4-5 桜色プリティーモンブラン
◆ ◆ ◆
カイトの特異体質の原因となった、あのときの会話。
マイはそれを、この二十年の間、一瞬たりとも忘れたことはなかった。
自らがカイトにかけた呪い。マイにはそれを解く責任がある。
『マイちゃん、おおきくなったら、おれとけっこんしよう!』
カイトは真剣な目をしていた。
『うん。もちろん! そのかわり、うわきはしちゃダメだからね』
『うわきって?』
偶然見ていたドラマに出てきた言葉だった。あとで母親に意味を聞いたところ、困ったような顔をしながらも、マイにも理解できるように教えてくれた。
『ほかのおんなのこをすきになったり、つきあったりすること。ぜったいダメだからね。あと、ほかのおんなのこがカイトくんのことをすきになるのもぜったいにダメ。わかった?』
『うん、わかったよ。ほかのおんなのこをすきになったりしないし、ほかのおんなのこもおれのことをすきにならない』
幼少期にありがちな、微笑ましいエピソードだ。しかし、カイトの心はあまりにも純粋で――。
『ほかのおんなのこがカイトくんのことをすきになるのもぜったいにダメ』
マイのその一言が、カイトを縛り付ける呪いとなり、例の特異体質を顕現させてしまった。マイはそう確信していた。
これまでの間、カイトに言うタイミングを逃してしまった。いや、タイミングならいくらでもあった。ただ、怖かった。マイは逃げていたのだ。
もし打ち明けたら、カイトに嫌われてしまうのではないか。
そんな不安が邪魔をしていた。
カイトは優しい人間で、めったに怒ったり嫌ったりすることはないだろう。だからこそ、万が一強く拒絶されてしまったら……。そう思うと、心がきしむような痛みを感じて、とてもではないが言い出すことができなかった。
今度こそ伝えよう。毎回そう思っていても、勇気が出ない。ずっと見ているだけだった。今年だってそうだ。
夏にファミレスで店員に告白されたときも、秋に同級生と集まっていたときも、冬の合宿のときも、カイトは鼻血を出していた。届かなかった想いがあることに、誰よりもカイト自身が苦しんでいる。
そのたびに、マイは自分の言葉がその体質の原因であることを伝えようと思った。
だけど――好きな人に嫌われることは、死ぬよりも怖い。
パソコンで、翌日のカイトの予定を確認する。カイトのスケジュールがぎっしりと記されている文書ファイルを開いて、明日の日付の欄を見た。ファミレスで新作小説の打ち合わせ、となっている。
マイは、明日に備えて寝る準備を始めた。
◇ ◇ ◇
カリンが突然訪ねて来た日の翌日。
カイトは幼馴染で担当編集のツヨシと、近所のファミレスで打ち合わせをしていた。
この店の店員に告白されて鼻血を出した事件から、もうすぐ一年が経とうとしている。
「今書いているものについてはこんなところか。また何かあったら追って連絡する。さて、他は――」
ツヨシは、進行スケジュール表や、ポップ、帯などのアイデアなどが記された紙の束をトントンと揃え、クリアファイルにしまう。
「お待たせいたしました。期間限定、桜色プリティーモンブランと抹茶パフェでございます」
ピンクに染まったモンブランと緑色のパフェがテーブルに置かれる。モンブランはカイトの、抹茶パフェはツヨシの注文だ。
運んできたのはゆるふわカールのアルバイト、
店長とは今も付き合っているのだろうか。カイトはそんなことを思った。
「ちょうどいいタイミングだな。食べながら話そう。で、新作についてはどうだ?」
「……ま、まあ、順調かな」
カイトは視線を斜め上に向けながら言った。
「十代向けの恋愛ものだったな。タイトルや内容は決まってるのか?」
「タイトルはまだだけど、内容はある程度は」
「そうか。どんな感じだ?」
ツヨシは両肘をテーブルにつき、組んだ指の上にあごを乗せる。商品として売れるかどうかを見定める、厳しい編集者の目だ。
「とりあえず、ここまではできてる」
カイトはパソコンを開き、作品のプロットが書かれたファイルをツヨシに見せた。
ツヨシはそれを真剣な表情で読み始める。カイトはテーブルの下で組んだ指を見つめていた。
「……あまり、お前らしくないな」
ツヨシがポツリと漏らした。
「やっぱり、そう思うか?」
カイトは困ったように笑った。作品については微妙な反応をされたものの、自分でも同じように感じていたので、ツヨシにそう言ってもらえてホッとした部分もあった。
「ああ。ありがちなキャラクターや設定、王道的な展開をつぎはぎにしたような感じで、新しさがない。これで書いても、どこかで見たことのあるものにしかならないと思う。まあ、橘カイトの名前があればそれなりに売れるだろうが……お前はどうしたい?」
編集としてはゴーサインを出してもいいが、このままだと一読者としては物足りなさを感じてしまう作品になる気がする。ツヨシはそう言いたいのだろう。
