3-7 二日目 朝 流血


 一夜が明け、合宿二日目の朝。

「橘先生、遅いっすね~」

 空豆が不思議そうに言う。昨夜は納得のいく文章が書けたようで、かなり調子が良さそうだ。


「そうですね。どうしたんでしょう」

 担当編集のツヨシが、階段の方を見る。


 時刻は九時を五分過ぎたところ。

 カイトは朝食の時間になっても起きてこなかった。他の四人はすでにテーブルに座っている。


「筆が乗って、夜遅くまで起きてたんじゃないか?」

 と、宵渕。お酒で酔いつぶれていた昨日の夕食時と違い、今は比較的元気そうだ。相変わらず、目は死んでいるが。


「う~ん……。そうだといいのですが……」

 いつもは夜型のため、今の時間にカイトが起きていないのはさほど不自然ではない。普通に考えれば、寝坊しただけという可能性が高い。が、ツヨシは嫌な予感を抱いていた。


「逆に、他に可能性があるんですか?」

 ユズリハが尋ねた。どことなく不安そうな表情だ。憧れていた宵渕が想像と違ったらしく、朝から少し元気がなかった。


「……すみません。ちょっと見てきます」

 そう言うと、ツヨシは席を立った。


 もちろん、カイトのあの体質のことは、他の作家は知らない。今はまだ、それを説明する必要もないと考えていた。


 二階に上がり、ツヨシはカイトの部屋のドアをノックする。

「カイト、起きてるか?」


 返事はない。間隔を空けてノックを繰り返すも応答なし。念のため、カイトの番号に電話をかけるが、これも無反応。


「開けるぞ」

 声をかけてドアノブをひねる。しかし、中から鍵がかかっているようで、ドアはびくともしない。


「あの……どうかしました?」

 そこへユウキが現れた。何かトラブルだと思ったのだろう。言葉の端に不安と緊張がにじんでいる。


「カイトが部屋から出てこないんです。反応もありません」

「う~ん。まだお休みになっていらっしゃるだけなのではないでしょうか」


 他の客のときに、何度か同じことがあったのかもしれない。ユウキは冷静に対応した。


「いえ。ちょっと、カイトには持病があってですね。もしかすると……」

 持病という言い方はどうかとも思ったが、まるっきり嘘というわけでもない。ツヨシは、深刻そうな表情を意図的に作る。


「それは心配ですね。予備の鍵をお持ちします」

 ユウキは顔色を変えて、来た道を引き返した。


「橘先生は大丈夫なのか? 持病があるんだって?」

 ユウキのただならぬ様子を見たらしく、宵渕が近くまで来ていた。すぐ後ろにはユズリハと空豆もいる。


「はい。おそらくは」

 ツヨシは小さくため息を吐き出す。大ごとになってしまった。


「持ってきました。今開けます!」

 ユウキが、いくつかの鍵がヒモに通され、輪っかになっているものを持ってきた。その中の一本をカイトの部屋のドアの部に差し込む。


 後ろでは作家たちが不安そうな表情で見守っている。

「おい、カイト!」

 ツヨシがためらいなく部屋の中に踏み込む。


 悪い予感は当たってしまうもので、カイトがベッドに仰向けで倒れていた。白い布団が赤く染まっている。


「ど、どうしたんですか?」

「入らないでください!」


 ユズリハが部屋に入ろうとするのを、ツヨシが止める。状況だけ見れば、完全に殺人事件の現場だ。刺激が強すぎる。


 まあ、今回もおそらく……。

 ツヨシはカイトに近づいて観察する。脈もあるし、呼吸もしっかりしていた。


「ふぅ……」

 いつものやつだろうと予想していたとはいえ、それがわかって一気に力が抜けた。


 血はすでに止まっていた。ほとんどが掛け布団に吸収されてしまっている。弁償しなくては……などと考える余裕も出てきた。


 赤く染まった布団を、なるべく血が見えないようにどかすと、ツヨシは部屋の外に向かって言った。


「みなさん、入ってきてください」

 おそるおそる、といったふうに、ユズリハたちが部屋に入ってくる。


 部屋にはツヨシと気絶しているカイトの他に、ツヨシの担当する三人の作家たち、河合ユズリハ、空豆セメント太郎、宵渕ヒメカ、そしてこの民宿の手伝いをしているオーナーの娘、倉田ユウキがいた。


「まず、今は寝ていますが、カイトは無事です」

 その一言に、ユズリハたち四人はホッとする。


「でも、どうして橘さんは起きてこなかったんですか? ただ眠りが深いってだけなんですか? 今も眠っていらっしゃるみたいですし」

 ユウキが疑問に思ったらしく、質問をする。


「今から話すことは、すぐには信じられないと思いますが、冗談でもなんでもありません。こいつは――」

 ツヨシは、カイトの体質について説明をした。


 カイトは女性から告白されると、鼻血を出して気絶してしまうこと。その際、直前の記憶を失ってしまうこと。


「つまり、橘先生は、その体質によって、鼻血を出して倒れてるってことっすか?」

 他の三人が呆気にとられた表情を浮かべる中、空豆だけはどこか面白そうに質問をする。この適応能力の高さは天才作家ゆえなのだろうか。


「その通りです。つまり今、あの布団はかなり凄惨な状態になっています。もしも信じられないようであれば、見ていただいても構いません」

 ツヨシが、先ほど血が見えないように畳んだ掛け布団を示しながら言った。


「そこまで言うんなら、本当なんだろうな……。冗談を言うような場面でもないし」

 宵渕はツヨシの発言を聞き、カイトの体質を信じる気になったようだ。

 ユズリハとユウキも受け入れざるを得ない、といった顔でうなずく。

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