4-3 偽りの相手
◆ ◆ ◆
仕事を終え、帰宅したマイはイライラしていた。ここ最近、カイトに会えていないからである。彼が変な女に告白されていないか心配だった。まあ、告白されたところで、カイトは鼻血を出して気絶をしてしまうのだ。心配し過ぎる必要はないだろう。
カイトはマイが知る限り、この一年間ですでに三回も告白されている。夏にはファミレスで、秋には自宅で、冬には民宿で。不慮の事故も混じっているが、カイトがたくさんの女性から好意を寄せられていることには変わりない。
マイは焦っていた。
彼を、呪いから解放したい。そして、胸の内に秘めた想いを、彼に伝えてしまいたい。
きっと、幼いころに交わしたあの約束が、カイトをあんなにも苦しめているのだ。
それはわかっているのに――。
一歩を踏み出す勇気が、どうしても持てないでいた。
どこまでも臆病な自分に、罪悪感は募る一方だった。
彼を救えるのは、自分だけなのに――。
◇ ◇ ◇
「あ、起きた?」
「ん、ああ……」
カイトは辺りを見回す。どうやら、自宅のソファで仰向けになっているようだ。
Tシャツにどす黒い血の痕。鼻に詰められたティッシュの感触。上から覗き込む見知らぬ女性。この女性に愛の告白をされ、鼻血を出して気絶したと考えるのが自然だった。
しかしカイトのこの特異体質は、告白されるとその時点から約三十分前までの記憶を丸ごと失ってしまう。そのため、この小柄な女性が何者なのか、どのような経緯でカイトに告白をしたのか、まったくわからなかった。
ここは自宅のソファの上だということはわかる。問題はこの女性だ。見覚えがある気がしないでもないが……。どうにか記憶を探るも、思い出せない。
自宅にまで入れているということは、かなり親しい間柄の女性であることが推測できる。今、彼女に関する記憶がないということは、告白をされる前に彼女のことを思い出した――つまり、昔の知り合いである可能性が高い。
もしくは、この女性は本当に知らない人で、無理やりカイトの家に押し入ってきたのかもしれない……。しかし、彼女からはそういった強引な雰囲気は感じ取れなかった。
「カリン、宝泉寺カリン。ほら、小学校が一緒で、途中でアメリカに転校したんだけど……。思い出した?」
カイトが何かを考えていることに気づいたらしく、女性は自己紹介を始めた。
「私が結婚を申し込んだら、カイトくんが鼻血を出して倒れちゃって……」
そこでようやくカイトは思い出した。この女性は小学生時代のクラスメイト、宝泉寺カリンであるということを。
そして同時に、鼻血を出して気絶していた原因も判明する。
カイトは彼女に結婚を申し込まれたらしい。
「そうか。結婚……。うん。結婚か……」
予想外の状況に頭を抱えて困惑する。
「まあ、いいや。結婚の話は一度置いておこう。カリン、俺の特殊な体質について説明する」
カイトは、女性に愛の告白をされると鼻血を出して気絶してしまうこと、その直前の記憶を失ってしまうことを説明した。
「なるほど。それで……」
特に疑うこともなく受け入れられたことを、カイトは意外に思った。目の前で実際にその場面を見たからというのもあるだろうが、少し素直すぎる気もする。お嬢様というのは、みんなそんなものなのだろうか。
「ああ。そんなわけで、改めて久しぶりだな。カリン」
「うん、久しぶり。あ、ちなみに私はね――」
カイトの本を書店で見つけ、こうして会いに来たということを、カリンは説明した。
「改めてすごいね。作家になってるなんて」
「別に。なんとなくやってるだけだよ。書いてみたら意外と楽しくて」
カイトは本心を探られたくなくて、適当に言葉を紡ぐ。
「今度、買って読んでみるね」
「ああ、サンキュ」
カイトは照れながら返事をする。
「でもびっくりしたよ。いきなり鼻血出して気絶するんだもん」
言葉のわりに、彼女は冷静だったようだ。カイトの鼻にティッシュを詰めて止血をし、飛び散った血液を拭き取ってくれたらしい。
「申し訳ない……」
「でも、大変だね。そんな体質があるなんて」
「おかげで彼女いない歴イコール年齢だよ」
「あ、でもそれなら都合がいいかも」
カリンは花が咲いたように笑った。
「都合がいい? それは、その……さっき言ってた結婚に関してか?」
「そうそう。当然、今も付き合ってる人はいないわけでしょ?」
「まあ、そうなるな」
「ディスティニー・クリエイトって知ってる?」
いきなり話が変わったように思えるが、カイトは答えた。
「あのディスクリなら、知らないやつなんかいないだろ」
カリンの言ったディスティニー・クリエイトとは、ディスクリの愛称で親しまれる国内最大規模のゲーム会社だ。ハード、ソフト共に他の追随を許さない圧倒的なセールスを誇っている。
「うん。それで、そこの社長の一人息子が結婚相手を探しててね。次期社長になるらしいんだけど」
ここで、なんとなくカイトにも話の流れが見えてきた。
「まさか、その相手に選ばれたのが……」
「そうなの、私」
たしかに、カリンは容姿もかわいらしく、宝泉寺家の一人娘として上質な教育を施されてきた。忙しい夫を支える社長夫人として申し分ない女性と言えるだろう。決してあり得ないことはない。
カリンは大企業の社長の息子と結婚させられそうになっている。というのが今の状況で。わざわざそんな話をこの場でするということは……。
「カリンは、そいつと結婚するのが嫌で、代わりの結婚相手を探してるってところか?」
カイトは組み立てた推理を話した。
「さすがカイトくん。話が早い。お父さまからいきなり『お前の結婚相手が決まった』なんて言われてさ」
声を低くしていた部分は、どうやら父親の真似をしているらしい。
「私、ものすごく怒ったの。あ、今もまあまあ怒ってるけど。娘の結婚相手を勝手に決めるなんて、いつの時代よって。そのときは一週間くらい口をきかなかったかな。私が反抗することなんて珍しいからか、お父さまは猶予をくれたの。一か月以内に、結婚を前提に付き合ってる男を連れて来いって」
怒っているわりにはしっかりと『お父さま』と呼んでいるあたり、さすがお嬢様といった感じだ。
「そんな無茶な……。ああでも、結婚を前提に付き合ってる男、ってことは、今すぐ結婚しろってわけじゃないのか」
「うん。別に
昔はあまりわからなかったが、カリンにはこうして、はっきりとした意思を示せる強さもあるらしい。お嬢様なだけではないみたいだ。
「なるほど、事情は大体わかった。要約すると、今すぐ結婚はしたくないけど、将来結婚する相手がいないと父親が心配する。それでカリンは偽の交際相手を探してる、ってことでいいんだな」
「その通り」
カリンが満足そうにうなずいて肯定する。
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