青き狼(6)

 ブレアリウス本人が言うほどアゼルナンは汗をかかない。彼らは毛皮を持っているので汗などかけば纏わりついて動きの邪魔になる。汗腺は手の平と足の裏、毛の薄い腹部に薄く分布しているだけ。

 なのでほとんど汗臭くならない。体温調節を呼吸数に依存している。それは彼らの故郷であるアゼルナが寒冷地であるのも原因だろう。彼らは毛皮を脱ぐ機会を忘れ、独特の進化を遂げた。


(でも、毛皮を維持するために皮脂は多いみたい)

 毛足に指を入れると僅かに張りつくような感触。

(特有の臭気が感じられる。ブルーはこれを気にしてるんだ)

 デードリッテは獣臭さを味わっている。


 アンダーウェアだけにしたブレアリウスをバスタブの縁に座らせて背中をシャンプーで泡立てる。密な毛が面白いほどクリーム状の泡を作りだした。

 指先に感じるのは筋肉のうねり。自分で腕も洗っているので背筋もそうと分かるくらい躍動していた。


(面白ーい。首がない)

 正確には無いわけではない。ほとんど筋肉の柱になっていてくびれがないのだ。

(この首で重心が前寄りの頭を支えてるんだ。それも私の頭なんて軽く入りそうなくらい大きな顎を持った頭を)

 彼が本気になればデードリッテの頭蓋くらい簡単に噛み砕いてしまうだろう。


 希望通り狼を洗った彼女は満足してバスルームを出る。そうしないと洗えない部分があるだろう。

 その間に濡れたフィットスキンを脱いでクリーニングに出した。ショートパンツを履きなおし、トップスは無地のTシャツの上にライトブルゾンを羽織る。


「終わった?」

「ああ」

 ブレアリウスは新しいフィットスキンの上にパイロットジャケット。

「担当官は?」

「ブルーに襲われたりしてないのを確認したから、わたしのフィットスキンをクリーニングに出すついでに部屋の手配に行ってもらったの」

「俺は何だと思われている」

 見た通りのけだものだとは思っていないはずだが。

「気にしないの。あの人も公務員」

「軍属だから色々あるな」

「それより作らなきゃいけないものあるんだから」

「作る?」

「うん。あ、疲れてない?」

 大丈夫だという。人間種サピエンテクスとは体力量が違うようだ。


 個人端末で調べると、星間平和維持軍ビルには開発用工作室がない。困ったデードリッテはポールと連絡を取って、併設されているハルゼト軍施設の工作室を借り受けることにした。


「何を作るんだ?」

「アームドスキンの操縦に必要不可欠なもの」

 狼の耳が気忙しく動きはじめた理由は疑問だろうか。

σシグマ・ルーンっていう精神感応操作用の装具ギアが必要なの。ブルーは頭の形が特殊だから標準品は使えそうにないんだもん」

「頭に着けるのか。それではアゼルナン用の標準品でも填まらんだろう」

「専用品を作ってあげる」


 人間種サピエンテクス用のσ・ルーンなど無理に決まってる。アゼルナン用も彼女は設計しているが、それが機能しそうにないので改造しないといけない。頭の中には設計図があるので作業も大したことにはならない。必要なのは採寸と装着感の調整だけ。


「見ーつけた」

 フロア図に従って進むと工作室があった。

「個室になってる。良かった」

「ハルゼトは星間銀河圏の文化が色濃いからな。守秘義務にもうるさい。オープンにすると困る技術が含まれるのか?」

「それほどじゃないけど、ちょっと困るかなぁ」

 ゴート産技術は扱いがデリケートでもある。


 改造といっても大幅にはならない。本体となる制御部と燃料電池パックは後頭部。人間種用なら馬蹄型にまわして耳にかける構造だが、アゼルナンでは耳は上になる。動きを妨げないような柔軟性のあるリブを頭頂部へと伸ばして両耳で保持する。スピーカーはリブの途中。そこまではアゼルナン用の流用で済んだ。

 問題は投影端子やカメラ、マイクといった端子。普通のアゼルナンと違ってブレアリウスは口までの距離が著しく長い。延長と重量バランスの調整が不可欠だった。デードリッテの中の機械工学博士の血が騒ぐ。


「さすがに速いな」

 工作機械の前でオペレーティングをする彼女の指をそう評した。

「んへへ。専門家だもん。操縦中のブルーの指もこんな感じだよ」

「身体に染みつかせているのと新しい物を作るのには雲泥の差がある」

「褒めなくてもちゃんと作ってあげるから」

 他意はないと分かりながらも照れ隠しを混ぜる。


 加工は数分で完了。金属部品に新作パーツはないのでそんなものだ。


「これ、着けて」

 狼に差しだす。

「合わせるんだな。使うのはアームドスキンが手配できればの話だろう」

「ううん、普段から着けっぱなしにして。これはブルーの動作パターンを脳波で学習する装具ギアなの。寝る時と入浴を除けば着けておくのが基本」

「そうなのか」

「軽くしてあるから気にならないはず」


 ブレアリウスは装着して電源ボタンに指を伸ばしている。投影端子がランプを点滅させて起動を示した。一瞬の間をおいて3D映像が結像する。


「え? あれ?」

「ん?」


 予想では二頭身キャラクターアバターが現れるはず。ところが結像したのは子犬、もとい仔狼だった。四本脚で立ち、不審そうに周りを見まわす。首を下げて匂いを嗅ぐ仕草をしながらとてとてと中空を歩きまわっている。


「なんでー! あははは!」

 笑いが堪えきれない。

「どうした? これは変なのか?」

「普通と違うー!」

 息を整えながら通常の動作を説明する。

「どうしてだ……」

「分かんない、あはは。ソフトウェアは専門外だし、オリジナルをコピーしてあるだけなの。σ・ルーンの中身までちゃんと解析できているのは一部の人。専門家だって頭をひねってるから。関係しているとしたらイメージかな?」

「これが俺の自分に対するイメージなのか」

 狼はしおれている。


 作業は済んだので退室する。歩いていると通路の向かいから別のアゼルナン二人組がやってきた。


「うわ、マジかよ」

「なんでがここに?」


 その途端、ブレアリウスは牙を剥き出しにした。

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