憎悪の鎖(3)
司令官室のサムエルは軍帽を整えると通話パネルに正対する。「接続中」の文字のあとに現れたのは、毛並みからも年季が窺える高齢のアゼルナン、テネルメア・ポージフである。
「こうして話すのは参戦勧告のとき以来ですね、ポージフ議長」
彼は朗らかに挨拶する。
「そうだな、エイドリン司令。相も変わらず軍人には見えぬ。俳優業でもすればと思っていたが、どうやら本当にメディアを賑わわせておったようだ」
「お恥ずかしながら少しばかり。本意ではなかったんですけど」
「お呼びがかかるのではないか? 儂らの相手をするよりは安全で華やかな世界で活躍してはどうか」
軽い皮肉で応じる相手に底知れなさを覚える。
「残念ながら向いてはいないのですよ。こちらの世界に面白さを感じてしまっているので」
「物好きなことだ。血生臭い世界を選ぶとはな」
(まったく因果なことです。老獪な人物と対しているときほど生きていると感じられるのですから)
単に見くだし、口汚く罵ってくるだけの相手をあしらうのなどは退屈だと感じてしまう。
「お互い健勝で何よりということで本題に入ってもよろしいですか?」
前哨戦の終了を示す。
「だのう。儂も敵将と茶飲み話に興じるほど老いぼれてはおらぬでな」
「では。現在、貴国の同胞三百十四名をお預かりしております。お帰りいただきたいと考えていますので、準備のほうをお願いできますでしょうか?」
「ふむ、儂らは受け入れ準備に何をすればよいのかのう?」
すぐに飲み込んでくれるので話が早い。
「そうですね。
「それはどこの誰のことであろうか?」
「韜晦は結構です。囚われの姫君のことですよ。私どもにとっては極めて重要
テネルメアは顎に手を当てて「うーむ」と唸っている。認めるつもりは欠片も感じられない。
「憶えがないの。儂も耄碌してきたのじゃろうか」
申しわけなさそうに耳を寝かせる。
「アーフ支族のエルデニアン殿も帰還をご希望されているようですが思い出してはいただけないみたいですね?」
「すまぬのう」
「では仕方ありません」
ここを掘り下げようとしても時間の無駄だろう。サムエルもこれ以上の問答を嫌って話題を切り替える。
「貴国でお世話になっている管理局員が多数いると思います。こちらは記憶にございますでしょうか?」
「おお、それなら憶えておるぞ」
老狼は手を打って応じる。
「ゆっくりしてもらっているが、そろそろお引き取り願うのもやぶさかではない。儂のほうで
「いえ、こちらで手配いたしましょう。ご同胞をお送りする便でお迎えにあがろうかと考えています」
「なるほど。それなら手間が省けるというものだのう」
アゼルナは一応、今現在も星間銀河加盟国である。どこの加盟国にも必ず管理局ビルがあり、そこにブースが置かれている。外交問題の仲裁申請や貿易問題の解消申告、人権問題の調査依頼などをそこで受け付けている。
当然アゼルナにもブースは設置されていた。首都ディルギアをはじめ、主要都市には管理局ビルが置かれていたのである。そこで勤務していた局員の帰還がすんでいないのだ。
開戦直後には近隣国家の民間人の脱出には寛容に応じていた支族会議だが、管理局員は拘束されたようである。
何度かの捕虜交換で地方都市の局員に関しては帰還が叶っていたが、ディルギアの管理局ビルの職員二百三十九名に関しては、今も所在さえ判明していない。
(現地の状況を一番把握しているのが管理局員ですしね。アームドスキン開発の気配を感じていたかもしれないので手放せなかったということでしょうか)
これまでの交渉では、なかなか
(まあ、管理局員の中に諜報員をまぎれ込ませているのは公然の秘密のようなものですから、投入までは絶対に解放するわけにはいかなかったのでしょう)
ここで解放を許したのは、表立って嗅ぎつけられるものが何もないという意味。
(ゼムナの遺跡をどこに隠しているかは覚られない自信の表れですね。これは情報には期待できません)
まず優先すべきは彼らの命である。
「こちらはいつでもお帰りいただいて結構ですので、一週間くらいのうちには安全な道を準備してもらえますでしょうか?」
安全確保のための実務者レベルで詰めが必須だろう。
「すぐに取りかからせよう。こちらから回線を開けるよう取り計らってもらえるか?」
「ええ、協議準備が整ったらお知らせください」
「うむ。これからも互いを尊重できる関係を築きたいものだ」
争いの中でという意味らしい。
「そうですね。心から願っています」
(まあ、我々
テネルメアのそれも口先だけのおためごかしであるのは推し量るまでもない。
老人狼の瞳の奥にある獰猛な光をものともせず、サムエルは軍帽をとって目礼で応じた。
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