最終的には、選択をカイトにゆだねることにしたようだが。
「そうだよな。ごめん。もっと考えてくるよ」
「ただお前の場合は、書いてる途中で展開が変わることなんてしょっちゅうだから、このままいったん書き始めてみてもいいとは思うが、どうする?」
「……実は、何度か書き始めてみてるんだけど、どうにもうまく書けなくて……」
カイトが目を伏せて言う。自信のなさそうな声だった。
珍しい光景に、長年の付き合いであるツヨシも、どうすればいいのかわからなくなってしまう。数秒間の沈黙が二人の間を埋める。
「つまり、行き詰まっている、と」
「……そう、なるかな」
その通りだった。カイトは力なく頷いた。小説を書き始めてから今まで、スランプとは無縁だったカイトが、初めて執筆で悩んでいる。
「何か、別に悩みがあるんじゃないか?」
怒られると思っていたが、予想に反してツヨシは心配そうな声音で尋ねてくる。
「どうしてわかった」
「そりゃあ、編集だからな。お前以外にも色んな作家を見てきてる」
「さすがだな」
カイトが感心する。
「というのは嘘だ。お前がモンブランを食べるときは、決まって悩み事があるときなんだよ。何年の付き合いだと思ってるんだ」
カイトの目の前の、まだ半分ほど残っている桃色のモンブランに視線を向けながらツヨシが言う。
「高校で自分のファンクラブに教頭が入っているのを知ったときも、大学でサークルの先輩のギターに醤油をこぼしたときも、お前はモンブランを食べてただろ」
「はは、参ったな。……じゃあ、少し話を聞いてくれるか?」
「名作が生まれる可能性があるんなら、いくらでも聞いてやる。それが編集者の仕事だ」
担当編集として言っているように聞こえるが、友人として気遣ってくれていることを、カイトはわかっていた。最後の一言はきっと照れ隠しだ。
カイトの方も同じように照れていたが、それを隠すようにして話し出した。
「実は……昨日、カリンが訪ねてきたんだ」
「カリン? ……カリンって、あの、宝泉寺カリンか?」
ツヨシは驚いている。カイトと同じ小学校に通っていたツヨシも当然、カリンのことは知っていた。
「ああ、昨日いきなり俺の家に来て――」
カリンがディスクリの次期社長に気に入られて結婚を申し込まれたこと、まだ結婚はしたくないと考えていること、父親から出された条件に合う偽の恋人を探していること、最終的にカイトが逆に求婚されたことを話した。
一度鼻血を出して気絶したということは伏せておいた。わざわざ心配をかける必要はないだろう。
「そんなことが……」
「驚いたか?」
「そりゃあ驚くだろ。で、気絶したのか?」
「……やっぱりそうなるよな」
「さすがに、フリとはいえ求婚されたとなればな」
カイトの意図的な隠ぺいを、ツヨシは見過ごしてはくれなかったようだ。
「カリンにはちゃんと説明したよ」
「そうか」
その体質のことも含めて、カリンはカイトと結婚したいと言ってくれたのだ。
「ツヨシは、この話を聞いてどう思う?」
尋ねられたツヨシは少し迷って、答えた。
「いや……別にいいと思うぞ。普通の男からしたら、あいつと恋人のフリができるってだけでも羨ましいことだろう。その上、本当に結婚だなんて、よくできた少年漫画のラブコメでも都合が良すぎる展開だ。……ああ、もちろん、仕事はしっかり頑張ってくれよ」
「ずいぶん軽いな。何かもっと、こう、アドバイス的なものはないのかよ」
ツヨシの回答に、カイトが不満を漏らす。
「うーん、アドバイスといってもな。さっきも言ったが、客観的に見れば羨ましい話だぞ。金持ちの女と結婚できるなんて。逆玉の輿じゃないか。安心して執筆にも集中できる。まあ、せいぜい悩んで納得のいく答えを出してくれ。結局、最後に決めるのはお前なんだからな。お前自身がどうしたいか。それがすべてだろ」
正論だ。カイトは何も言い返せなかった。まさしくその通りである。それに、カイトの中で、すでに答えは出ていた。
残り少なくなったモンブランを口に運ぶ。
その瞬間、窓の外で、人影のような何かが動いた気がした。
「なあ」
カイトが首を九十度ひねる。
「どうした?」
ツヨシもそちらを見る。
「今、そこに誰かいなかったか?」
「……いや、わからないな」
ツヨシは眉をひそめる。
「ここ一年くらい、誰かに見られてる気がして落ち着かないんだ」
「お前は昔から、よく視線にさらされているじゃないか」
「それとは違うように思うんだが……」
「気にしすぎじゃないのか? お前はそこら辺の芸能人よりも顔だけはいいからな。それに、特に聞かれてまずい話はしていないだろう」
「……期待の新鋭作家の新作のアイディアは聞かれちゃまずいだろ」
「ん? 没ネタなら聞いたが、新作のアイディアはまだ聞いてないはずだ……」
ツヨシはあっけらかんと言う。
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