3-4 恋愛小説家
ツヨシと別れて部屋に戻ってから、カイトは執筆を始めた。
プロットはほぼ完成していて、あとは本文を書くだけという状態だったが、書いているうちに、もとのプロットよりも面白そうな道筋が見えてきてしまい、試行錯誤しながら書いては消してを繰り返している、という作品だった。
進捗度合いとしては全体の三割ほどといったところか。今回の合宿で六割まで持っていくのがカイトの目標だ。ツヨシに言うと『甘い。八割を目指せ』などと言われそうだから言っていない。
書き進めているうちに二時間が経ち、時刻は午後の四時になっていた。窓の外がいつの間にか暗くなり始めている。思ったよりもいい感じに筆が進んでいた。
ツヨシの言う通り、いつもと違う環境にいることで、集中力が高まっているのかもしれない。
もしくは、ユズリハや空豆のような、カイトの同業者である作家との会話を通して刺激を受けたからかもしれない。まだ交流らしき交流はできていないので、今日の夜が楽しみでもあった。
カイトに憧れて作家を志したというユズリハ。
唯一無二の突き抜けた感性を持つ空豆。
がっかりされたくない。負けたくない。今までは抱いたことのなかったそんな気持ちが、心に少しだけ芽生えたような気がする。
もうひと頑張りしようと思ったが、喉が乾きを訴えていた。
飲み物を買って、ついでに少し休憩を入れよう。
カイトは部屋を出て、共用スペースに足を運んだ。
「ああ、どうも」
共用スペースのソファに座っていたのは、三十台半ばくらいの男性だった。
口元にひげを生やしている。あご辺りまである髪は、お洒落というよりも、切るのが面倒で伸ばしたように見えた。丈の短いボロボロのジャージは、高校時代のものだろうか。
瞳に光はなく、この世界が存在することを憂いているような雰囲気さえ感じさせる。
それなのに、どこか人を惹きつけるオーラのようなものがある、不思議な男。
倉田ユウキの言葉を借りるなら、〝いかにも作家っぽい気難しそうな方〟だった。
右手にはお酒の缶を持っている。顔が少し赤い。
くつろぎようからして、倉田家の人間ではないだろうし、この民宿は貸し切りと聞いている。
消去法で、ツヨシが担当する作家だとわかった。
「ええと、初めまして。橘カイトです」
カイトは自己紹介をする。
「おお、あんたがあの橘先生か。驚いたな」
男は少しだけ目を見開く。見た目よりも気さくな口調だった。
「何がですか?」
「いや、あんなに面白い話をかける人間は、きっと容姿が醜くて性格も最悪なやつだと思っていたんだが……。ずいぶん男前なことで。まあ、作家本人と作品のイメージなんて、全然違ったりするからなぁ」
「はあ……」
これは、褒められているのだろうか。いや。ただ単に本心をそのまま言っているだけかもしれない。
それにしても、この男はいったいだれなのだろう。ツヨシは、そこそこ売れている作家だと言っていたが、まったくそんなふうには見えないし、予想もつかない。そもそも、カイトは今まで同業者との交流がほとんどなかったのだ。
「ああ、申し遅れたが、俺は
「えええっ⁉」
カイトは思わず大きな声を出してしまう。
「何をそんなに驚いている」
「だって、宵渕ヒメカって言ったら、あの、女子に絶大な人気を誇る恋愛小説家じゃないですか」
「だから、俺がその女子に絶大な人気を誇る世界一面白い恋愛小説家だが?」
最初は、この男が冗談を言っているのだと思った。しかし、男は至って真顔だった。好んで冗談を言うようなタイプにも見えない。あと、世界一面白いは言っていない。
「俺、宵渕先生の本、読んだことありますけど、女の子の心情描写とか恋愛的な感情の移ろい方とか、めちゃくちゃすごいんですよ。それを書いてるのがこんな、いかにもダメそうなおじさんだなんて……」
驚きのあまり、余計なことを口走ってしまう。
「お前もたいがい失礼なやつだな。まあ、素直なのは嫌いじゃないぜ」
宵渕に機嫌を悪くした様子はなく、それどころか楽しそうに笑う。
カイトはホッとした。
「本当に、宵渕先生なんですか?」
「さっきからそうだって言ってるだろ」
「ぐ……。理解はできました。でも、納得はできません」
「ああ? じゃあこれならどうだ。俺の心の中には美少女が住んでるんだ。作品を書いているのは、俺じゃなくてその美少女なんだよ。わかったか?」
「いや、死んだ魚みたいな目で言われましても……」
カイトは衝撃的な邂逅の後、自販機で飲み物を購入し、再び部屋に戻って続きを書く。
ある程度まで書けたが、インパクトが足りないような気がして筆が止まる。こういうときは、ひと呼吸置くのが大事だ。一度椅子から立ち上がり、背伸びをして部屋の中を歩く。
それにしても、かなり濃い作家陣だった。
新人賞をとってデビューを控えている、あがり症の河合ユズリハ。
ペンネームからは想像もできないくらいに繊細な作品を書くが、普段の行動はやはりペンネーム寄りな、空豆セメント太郎。
女子中高生に人気の、美少女恋愛小説家を心の中に住まわせていると豪語する三十台男性、宵渕ヒメカ。
もしかしてツヨシは、執筆合宿と言いながら、問題のある作家の矯正を企んでいるのではないだろうか……。
だとすると、俺も問題のある作家というカテゴリに入れられているのだろうか。そんなことを考えて不安になっていると、ノックの音が聞こえた。
ドアを開けると、ツヨシが立っていた。
「どうだ。進んだか?」
「ああ。まあまあ書けたよ。何か用か?」
「夕食だ」
「もうそんな時間か」
カイトが時計を見ると、短針が七と八の間を指していた。どうやら、かなり時間が経っていたらしい。
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