気じゃないぞ。俺はただ……」

「ただ?」


 何とも例えがたい相手なのだろう。母と呼ぶのはおこがましく、神と呼ぶには近すぎる。狼は言葉に困っている。


『感情的には極めて複雑な存在なのですよ。許してあげられて?』

「いいですけど」

 デードリッテもどう接するべきか測りかねている。

『少なくとも情愛を求める相手ではないということですわよ』

「情愛ぃ~!」

『うふふ』


 直接的な表現に顔を真っ赤にして身もだえする。見透かされてはぐらかされた気分だ。


「応答パターンじゃないってことはシシル本人?」

 息を整えながら尋ねる。

「ここは何ですか?」

『元のわたくしの身体の製造ブロックですわ。シェルターとしても機能するようにしてありますの』

「それだったら通信も!」

 シェルターなら通信設備もあるはず。

『ごめんなさいね。通信機器はパージしたときに何かに当たって破損してしまったの』

「そうですかぁ」

超空間フレニオン通信機の部品は特殊だから素材もストックしてなくて』

 製造できないという。


 それゆえに接続できる環境があって、この製造ブロックを呼び寄せることはできても外部とのラインが復活することはなかったのだそうだ。


「レギ・ファングの修理ができそうだから良しとしないと」

 彼女はそれで満足すべきだと思った。

『わたくしがどうしてここに居られるのか不思議ではなくて?』

「そうだった。ここだと通常出力の電波はターナミストで接続が不安定だし、強力な電波なんか発したらすぐ発見されちゃう。でも、何の関係が?」

『特殊なフレニオン接続ができる装置をここに置いておいたからですわ。それを介して意思を伝えていますのよ』


 極めて特殊な時空外物質フレニオン送受信装置があるらしい。超高周波帯域を利用するゆえ大胆な小型化ができる一方、周波数調整ができないために対となる機器間でしか繋がらないシステムなのだそうだ。

 片方はシシル本体の外殻内に隠されており、もう片方がここにあると彼女は説明した。


『だからタイプワン、レギ・ファングと名付けたのでしたね。修理は不要でしてよ』

「え?」


 片脚を失って倒れ込んでいるレギ・ファングとは反対側の隔壁が静々と開いていく。漏れ入っていく照明を反射するのは青い塗色。凛々しいフォルムを持つ新たなアームドスキンがその姿を露わにした。


『タイプツーを使いなさい』

「はぁ……」


 一層洗練されたディテールを持つ優美な機体にデードリッテは溜息を漏らした。

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