2-7 告白のつもりなんてなかった
「こいつには悪いが、しばらく気を失ったままでいてもらおう」
ツヨシはそう切り出して、気絶しているカイトの鼻から赤くなったティッシュを外し、新しくティッシュを丸めて突っ込むと、自分の推理を話し始めた。
「まず小池の気持ちだが、カイトに対して好意を持っていることがわかった。ここから先は、小池が告白をした自覚がないと仮定して、話を進める」
「えっと……つまり今の話の終着点は、告白したつもりなんてない、スミレのなんでもない発言を、カイトが告白だと受け取ってしまった理由について、だね」
アオイが、状況を整理するように言い直す。
「ああ、そういうことだ。といっても、今回の事件はカイトが自意識過剰だったために起きたわけではない。それだけはこいつの名誉のために最初に言っておこう」
気を失っているのをいいことに、カイトの頭をツンツンと小突きながらツヨシが言う。カイトはびくともしない。
「うーん、自意識過剰じゃないとすると……なんだろう。スミレが逆に大胆で思わせぶりだったってこと?」
アオイがスミレのことをチラリと見る。
スミレは罪悪感からか、少しうつむき加減で、二人の会話の行く先を見守っていた。
「その可能性もなくはないが、もっと納得のいく説明ができる」
「へえ、あたしには考えてももうわかんないや。降参。ツヨシ、さっさと答えを教えてよ」
諦めが早いことは、アオイの長所でもあり短所でもある。
「まあそう焦るな。だが、そうだな。ある雑学を知っていないと、正解にはたどり着けない。これから話す推理が事実だとすればな」
「……その、雑学って?」
黙って聞いていたスミレが、ここでようやく口を開く。
「ある有名な日本の文豪に関する雑学だ。これは、小説に関わる仕事をしている者なら、ほとんどの人間が知っていると思われる。逆に、一般人の認知度はそんなに高くないだろうな。本を読まない人間ならなおさらだ」
「そりゃあ本を読まないあたしにはわからないわ」
アオイが納得したようにうなずいた。
「で、カイトはその雑学を知ってたから、スミレの告白でもなんでもない一言を、告白として受け取ってしまったってこと?」
「ああ、そういうことだ。今回の場合は、たった一言だ。その一言は、知らない人からすればただの世間話だが、知っている人にとっては愛の告白になる」
「へえ。なんか面白いね。すれ違いコントみたいで。それで、その言葉ってのはどんなのなの?」
アオイが先を急かすように言った。
「『月が綺麗ですね』という言葉だ」
ツヨシが発したその答えに、スミレはハッと息をのむ。
「月が、綺麗? どういう意味?」
アオイはベランダの方を見る。午前四時半になった今はもう、月は出ていなかったが、先ほどまではぼんやりと満月が出ていたような気がする。
「意味などあってないようなものだ。ちなみに夏目漱石の逸話が元になっている」
「夏目漱石って、あの『吾輩は猫である』とか『坊ちゃん』とか『走れメロス』とかの?」
「ああ、そうだ。最後のは太宰だがな」
本気かボケかわからない、真顔のアオイの台詞に、控えめにツッコミを入れ、ツヨシは続ける。
「夏目漱石が英語の教師をしていたときに、生徒が〝l love you〟を〝我君ヲ愛ス〟と訳したのに対して、『日本人はそんなことは言わない。〝月が綺麗ですね〟とでもしておきなさい』と言った。そんな逸話が残されているんだ」
ツヨシのその説明を聞いて、スミレは困惑しつつも、すべてが腑に落ちたとでもいうような表情を浮かべていた。
「まあ、あくまで逸話であって、事実かどうかはわからないがな。とにかく『月が綺麗ですね』という言葉には、そういう意味がある、と一定数の人間に認識されているわけだ」
「なるほどね。なんとなく、今回の事件の全貌が見えてきた」
アオイが腕組みをしながらうなずいた。
「さて。小池、ベランダに出ていたとき、カイトと月が綺麗だという話をしたか?」
ツヨシがスミレに尋ねる。
「うん。満月が出てるねって話をしてて、たぶんそのときに、綺麗だね、みたいなことも言ったような気がする」
スミレは、ツヨシの目をしっかり見て答えた。
「やはりそうか。おそらく、その世間話をカイトが告白だと勘違いして、このようなことになったのだろう」
「そっか、そういうことだったんだね。なんか、申し訳ないな……」
しゅんとなってしまったスミレが、か細い声で呟いた。
「いや、これは予想外の事故だった。誰も責められるべきではない」
思わず口からこぼれたのは、スミレに対するツヨシなりの慰めだった。
「ありがとつよぽん。でも、皆に迷惑かけちゃったのは事実だし。ごめんなさい。特にカイトくん……って、まだ気絶してるか。今回のことでカイトくんは諦めるよ。私もそろそろ、いい人見つけなきゃね。できれば、告白されても鼻血を出して気絶しない人がいいな。うん、いいきっかけになった」
自分自身に言い聞かせるように強く発された言葉とは裏腹に、スミレのカイトを見る表情には、今にも壊れてしまいそうな切なさがあった。
スミレが落ち込んでいるのは、自分のせいでカイトが気絶したからという理由だけではないのだろう。
不本意な形ではあるが、スミレはカイトに告白をしたのだ。しかし、その告白がカイトには伝わっていない。
本人の意思で拒絶されたわけでもない。
それでもやっぱり、心は痛むのだろう。
ツヨシも色々と思うことはあったが、結局何も言えなかった。そんな自分の弱さが腹立たしかった。
「はぁ~あ。頭使ったら眠くなってきちゃった。さっさと片付けて買ってきたパンでも食べよっか」
アオイが、暗くなりかけた雰囲気を吹き飛ばすように、大きなあくびをした。
「そうだな。カイトは……もう少し寝かせておいてやるか」
ツヨシが、カイトの鼻に詰めたティッシュを取り換えながら言う。
「あの……二人にお願いがあるんだけど」
クリームパンを食べながら、スミレがおずおずと口を開く。
「お願い?」
ツヨシがクロワッサンを食べながら聞き返す。
「うん。私がカイトくんを好きだったってこと、本人には言わないでほしいんだ」
「ああ。それなら言うつもりはないから安心しろ」
わざわざ余計な悩みを増やす理由もない。
「ありがとう。でも、カイトくんにはなんて説明しよう」
「それこそ、チョコレートを食べすぎて鼻血を出したってことにすればいいんじゃない? 記憶がないのはお酒のせいってことで。ついでに、気絶してたのは酔っ払って転んだからってことにしようよ」
アオイが、メロンパンの最後の一口を食べながら言った。少し楽しそうなのは気のせいだと思いたい。
「そうするか」
ツヨシも了承し、三人は口裏を合わせることに決めた。
「ありがとね、二人とも」
こうして、今回の事件は幕を閉じたかのように思われた。
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