3-3 新人と変人


「あ、あの」

 背後からの控えめな呼びかけに、雑談をしていた二人は揃って振り向いた。


 そこには若い女性が立っていた。大きめのスーツケースを持っていたので、執筆合宿に参加する作家だろうということはカイトでもわかった。


「ああ、河合かわい先生。お疲れ様です」

 カイトの思った通り、作家だったらしく、ツヨシが立って頭を下げる。


「お疲れ様です。えっと、そちらの方は……」

 ツヨシへのあいさつを済ませたあと、河合と呼ばれた女性はカイトの方を向いて尋ねた。目線をせわしなく動かしているのは、カイトの整った顔を直視できないからだろう。


「ああ、申し遅れました。たちばなカイトと申します」

 カイトは軽くお辞儀をして名乗る。


「ひぇっ……。たったた橘カイト先生……⁉ あ、あの……かっ、河合……ユズリハです。……本当に橘カイト先生なんれすかああ⁉」


 ユズリハは、興奮しているのかおびえているのかわからない様子で言った。もし漫画の世界だったら、目が渦巻きになっていることだろう。


「はい。そうですけど」

「あああっ、本当にそうなんですね。あ、えっと……デビューのときから、ずっとファファファファンです。い、生きててくださって、ありがとうごじゃいます!」


「えっと、どういたしまして?」

 よくわからない感謝を捧げられて、カイトは困惑する。


「まあまあ。河合先生、とりあえず落ち着きましょう」

 ツヨシが苦笑いで彼女を制する。


「すっ、すみません。ナマの橘先生を見たら……神々しくって、その……緊張してしまって……」

 そこで、もう一度カイトの方に視線を移す。


「はぅぁっ! ま、眩しい! なんと凛々しくてお美しいお方なのでしょう! 神!」

 心の声が漏れている。


「あはは。こいつはそんなにいいもんじゃないですよ」

「こら。お前が言うな」


「この前、うちのレーベルの公募の大賞を受賞したのが河合先生だ。デビューは、もう少し先になるけどな」

 カイトのツッコミを無視して、ツヨシはユズリハを紹介する。


 まだ新人ということか。どうりでカイトの聞いたことのない名前だったわけだ。

「へえ。それはおめでとうございます。じゃあ、ライバルですね」


「い、いえ。ライバルだなんて……。そんな、おおおお恐れ多いです!」

 目が不等号になっている顔文字のような表情で、ユズリハは両手を大きくぶんぶんと横に振る。


「それにしても、すごい緊張していますね。この前の授賞式で表彰されたときは、あんなに堂々と話していらっしゃったのに。壇上での受賞コメントも立派でしたよ」


「あ、あれは、前日に猛練習したんです。寝る前に、壁に向かって何度もスピーチの練習をしました。おかげで、ちょっと寝不足になっちゃってましたけど」


 ユズリハは、えへへ、と照れたように笑う。感情が全体的に表に出やすいタイプのようだ。


「そうだったんですね」

「はい。当日の朝に家を出るときも、隣に住んでる人に『昨日の夜に練習してたのは、何かのスピーチなのかしら? 頑張ってね』なんて言われちゃいました」


 それは暗に『夜中に声を出すな。うるさい』と言われているのでは……。ツヨシもカイトもそう思ったが、口には出さなかった。指摘したら、落ち込ませてしまう気がする。


「でも今日は、まさかあの神さ、いや、橘先生に会えるだなんて思ってなくて、びっくりしちゃって、こんなふうになっちゃってるんですよ!」

 どうやら、ツヨシは他の作家にもメンバーを教えていなかったらしい。


「光栄です。執筆合宿、頑張りましょうね」

 神様扱いされたカイトが優しく声をかける。


「はい! ああ、創作意欲が湧き上がってきました! 今なら、先日ご指摘いただいていたところ、良い感じに直せる気がします! さっそく、書いてもいいですか?」


「ええ。もちろんです。河合先生のお部屋は、一号室。一番奥になります」

 ツヨシがルームキーを渡す。


「わかりました。あの、橘先生!」

「は、はい」

 突然指名されたカイトは、困惑しつつも返事をした。


「そ、その……あとで、小説の書き方とか、色々とじっくり教えてくださいね!」

