4-4 一度は諦めた幸福を


「で、その一か月以内ってのは、具体的にはいつまでなんだ?」

「それが……あと三日なの」

 カリンは目を伏せて言った。


「三日⁉」

 カイトは目を丸くする。タイムリミットは目の前に迫っているらしい。


「うん」

「三日……か。でも、どうして俺なんだ?」


 彼女になら、協力してくれる男くらい、いくらでもいるだろう。わざわざ二十年もあっていないカイトに頼むまでもない。


「相手の男性に関して、お父さまにいくつか条件を出されたの。大学を出てること、経済的に不自由でないこと、何か秀でた一面があること。二つ目までならなんとかなるんだけど、三つ目がなかなか、ね」


「なるほどな」

 たしかに、そこら辺のチャラチャラした若者を連れて来られたのでは、カリンの父親もたまらない。妥当な条件だと思った。


 カイトは大学を出ているし、小説家として十分に成功している。経済的にも不自由ではない。小説を書いて生計を立てているというのは、秀でた一面として認められるはずだ。


「それに、カイトくんなら性格もいいし、イケメンだし、バッチリってわけよ。というわけで、結婚を前提に交際中の恋人のフリをよろしくお願いします!」


「性格がいいかどうかなんてわかんないだろ。こうして会うのは二十年ぶりなんだし。……まあでも、俺でよかったら引き受けるよ」

 大切な旧友の頼みでもあるし、恋人のフリをするくらいならお安い御用だった。


「でもさ、カイトくんの特異体質の話を聞いたら、ちょっと考えが変わったの。本当に結婚しちゃうっていうのはどう?」

 あくまで、告白ではなく提案。そう捉えたためか、カイトは気絶しなかった。


「へ?」

 カリンの予想外の言葉に間抜けな声が出てしまう。


「ほら、その体質のせいで結婚できないってなると、せっかくの優良物件がもったいないじゃない。親御さんも悲しむし」

 俺は犯罪者か。カイトは心の中でツッコミを入れる。


「それに私は、カイトくんとなら……おっと、これ以上は告白になっちゃうか。あと、さっきはまだ結婚したくないなんて言ったけど、そもそも私は結婚にあんまり前向きじゃないんだ」


「それは、どういうこと?」

「独身のままでいたい、とまではいかないけれど、結婚って、色々と面倒くさいじゃない」


「まあ。たしかにな」

 結婚について、カイトはあまり考えたことはなかったが、言いたいことはなんとなくわかる。


「でもほら、私の家って、女は結婚して子どもを産んで一人前、みたいな、そういう古い考え方をする人ばっかだから、結婚しないわけにもいかないし……。だから、お互いにどうしようもない人同士、くっついちゃえばいいじゃんってこと。とにかく考えてみてほしいな」


 少し困ったかのように下げた眉は、あざとさを感じさせることなく、自然な愛くるしさを演出していた。


「…………」

 思わず考え込んでしまう。


 カリンの言っていることは合理的であるように思える。しかし、カリンの気持ちはどうだ。本当に好きな人ができたとき、カイトの存在は邪魔になってしまうのではないだろうか。それに、俺自身はそれでいいのか。

 様々な考えが、頭の中をぐるぐる回る。


「やっぱり、嫌かな?」

 カイトが何も答えないでいると、カリンが首をかしげて上目遣いで見つめてくる。一般的な男性であれば、思わずどんな頼みでも受け入れてしまうような、破壊力のある表情だった。カリンはそれをわかってやっているのだろうか。


「あ、いや。別に……嫌とかじゃなくて、そんないきなり決められることじゃないだろ」

 自分の口から出た台詞に、カイトは驚いた。


 約二十年ぶりに会った美少女に結婚を申し込まれる。そんな、小説みたいな急展開についていくのがやっとだった。


「わかってる。だから、三日後。お父さまに紹介するときに、一緒に返事を聞かせて」

 カリンは真剣な表情をしていた。冗談ではないようだ。


「わかった。考えておく」

 カリンが本気である以上、カイトも誠意を持って対応しなければならない。


「ありがとう。良いお返事を期待してるね」

 恋愛ができない自分は、どうせまともに結婚などできるはずもない。とっくの昔に見切りをつけたはずの幸福な未来に、小さく光がともった。


 しかし、カイトの心の中にはカリンとは別に一人の女性がいた。どうせ実るはずもないと諦めていたはずの気持ちが、カリンの提案をそのまま受け入れることを阻んでいた。


 二人の会話が途切れ、沈黙が下りる。親しい友人だったとはいえ、小学生のときの話だ。どんな会話をするのが適切なのか、カイトには見当がつかなかった。


 数秒の沈黙のあと、向かい側のソファに座ったカリンが口を開いた。

「ねえ、覚えてる? 私、一回カイトくんにフラれてるんだよ」


「え?」

 彼女が転校して以来、カリンには会っていないはずだ。カイトは困惑した。


「覚えてないの? あの、転校する前日のこと」

「そんな昔のことなんて――」

 真剣な表情で見つめてくる少女の映像が、カイトの脳裏をかすめる。


『カイトくん、おおきくなったらカリンとけっこんしてくれる?』

 八歳のカリンだ。柔らかい雰囲気は昔から変わらない。


『ごめん、カリンちゃん。おれ、おおきくなったらマイちゃんとけっこんするんだ』

 カリンの申し出を断った同じく八歳のカイト。その台詞からは、強い意志が感じられる。


 記憶の片隅に眠っていた二十年前の出来事が、今よみがえった。

 たしかに、カイトは昔、カリンに結婚を申し込まれていた。


 カリンの求婚を断って、そのあとは――。

 ああ、そうだ。たしか――。


「どう? 思い出した?」

 カリンはにこにこ笑っている。


「あ、うん」

 子どものときのこととはいえ、照れくさと気まずさを感じる。カイトはうつむいて返事をした。


「八歳児の分際で結婚だなんて、ませてたね。私も、カイトくんも」

 それを聞いて安心する。どうやら、カリンの中では小学生時代の微笑ましい出来事として認識されているようだ。


「そうだな」

「私の求婚を断った挙句、マイちゃんと結婚するなんて言ってたね」


「そこまで覚えてたのか」

「で、そのマイちゃんは何してるの?」


「ああ、それなら――」

 通っていた小学校が、小中高一貫の私立ということもあり、カイトとマイは中学も高校も一緒だった。


 カイトは、マイ以外にも小学生のころによく遊んだ友人を何人か挙げて、中学校時代の出来事を話した。思いのほか記憶に残っていたのには驚いた。

 色々なことを話して、時間が過ぎた。


「あ、もうこんな時間か。じゃあ、そろそろ帰るね。また連絡する」

「ああ。今日は来てくれてありがとな。送るよ」


「ううん。大丈夫。リムジンが来てるみたいだから」

 カリンがそう言うと、窓の外からエンジンの音が聞こえた。


「ははは。さすがだな」

 連絡先を交換すると、カリンは帰って行った。


 彼女がマンションを去った後。

 カイトは箱からダイヤのネックレスを取り出し、顔の前に掲げた。


「……なあ、俺はどうすればいいんだ?」

 呟いたが、もちろん答えが返ってくるわけがない。


 カイトは大きくため息を吐き出す。

 そして、曇ったダイヤを見て、その表情が固まった。

「これは……」

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