アゼルナの虜囚(9)

 旗艦エントラルデンのほとんどのクルーが各所の投影パネルに気をとられる中、エンリコは悪戯心で艦橋ブリッジの様子をモニターしている。


「来るよ」

 メイリーが言うと、設定地点に虹色の泡が生まれていた。


 泡は膨張、巨大化していく。スケールが違いすぎて現実感に乏しいが、最大で20km以上の直径に育っている。


「ユーリンちゃんたちはお手上げ状態だよん」

「仕方ないじゃないの。あれだけの大質量が通常空間復帰タッチダウンしてきたら、今宙域おそとは重力震の嵐の真っただ中なんだし」


 観測しようにも計器類は全く意味をなさない状態。詰めている十人の通信士ナビオペはシートにもたれかかって同じ映像に見入っているだけ。

 虹色の泡の中心に超巨大建造物が徐々に姿を現す。機動ドック『メルゲンス』である。


「これだと10キロfdくらい向こうでも観測できちゃいそうだね」

 メイリーは苦笑い。

「10kfdったら150万kmかぁ。それくらいは余裕だし、想定質量まで算出できそうじゃん」

「さすがにアゼルナだと重力震を検知する程度かな?」

「そうそう。でも、この件はハルゼトのシンパからすぐに連絡いっちゃうんだろうさ」


 1fdは150km。これは星間銀河の基礎を築いた始祖の惑星が、恒星からの距離を百万分の一にした宇宙単位。メートルでは桁数が大きくなりすぎるために生みだされたものだ。

 おおよそキロメガギガあたりまで使えば星系内での表現は可能になっている。恒星間となればもう「光年」を使うしかない。


「今ハルゼトまでの距離ってどのくらい?」

「待って待って。調べるから」

 エンリコは算定値を確認する。

「だいたい55kfd825万kmくらい。ほんと近いよね」

「なにせ潮汐力で影響受けるくらいじゃない。最接近で?」

17kfd255万km


 万有引力は相互の質量に比例し、距離の二乗に反比例する。質量にして僅か八十分の一ほどの衛星でも、38万kmの位置にあれば海の満ち引きを生みだしてしまう。

 あまり変わらない質量同士の惑星がたった255万kmの距離にあればどれ程の影響があるか想像もつかない。


「ハードだねぇ」

 彼女は腰に手を当てて首を振る。

「いやいやそれでもさ、公転速度の違いが僅かなだけだから何千年に一度の接近ですんでるんじゃん? これが数年置きだってみなよ。絶対に生き物なんて住めない惑星ほしになってるね」

「ほんとだ」

「俺たちも重なる偶然のうえで生まれてきたらしいな」

 ブレアリウスも感じ入っている。


 どこの惑星ほしでも生物の発生はいくつかの偶然を必要とする。アゼルナに関しては極め付きといえるかもしれない。


「そこまでの規模じゃないけどさ、これだって結構な見ものだと思うけどディディーは見にこないの?」

 リーダーは狼頭に問いかける。

「レギ・ファングのフィードバック機の開発作業が詰めらしい。アウルド主任と駆動シミュレーションをすると言っていた」

「おやおや、理系女子博士はマシンのほうがお好みですか。設計作業はちょっと前に終わったってスッキリした顔してたと思うけど」

「設計だけでは終わらんようだ」


(ブレ君ってば素知らぬ顔しちゃって。トレーニングルームの隅で二人並んで座って話してたの見ちゃってるんだよね。ディディーちゃんはあれからご機嫌なんだけどさ)

 エンリコも詮索するほど野暮ではない。


「ん? 試作機はメルゲンスあれの中で作業進んでるって聞いたんだけど?」

「実可動させる前のチェックしてるんじゃないかな」

 開発を急ピッチで進めるために並行作業をしていると彼も聞いている。

「銀河の至宝ともなると信頼度が違うんだね。試作機だって相当予算かかると思うけど」

「問題なければそのまま実戦投入するらしい」

「ふーん。まあ、レギ・ファングで実用テストしているようなもんだもんね」

 狼の言でメイリーも納得した。

「こっちまで回ってこないかなぁ?」

「第一号はGPFのトップパイロット殿のところへ行っちゃうと思うけどさ」

「それは仕方ないね。期待して待ってよ」


(たぶん任されると思うね。なにせぼくらのシュトロンじゃ性能的にレギ・ファングに追いつけない。結果的に枷になってるし)

 エンリコはそう思うし、メイリーもそれを理解して期待しているのだろう。


「落ち着いてきたらしい」

 ブレアリウスが携帯パネルを指差す。

「ほんとだ。ブリッジクルーが動きはじめてる。旗艦はいち早く乗りこめると良いんだけどさ」

「優先されると思うけど、なんで?」

「だってさぁ、あれだけでかい軍事施設だよん。厚生設備も充実してるに決まってるじゃん。楽しみ楽しみ」

 あれやこれやと想像する。


 準公務官試験をパスするのに、久しぶりに真剣に勉強に取り組んだのだ。それくらいの恩恵は期待してもばちは当たらないだろう。


「せいぜい楽しみにしておけば」

 メイリーの視線が冷める。

「あんたが期待しているような、可愛い女の子が大勢で歓迎してくれるようなお店は入ってないと思うわよ。もし仮にあったとしたらギャラを全部吐きだす羽目になるんじゃない?」

「そん時はリーダーに頼ります」

「やだね」

 すげなく扱われる。

「じゃあじゃあブレ君、お願い」

「貸さない」


 警戒して耳が後ろに寝ている。仔狼のアバターにいたっては、彼に向けて後ろ脚で土を蹴りかけるジェスチャー。


(ま、そこまでは無理だろうね。ユーリンちゃんをデートに誘う先が増えたって納得するさ)


 エンリコはあれこれと想像の翼を広げて相好を崩した。

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