2-3 猫の名は


「いやぁ、それにしても、まさか本当に四人揃うとはな。驚いた」

 カイトがテーブルを囲んだメンバーを見回した。


 ギターのツヨシ。ドラムのスミレ。ベースのアオイ。そして、ボーカルのカイト。

 学生のとき、同じステージの上で、同じ音楽を奏でたMilKy TiMeのメンバーが、数年の時を経て再び集まっていた。


「ね。突然だったのにすごい!」

 スミレが掌をパチンと合わせて嬉しそうに言う。


「それで、アオイは今は専業主婦だっけか?」

 ツヨシの持ってきたポテトチップスを食べながら、カイトが尋ねる。

 テーブルには、おでんとおつまみ、お酒の缶と紙コップが隙間なく並べられていた。


「うん。そうだよ」

 アオイは大学を卒業してすぐに、当時交際していた年上の男性と結婚した。しばらくはスーパーでレジ打ちのパートをしていたが、一年経たないうちに妊娠し、専業主婦となった。


「子どもは何歳になったんだ?」

「もうすぐ四歳。あっという間だね。夜泣きとかはだいぶなくなったけど、自由に歩けるようになったもんだから、やっぱり目は離せなくてね」


「大変だな。今日はこんなとこに来て大丈夫なのか?」

「こんなとことはなんだ!」

 自宅をこんなとこ呼ばわりされたカイトが、すかさず文句を言う。


「旦那が面倒みてくれてるよ」

「旦那かぁ。いいなぁ」

 スミレがうっとりした表情でつぶやいた。


「たまには自分の好きなことしてきなって言ってくれたんだ」

 アオイが、嬉しそうに頬を緩める。


「うわぁ、いい旦那じゃない。私も言われてみたいよぉ」

 酔っ払っているらしいスミレが、だだをこねるような口調で言った。


「そういう小池は、結婚の予定はないのか?」

「やだぁ、つよぽんそれセクハラだからね!」


「そういう話は学生時代に散々してただろ。別に、答えたくなければ答えなくてもいいが」


「結婚の予定もないし、付き合っている人もいないけどぉ、気になる相手ならいるかなぁ」

 スミレは文句を言いつつも、律儀にツヨシの質問に答える。


「そうか。なら早く付き合えばいいじゃないか」

 このとき、スミレはツヨシが不機嫌そうな表情を浮かべていることに気づかなかった。


「簡単に言ってくれるねつよぽん。人間は誰もがつよぽんやカイトくんみたいにスペックが高いわけじゃないの。付き合おうと思って付き合えたら苦労しないんだからね。覚えておきなさぁあああ~あ、眠くなっちゃったぁ」


 前半は真面目な口調で話し、後半はそれを台無しにするような大あくびをしたスミレは、目を擦りながら伸びをした。


「もうこんな時間だしな。でも、明日はみんな休みだろ。せっかくこうして集まったんだ。朝まで飲むぞ。幸い、社会人の生活などストレスだらけで、愚痴のストックは貯まるばかりだ。特に編集長と担当している作家についてはな。ここらで吐き出させてもらおうか」


 編集者としてのツヨシが、カイトを睨んで言う。

 当のカイトはといえば、視線を明後日の方向に向けて知らないふりをしている。


「そんな聞いてて憂鬱になりそうな話は嫌だよぉ。それよりつよぽんとカイトくんは今フリーなの?」

 スミレは始まりかけたツヨシの愚痴をきっぱりと拒否し、話を恋バナへと戻した。


 その質問はセクハラじゃないのか、という言葉を飲み込み、ツヨシは答える。

「そうだな、今は仕事が恋人みたいなものだ。それにカイトは言うまでもない。あの体質のことを忘れたわけではないだろう」


 MilKy TiMeのメンバーは全員、カイトの体質のことを知っていた。

 完璧超人な上に親しみやすい、故に年中無休でモテ期なカイトは、女性に告白されると鼻血を出して気絶してしまう。そのため、恋人ができたことがなかった。この体質が治らなければ、この先も女性と交際する機会は訪れないだろう。


「そっかぁ、やっぱり治ってなかったんだね。ごめんね、嫌なこと聞いて」

「ああ、大丈夫だ。正直もう慣れたよ。気にしなくていい」

 カイトは、そこら辺の女性ならイチコロの笑顔で優しく言った。暗くなりかけた場の雰囲気が、再び明るくなる。


「あ、そういえばさ、スミレんとこの猫は元気?」

 アオイが思い出したかのように尋ねる。


「そりゃあ元気よ。元気すぎて困っちゃうくらい。こないだも廊下の壁がやられたわ。修理代が恐くて引っ越せないよ」


「いや、そこはさっさと修理した方がいいんじゃ……。というか、小池、猫なんて飼ってたっけか?」


「大学を卒業してから飼い始めたの。見る?」

 ツヨシの質問に答えたスミレが、返事も待たずにポケットからスマートフォンを取り出して画像を表示する。


 スミレの持つスマートフォンの中には、ぶすっとした表情の猫がカメラ目線で鎮座していた。画面越しでも、もふもふしていて気持ちよさそうなのが伝わってくる。


 うちの編集長もこれくらいもふもふしていれば、少しはストレスも軽減されるのだが……などと、どうしようもないことを考える。せめて日本語を話さないでいてくれれば……。


「おお、なかなか可愛いな。名前はなんていうんだ?」

 せっかくの楽しい時間なのだから、と編集長のことを頭の中から追い出し、ツヨシが質問を投げ掛ける。


「ん? 猫だよぉ」

「いや、それはわかる。その猫の名前を聞いてるんだ」

 ツヨシは、スミレが酔っ払っているせいで会話が成り立っていないのかと思った。


「名前が猫なんだよぉ。面白いでしょ?」

「なんだそりゃ。まるで――」


「それより、カイトくんは今小説書いてるんでしょぉ? どんな話なのぉ?」

 ツヨシが何かを言うより先に、スミレが興味津々な様子でカイトに問いかけた。


「あ、それあたしも聞きたいな」

 アオイも気になるようで、カイトの方を向く。


「まあ待て。話してもいいがここはやはり担当編集を通してからでないと――」

 カイトは明らかに狼狽うろたえながら言った。どうやら、自分の作った話を知り合いに聞かせるのが恥ずかしいらしい。


「いいぞ、話せ。今日は元々、打ち合わせの予定だったからな。消費者側の意見も聞ける素晴らしいチャンスじゃないか」

 ツヨシは腕組みをしながらそう言った。


「なっ、ツヨシお前……。俺の味方はいないのかよ⁉」

 カイトは大げさに頭を抱えて嘆く。


「どうした? 傑作長編の構想ができたのだろう? 書店の一等地に大量に並ぶ大ベストセラーの話を発売前に聞けるなんて、この上なく幸せなことだ」


 わざとらしく意地悪い笑みを浮かべながらのツヨシの発言に、カイトは「クソッ」と悪態をついた。

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