2-5 ツヨシの不安
学生時代には、MilKy TiMeのメンバーは総じて、演奏技術もルックスもレベルが高いと評判だった。
学園祭のステージイベントでは一番盛り上がっていたし、プロとしてデビューしてみないか、と音楽関係者から名刺を渡されたこともある。誰もが聞いたことのあるような大手のレーベルではないにしても、学生アマチュアバンドとしてはかなり人気だったことは間違いない。大学の外にもファンが多くいた。
演奏技術だけではなく、メンバーのルックスにも華があると評判だった。
アオイが明るく活発な可愛いタイプであったのに対し、スミレは大人しく清楚で綺麗な女子だった。今もそのスミレの綺麗さは変わることなく、むしろ大人の色気を纏って、よりいっそう輝いていた。相変わらずお酒には酔いやすいようだが。
カイトが特殊な体質でなかったら、スミレと付き合っていた可能性もあるのではないか。学生のときから何度も、ツヨシはそんなことを考えている。
カイトが特異体質で良かったと、心の底から思った。
同時に、そんなことを思ってしまう卑怯な自分が、どうしようもなく嫌になる。こみあげてきた罪悪感を、必死で心の奥に押し込めた。
カイトの小説の話題が終わり、学生時代の思い出話で一通り盛り上がると、時間はあっという間に過ぎた。大量にあったおでんもどうにか消化し尽くした。
スミレも眠さの峠は越え、酔いも醒めてきたようだ。いつも通りの大人しいスミレに戻った。
「あれ、あんなにあったのにもうこれだけなのね」
スミレが残り少なくなったチョコレートを口に入れる。
「年甲斐もなく、学生みたいなことをしてしまったな」
ツヨシはそう言ったが、楽しそうでもあった。
「午前四時か。中途半端な時間だね。コンビニで、何か軽い朝食みたいなの買って来ようか?」
とアオイがスマホで時間を確認し、気を利かせる。
「そうしてくれるとありがたいわ。お願い」
スミレは片目をつぶって両手を頭の上で合わせる。甘え上手なところは学生時代と変わらない。
「了解。何がいい? おでん?」
「あはは、おでんはもういいかな。私は菓子パン希望。カイトくんとつよぽんは?」
「俺は別に、そこまで腹減ってないからな。特に何も要らないけど」
カイトが答える。
「うーん、同じく特に欲しいものはないが、この時間に一人だと危なくないか?」
ツヨシはアオイの方を見て心配そうに言う。
「そうかな。それだったらツヨシ、一緒に行こうよ」
「ああ、そうしよう」
アオイの提案に、ツヨシはそう答えたが、いざ出掛けるとなると、部屋にスミレとカイトを二人きりにしてしまうということに思い至り、少し後悔した。
何も起こらなければいいが……。
外に出ると、肌寒い空気が頬をなでた。
「久しぶりに会ったけど、みんな、あんまり変わってないよね」
「そうだな」
アオイとツヨシが、コンビニまでの道を歩きながら会話を交わす。
「ツヨシも相変わらずカイトに対して過保護だし」
「あいつは本当にすごいやつだからな。近くにいれば多少はそうなってしまう」
「あれ、素直だね。本人の前で言ってあげなよ」
「言えるわけがないだろう」
ツヨシが照れたように顔を反らす。
その反応に、アオイが楽しそうに笑うと、少し強めの風が吹いた。
「おお、寒……。やっぱり何か羽織ってくればよかったかな……」
腕をさすりながら呟いた。
「よかったら着るか?」
ツヨシが、羽織っていたジャケットを脱いで差し出す。
「いや。いいよ。それだとツヨシが寒いでしょ」
「大丈夫だ。会社員は週休二日だが、親は年中無休だろう。体調を崩すと大変だ」
「ありがと」
アオイはツヨシの厚意を受け取ることに決め、ジャケットを羽織った。
「まあ、週休二日なんて幻想なんだがな」
「出版社って大変そうだよね」
「仕事自体は別にいいんだ。好きでやっているからな。問題は上司だ」
「あ、それって例の編集長? そんなにひどいの?」
「ひどいなんてもんじゃない。あんなやつ、早く
ツヨシがひらすらに編集長の愚痴をこぼしていると、
「……あれ?」
アオイが何かを感じて後ろを振り返る。
「どうかしたか?」
「いや、今、誰かに見られてたような気がして……」
「そうか?」
ツヨシも周囲を見回してみるが、微かな月明かりだけが照らす道に、人影はなかった。
そういえば、この前ファミレスでもカイトがそんなことを言っていた気がする。
ツヨシ自身は特に視線などは感じなかったが、気をつけるに越したことはない。
正直、アオイが感じたという視線よりも、カイトとスミレが部屋で二人きりという状況の方が気がかりだった。
コンビニで菓子パンを適当にいくつか購入し、そこからカイトの家まで戻る。その間も、ツヨシの心は不安で満たされていた。
「どうしたの、ツヨシ。なんか元気ないね」
アオイにも心配されたが、
「少し眠いだけだ」
と誤魔化した。
「まあ、もうあたしらもいい年だしね。なかなか徹夜はきついわ」
「そんなこと言って、アオイは元気そうじゃないか」
彼女の口調にも足取りにも、疲れは感じられなかった。
「体力がなきゃ、母親は務まらないからね」
「さすがだな」
「そうだ。年といえば、聞いてよツヨシ。千円札ってあたしたちが小学生くらいのころに変わったじゃない?」
「ああ」
「それでこの前、偶然持ってた昔の千円札をコンビニで出したのよ。そしたら高校生くらいのバイトの子が苦笑いしてね『すみません、おもちゃのお札はちょっと……』とか言うのよ」
「そうか。今の高校生は、お札が変わったころはまだ赤ちゃんだったもんな」
千円札の肖像が野口英世に変わってから、もう十五年以上が経つ。
「そうなのよ。もう悲しすぎて、悲しすぎて。説明することを放棄して我らが諭吉様を召喚してやったわ。時間って残酷よね」
「たしかに、時が経つのは早いものだな」
ツヨシは、改めて学生時代に思いを馳せる。
バンド活動に青春を捧げていたあのころ。必死でギターをかき鳴らした。メロディーを並べて、世界に一つしかない音楽を作って奏でた。夜遅くまで音楽について語り合ったりもした。
「早く言わないと誰かに取られちゃうかもよ」
回想を、アオイの声が遮る。
「なっ、何がだ⁉」
ツヨシは誤魔化そうとするが、唐突なアオイの発言に声が裏返ってしまう。
「あはは、わかってるくせに。大丈夫。あの二人には黙っててあげるから」
ツヨシはもちろん、アオイの言っていることの意味を理解していたし、自分の気持ちに気づいたのがアオイでよかったとも思った。
綺麗な丸の形をした、薄く光っている満月に照らされながら、二人はカイトの家まで戻った。
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