 勇気を振り絞ってひねり出しました、という様子で顔を赤く染めて言うと、ユズリハはくるりとターンして割り当てられた部屋へ向かった。


「……あの子、すごかったな。なんというか、圧を感じたよ」

「ちなみに、さっきは言ってなかったが、カイトに憧れてうちのレーベルに応募してきたらしいぞ」


「マジか……。がっかりさせてなきゃいいけど」

「あの様子じゃ大丈夫だろ」

「だといいけどな」


「たっ、大変もうしわけございません。遅れてしまいました」

 ユズリハが部屋に行ってからすぐ、慌ただしくやって来たのは、大学生くらいに見える女性だった。


 派手な幾何学模様の緑のコートに、主張の強い赤色のロングスカートという個性的な服装だったが、それがよく似合っている。

 ショートヘアにくっきりした目鼻立ちの、中性的な美人だ。


「ああ。空豆そらまめ先生。お疲れ様です」

 ツヨシが立ち上がって礼をし、カイトも軽く頭を下げた。

 これでカイトを含めて四人目の作家だ。全員揃ったことになる。


「本当にすみません。バスに乗り遅れてしまって……。なんとか電車を降りたはいいものの、そこからバス停までたどり着けず、次のバスまで一時間待つことになってしまいました。五分待てば乗れる都会のバスって、すごかったんすね。合宿から帰ったら、もっと都会を走るバスに感謝を捧げて生きていこうと思います!」


 空豆と呼ばれた女性は、遅刻した理由を話し始め、最終的にはよくわからない結論にたどり着いた。


「駅を出てすぐのところでわかりやすかったような気がしますけど……」

「すみません。方向音痴なもので。いや、違うな。私が方向音痴なのではなく、方向が私音痴なのです!」


 何を言っているのだろう、とカイトは思ったが、

「なるほど。斬新な解釈ですね。世界を揺るがす大発見かもしれません。さすがです」


「ええ。私は天才作家なので」

 ツヨシは付き合いが長いらしく、空豆との会話の仕方を熟知していた。


「そうですね。じゃあとりあえず、部屋に荷物を置いてきます?」

「そうします! 私の部屋は……ここっすね。把握いたしました!」


 ツヨシの差し出したルームキーと、近くの壁に貼ってあった部屋の見取図を見て、元気よく三号室の部分を指さす。


「あっ、お荷物を……」

 近くまで来ていた倉田ユウキが声をかけようとするも、空豆はすぐに歩いて行ってしまった。


「空豆さんの部屋はたぶんあっちじゃないな……」

 空豆が向かったのは、民宿のカウンターの奥にある倉田家の生活スペースだった。


「私、見てきます」

「すみません。よろしくお願いします」

 ツヨシが苦笑いを浮かべる。


「今のってもしかして、空豆セメント太郎たろう先生か?」

「なんだ。知ってたのか」


「さすがにあのインパクトのある名前は忘れようとしても忘れられないな。というか、女性の方だったんだな。てっきり男性かと思ってたよ」


「まあな。ペンネームは自由だし」

 ツヨシは困惑を含んだ笑みを浮かべる。


「自由すぎるだろ。なんというか……喋ると残念さが露呈する美人って感じだな」

「ああ。でも小説はとんでもなく面白いんだ」


「うん。俺も読んだことあるから知ってるよ。ペンネームが嘘みたいに繊細で驚いた。ああいう独特な世界で生きてる人って強いんだな」


「本当にそう思うよ。ただ、出版社に打ち合わせに来るたびに迷子になるのだけはどうにかしてほしいけどな。そろそろ場所を覚えてくれ。うちのオフィスは頻繁に場所が変わる不思議なダンジョンでもなんでもないんだが……」


「ははは。大変そうだな」

「他人事だと思って。っと、これで全員か。ということは、あとお前が会ってないのは……もう部屋にいるあの人だけか。あとでタイミングを見てあいさつにでも行っておいてくれ。四号室だ」


「わかった。ちなみにどちら様?」

「会ってからのお楽しみだ。そこそこ有名で、他社でも書いてる売れっ子作家様だ」

「そうかい。怖い人じゃなければいいけど。さて、とりあえず俺も書くかな」


「夜に進捗確認をしに行くから覚悟しておけ」

「うっ……。マジか」

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