戦場の徒花(13)

『見た目はこんなに怖いですけど、とっても優しい狼さんです』

 動画の中のデードリッテは躊躇いもなく歩みよって膝におさまる。


 フィットスキン姿の人狼と違い、理系少女は半そでのシャツに膝丈のひらひらとしたスカート。可愛らしさと同時に、一緒に映るアゼルナンと比較すればあまりに華奢に思える。


(何をする気?)

 エレンシアには彼女の意図が全く読めない。


『彼はわたしたち人間種サピエンテクスから見れば天敵といえるかもしれません。なので立派な武器を持っています』


 デードリッテは自然に狼の鼻面に手を伸ばすと、おもむろにその口を両手で開く。そこには最低でも5cm以上はあるだろう鋭く真っ白な牙がずらりと並んでいる。

 その上下の牙の間に素肌の腕を差し入れる。ずっと笑顔のまま。


「ひっ!」

 一度見たはずのカメラマンが思わず悲鳴を漏らす。ディレクターも息を飲んでいた。


(度胸は褒めてあげなくもないわ)


『鋭い牙は肉を噛み裂き骨をも砕く道具。でも少しも怖くありません。だって彼がわたしにその牙を使うことは絶対にありませんから』

 腕を抜いたデードリッテは口を閉じた狼の頬を撫でる。

『この爪も立派な武器』

 手を持ちあげて爪を白い肌に押し当てる。

『その気になれば肉をえぐり、大量に血を滴らせるでしょう。でも彼は優しく私に触れるだけ。傷付けないよう細心の注意を払って』


(茶番だわ。何したいの?)

 エレンシアの中で苛立ちが首をもたげる。


『彼はアームドスキンのパイロットです。わたしが建造したばかりの新型機に乗ってくれています』

 姿勢を正して視線をカメラに戻す。

『もっと強大な牙を持っているのに、その破壊の道具は侵略を企てるアゼルナからハルゼトの自由を、人々を守る盾になっているんです』

 真摯に訴えている。

『アームドスキンは決して殺戮兵器などではありません。使う人の思いによって平和と人権を守る牙たりえるのです。わたしは可能性を信じ、誇りをもってアームドスキン開発に取り組んでいます。人類の未来のために』


(やっぱりね。小細工を交えてくれたけど、それがどこまで響くかしら?)

 甘さを感じて嘲笑う。


『そして、きっと彼は思いに応えてくれます』


(は?)


 再び横座りになったデードリッテは人狼の頭に手を伸ばす。右手で頬に触れ、硬いヒゲを撫でつける。左手を伸ばして三角耳をもてあそぶ。狼は為すがまま。


『わたしの素敵な狼』


 両手でマズルを挟んで引きよせる。焦げ茶色の鼻に唇を押しあてた。


「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

「これ、マズいでしょ、エレンシアさん?」


 亜麻色の髪の娘は完全に恋した乙女の目をしている。スキャンダルを誤魔化すための演技などではあり得ない。性的な話題を軽く振られただけで動揺を隠せなかった娘にそんな芸当ができるわけがない。


(しかも「思い」とか意味深な台詞まで交えるなんて。やってくれるじゃないの)


 そのままでいけば彼女の信条を体現してくれるという意味。だが、受け取り手はそれだけじゃないと邪推してしまうだろう。


「完璧にやられたな」

 ディレクターが匙を投げる。

「これじゃ会見の様子をどんな編集にしたところで意味はねえ」

「嘘くさくて誰も信じてくれないですよ」

「あの小娘……!」

 とんでもない爆弾を放り込んできた。

「こりゃ最悪だ。ZBCは世紀の大誤報を発信したことになっちまった。こいつは辞表を書かされる羽目になるかもしれないな」

「そんなぁ」

「お前も身の振りようを考えとけよ。ローカルメディアなら拾ってくれるかもしれないぜ?」


 ディレクターとカメラマンは諦めムード。怒りに身を震わせる彼女のことなど眼中にない。


 下唇を噛みしめたエレンシアは前歯をルージュで赤く染めた。


   ◇      ◇      ◇


『なんだよ、あの狼!』

『ぼくらのディディーちゃんにあんな顔させるなんて、うらやまけしからん!』

『でも、あの人狼に喧嘩売る度胸ある奴いる?』

 ハイパーネットは今日も賑やか。

『うう』

『無理』

『怖え。食われる』

 本能的に尻込みしている。


(情けない。俺たちの武器はなんだ)

 一人のユーザーは憤懣やる方ない様子。

(狼一匹くらい潰すのは造作もない。社会的に抹殺してやる。まずは奴の弱点を探るとこからだ)

 指の動きを速めた。


 すると突如として端末は動作をやめる。キーパネルも反応しなくなってしまった。


おいた・・・がすぎてよ、坊や』

 投影パネルに文字列が並びはじめる。

『諦めなさい。あまり他人様に迷惑ばかりかける使い方しかできないなら痛い目に遭ってしまうかしら?』


「誰だ? うるさいぞ。俺に指図するな」


 別の端末を取りだし、新たなパネルを立ち上げる。しかし、それもすぐに機能しなくなった。


「なんだよ!」


 パネル内に新たな表示。それは彼が収入源としている株取引システムであった。独自にプログラムして分析結果に基づいた取引でコンスタントに収入を得られるようにしてある。


「げ!」


 一つのカテゴリが異常な動作をする。月に最低でも10Kトレド二百万円は稼いでいるカテゴリだが、取引を確定させたかと思ったら儲けの全額を児童養護施設に寄付してしまった。


「おおい! 何やってんだよ!」

 慌てて取り消そうとするが、すでに振り込まれていて無理だった。


『あら、あなたって慈善事業家なのね?』

「あんたは誰なんだ!」

『さあ、誰かしら?』

 周辺機器まで支配下に置き、彼の声まで拾っている。


(う……お、ハイパーネットに潜む神なのか? 絶対に逆らっちゃいけない女神が存在するのか?)


 その後、彼は改心して本当に慈善事業家へと転身したのだった。

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