4-2 求婚系お嬢様


「狭い家だね」

 キョロキョロしながら、カイトの家に上がったカリンが素直な感想を漏らす。


 カイトの住むアパートは、一般的なそれよりも高級だ。現在二人がいる居間とは別に、寝室と仕事部屋がある。もちろん風呂とトイレは別々。決して狭くはないどころか、一人暮らしをするには広すぎるくらいだ。しかし、彼女に悪気があるわけではない。


「そりゃ、宝泉寺家に比べりゃあな」

 宝泉寺グループ。文房具やゲーム、家具などの商品から飲食店の経営、旅行などのサービスまで、ありとあらゆる事業を手掛ける日本有数のグループ企業である。


 カリンは、その宝泉寺グループの社長令嬢であり、大事に育てられてきた箱入り娘。これまで、同じような境遇のお坊ちゃまやお嬢様としか深く交流してこなかったのだ。橘家もかなり裕福な部類に入るが、宝泉寺家の財力とは比べ物にならない。


「とりあえず、そこ座って待っててくれ」

 カイトがソファを示すと、カリンはそれに従って、スカートの裾を正しながら上品に腰を下ろした。それを見届けた家主はキッチンへ向かう。


 カイトはコーヒーを淹れながら、カリンが家まで訪ねてきた目的を考えてみた。が、さっぱりわからない。


 単純に、久しぶりにカイトに会いに来ただけなのだろうか。それとも、何か事情があるのか。推測するのは諦めて、本人の口から聞くことにする。


「こんなのしかないけど、よかったら」

 数分後、カイトが二人分のコーヒーをテーブルに置く。


「ありがとう。いただきます」

 カリンが一口飲み、なんとも言えない顔をする。いつも上等なものしか飲んでいないためだとすぐにわかった。


「ああ、インスタントなんだ。悪い。あんまりいいやつだと眠気覚ましにならないからな」


 カイトが気づいてフォローを入れた。ちなみに、今テーブルに出されているのは、一般的にはかなり高価な値段のコーヒーである。


「一人暮らしって大変なのね」

 カリンの同情するような台詞を、カイトは苦笑してやり過ごす。


「それにしても久しぶりだな」

 言いながらカイトも、カリンの向かい側のソファに腰かける。


「ね、二十年ぶりくらい?」

「そう……だな」

 カイトは指折り計算する。


 カリンは小学二年生のときに、突然引っ越した。それも外国へ。どこの国かはよく覚えていないが、小二のカイトでも名前くらいは聞いたことがあったと思うので、アメリカかイギリス、フランスあたりだろう。そのころのカイトは、どこの国に行くかなどは関係なく、カリンが転校してしまうこと、それ自体が悲しかった。


 同じ小学校に通っているときは毎日のように遊んでいたものの、カリンが転校してからは連絡すら取っていなかった。小学生にとっては、海を隔てた国外はあまりにも遠すぎた。


「にしても、いきなり抱きついてくるなんて、昔はもっとおしとやかじゃなかったか?」

 カイトが床に打ち付けた後頭部をさすりながら言う。


「ほら。久しぶりすぎて舞い上がっちゃって。というか、昔って、小学生のときの私しか知らないくせに」


 そう反論しつつ、いきなり抱きついたのはやはり恥ずかしかったのか、カリンは頬を朱に染めた。


 カイトも、カリンに抱き着かれたときの柔らかい感触を思い出し、顔が熱くなるのを感じる。


「で、どうして俺のところへ?」

 気まずい空気を吹き飛ばすように、カイトが切り出した。


「偶然、カイトくんの本を見つけたの。普段はあんまり本は読まないんだけど、たまたま本屋さんに行ったのよ。そしたら、話題の本のコーナーに知ってる人の名前があったからびっくりしちゃって。最初は同姓同名の人かもって思ってたんだけど、気になったから少し調べて、カイトくん本人だってわかって」


「ああ、それでわざわざこうして会いにきてくれたのか」

 カイトが照れくさそうに微笑む。


 それと同時に、宝泉寺家の恐ろしさを実感する。少し調べても、作家の住所など簡単にわかるわけがない。きっと、一般人の言う〝調べる〟と、彼女の言う〝調べる〟は違うのだろう。宝泉寺家であれば専任の探偵が一人や二人いてもおかしくはない。金の力は偉大だ。


「うん。でもね、ただ会いに来ただけじゃないよ」

「何か、俺に用でもあるのか?」

 あるとすれば、どんな内容だろう……。宝泉寺グループがカイトの作品の宣伝に全面協力してくれる、などという都合のいい展開を妄想しながら、カイトは尋ねる。


「これから言うこと、驚かないで聞いてほしいんだけど……」

 二つのつぶらな瞳がカイトを捉える。


「ああ。なんだ?」

 そんなに驚くようなことなのだろうか。


「私と、結婚してください!」

 カリンが言った次の瞬間、カイトは、盛大に鼻血を噴出して倒れた。

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