2-6 迷探偵


 悪い予感というのは当たってしまうもので、ツヨシがカイトの部屋に戻ると、家主が鼻から血を出して気絶していた。


 空き缶やごみが散乱するテーブル。そこから少し離れたベランダの近くの床に血だまりができていて、その真ん中にカイトは倒れていた。


 半泣き状態のスミレが傍らにかがんでいる。どうすればいいのかわからなくて、涙目になっているようだった。


「おいっ、どうした」

 ツヨシは、手に持っていたパンの入ったビニール袋を床に放り投げ、駆けつける。


「わがんないっ。け、けどっ……ひっ、カイトぐんがっ!」

 スミレは涙混じりの声で答える。パニック気味になっている。


「大丈夫。気を失っているだけだ」

 ツヨシはカイトの呼吸を確認すると、その身体を起こし、赤く染まった鼻にティッシュを詰めていく。見事な手際だった。


「よかった……。うっ……」

 スミレは安心したようで、少しだけ落ち着いたが、まだ少し声に涙が混じっていた。

 アオイも遅れて部屋に入ってくると、血液で汚れた床を掃除し始めた。


「それよりこの状況は……。小池、カイトに告白をしたのか?」

 ツヨシがスミレに鋭い視線を向ける。まるで、犯人を追い詰める刑事のようだった。


「じてないよ。して……ないのに、いきなりっ、うっ、鼻血出してだおれてっ! なんで……。私たち、ただ、ベランダで喋ってただけなのに」


 スミレはカイトが倒れたときのことを思い出してしまったのか、再び涙を流し始めた。


 気絶してしまうとその直前の記憶を失ってしまうため、カイトを起こしても、事実はスミレにしかわからない。


「わかった、信じよう。でもこの質問には正直に答えてほしい。カイトに対して好意は持っていたか? こいつは気を失っているから、本人に聞かれないうちに答えるなら早い方がいい」

 ツヨシは真剣な眼差しでスミレを見つめる。


「……ここで否定しても、つよぽんにはもうバレてるのよね。うん、私は大学生のときからカイトくんのことが好きだった。今日——もう昨日だけど、再会したら、そのときの気持ちを思い出して……それで、やっぱり好きだなって思った」

 スミレはトレーナーの袖で目尻の涙をぬぐう。


「でも、カイトくんの体質を知ってたから、告白しようなんて考えたこともなかったし、今だってそうだよ」


 声は弱々しかったが、スミレははっきりと言い切った。

 少なくともツヨシには、スミレが嘘を言っているようには思えなかった。


「そうか。変なこと聞いて悪かった。信じるよ」

「うん。……ありがとう」


 カイトへの、伝えたくても伝わることのない恋心を、スミレはずっと、自分の内側だけに抱えてきたのだろう。


「しかし……そうだとすると、なぜカイトは鼻血を出して倒れたんだ?」

 ツヨシは顎に手を当てて考える。スミレが告白をしていないとするなら、いったい誰が……。


「あ! あたし、わかっちゃったかも」

 床の血液を拭き終わったアオイが、突然口を開いた。


「本当か?」

「ふふふ。この名探偵アオイに任せなさい」

 芝居がかった不敵な笑みを浮かべて、アオイが言った。


「……本当にわかったのか?」

 ツヨシが疑いの眼差しでアオイを見る。


「任せなさい! あたしがこの迷宮入り寸前の難事件を解決に導いてやろうじゃないの」

「あまり期待せずに聞こうか」


 軽口を叩いているツヨシは、アオイの大げさな身振り手振りも、オーバーな台詞も、淀んだ空気を払拭するためのものだということをわかっている。アオイは大学生のときから、そういう気の遣い方のできる、優しい女性だった。


「さっそく答えから言っちゃうけど、カイトが鼻血を出した原因は、これ」

 さらりと普通の口調に戻ったアオイは、宅飲みに使ったテーブルを示した。四人分の紙コップの他、おでんの器やお菓子の包み紙、飲み物の入っていた缶が散乱している。


「……どれだ?」

 ツヨシはテーブルの上を一通り眺めたが、アオイの言いたいことはわからなかった。


「もぉ~。ここまで教えてあげてるのにわからないの? あたしもつよぽんって呼んじゃうよ」

「やめてくれ。で、何が原因なんだ?」


「これだよ、これ」

 アオイは、とあるお菓子の包み紙を摘まみ上げた。


「あ、チョコレート」

 黙っていたスミレが呟く。


「そう。チョコレート。そもそも、カイトは例の体質で、誰かに告白をされて鼻血を出したんだーっていう、その先入観にまみれた考え方をしていた時点で、あたしたちは騙されていたの。実際は、このチョコレートのお菓子を食べすぎて鼻血を出してしまっただけ。それが、今回の事件の顛末ってわけよ」

 ふふん、と自慢げにアオイはドヤ顔を披露する。


「つまり犯人は、チョコレートを持ってきたツヨシ、あなただ!」

 ビシっとツヨシを指さして、アオイは宣言した。


「残念ながら、チョコレートを食べると鼻血が出やすくなるという医学的根拠はないぞ。親が子どもに食べさせすぎないように、よくそんなことが言われているがな」

 ツヨシが冷静に反論する。


「なんですと?」

 数秒前までツヨシを犯人扱いしていたアオイは、驚いたようにのけぞった。


「まあ、関連性がまったくないとは言い切れないらしいから、なんとも言えないが。それだけでこの出血の量はおかしい。誰かに告白をされたのは間違いないと思う」


「ツヨシがそう言うんなら、きっとそうなんだろうな。う~ん。でも、スミレが告白してないって言うんだから、他に考えようがないし……」

 アオイが腕を組んで首をかしげる。


「いや、待てよ」

「お、つよぽん、何か思いついた?」


「つよぽんって呼ぶな」

 ツヨシは、しっかりとアオイにツッコミを入れながら続ける。


「カイトが気絶する条件は、カイトに好意を抱いている女性からの告白だが、実は告白する側は好意を持ってさえいれば、告白をしようとしていなくても告白になってしまう場合があるんだ」


「ん? それってどういうこと?」

 ツヨシの説明に、アオイは首を傾ける。


「もっと簡単に言うと、カイトがそれを告白だと判断すれば告白になってしまう。ただし、カイトが把握しているかどうかは別として、告白する側はカイトに想いを寄せている女性に限る。今回はその条件が悪い方向にはたらいた不慮の事故だった」


「事故って……。ツヨシ、本当にこの不可解な事件の謎が解けたの? スミレの言うことを信じるなら、カイトは告白でも何でもない言葉を告白だと勘違いした、自意識過剰の脳みそお祭り野郎になっちゃうよ?」

 アオイはたまに毒舌になる。


「ああ、謎は解けた」

 ツヨシは自信に満ちた表情で、ガラス戸の開けっ放しになっていたベランダと、そこから覗いている、真っ黒な夜空を見据えながら言った。

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