間章三話 目覚め
ヘレーネを寝台に放り込んだ後、僕までつられて眠ってしまっていたみたい。ちゃんとした睡眠をとるのなんていつぶりだ?精霊というのは、別に眠る必要が無い生物だから、普段はほとんど眠ることが無いからね。睡眠時というのは一番無防備な瞬間だし、外敵に狙われないとも限らない。それが必要ないというのは、究極の生物である精霊の特権だ。まあ、僕の外敵にあたる者なんてほぼ存在しないけど。
寝台の上のヘレーネはまだ眠っているみたいだ。人間にとっての睡眠はたしか、休息と記憶の整理をするって役割があったはずだから、まだしばらくはかかるかもしれない。よくよく考えてみると、人間にとって三百年分の知識は重すぎる。ちょっと軽率だったかもしれない。
「記憶を整理しているっていうなら、無理やり起こすわけにもいかないし、しばらくは様子見かな」
そういえば、僕が眠ってしまってからどの位経ったんだろう。日の傾き具合から見れば数時間ってところだけど、もしかすると、一日以上経過しているかもしれない。何とか時間を確認したいところだけど、何か方法は…
――コンコン
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされるのが聞こえた。ああ、僕が目覚めたのは、このせいか。自分が無防備な時に他人が近づいてきたから、危機感知のスキルが発動したんだろう。このスキルが使われるのも久しぶりだな…
「入りますよ、ヘレーネ」
そう言いながら入ってきたのは高身長の女。ヘレーネとはずいぶん年が離れているように見える。学院の教師とかそれに準ずる存在だろう。魔法の講義を取り仕切っていたのとは別人だ。もちろん、普通の人間だろうから、僕の姿は見えていない。というか、この部屋、鍵かけてなかったっけ?
「眠っているのですか。全く、二日も講義に出てこないから何かあったのかと様子を見に来てみれば…」
どうやら、僕が眠っていたのは二日間らしい。いつ振りかも分からないほどの睡眠だ。たった二日で済んだなら僥倖だろう。いや、でも待てよ…僕はよくてもヘレーネは不味いんじゃない?二日間も飲まず食わずだと結構衰弱しているんじゃ…
「おや、顔色が良くありませんね。体調が悪かったのですか。それならそうと報告してくれれば…」
ほら、顔色が悪いとか言われてる。そりゃ二日も眠っていたら…というか、気を失った感じだから、昏睡状態に近いのかもしれない。
「とりあえず、医者を呼びましょうか」
そのまま女は踵を返し、部屋を出ていった。あの様子だと、すぐに医者を連れて戻ってくるだろう。人間の医者は、診断を下すために鑑定スキルを持っていることが多い。それだと、契約のことや、ヘレーネが勇者になったことまで公になってしまうかもしれない。ならさっさと目を覚まさせるべきだ。幸い、気付け薬に質のいい回復薬は手持ちにある。これだけあればとりあえず大丈夫だと思う。さっきの女の独り言が多くて助かった。
「さて、取り合えず…」
ヘレーネの口に気付け薬を流し込む。これは、強烈な不味さで目を覚まさせる薬だ。味はそうだな…辛味と苦みを混ぜ合わせたようなものかな。目が覚めた後も口に残ったままにしておくと、さすがにかわいそうだから、洗浄の魔法を口内に使ってあげよう。
「うえっ。ゲホッ」
咳込みながら目を覚ましたヘレーネに対して口内洗浄を実行すると、更に咳き込ませてしまう結果になった。まあ、いきなり口内を水が駆け巡るわけだから、仕方ないとも言える。
「ごめんね。ヘレーネ。二日も寝たきりだったらしいから、気付け薬を飲ませたんだけど…」
「ああ、だから口の中がとんでもないことに…」
「あれ、まだ味が残ってる?」
「いや、すごい味だったけど、それ自体はもう大丈夫。口の中で水がぐるぐる回ってた方が衝撃だった。溺れたのかと思ったよ」
「あれをやらないと、口の中がそのままの味だから…まあいいや。とにかくこれを飲んで。回復薬だよ。飲まず食わずだったから、いくら勇者の肉体になったからと言っても、弱っているだろうし」
むしろ勇者の肉体だから余計に弱っているかもしれない。強靭な肉体は、エネルギー消費が激しいから。
「こっちは普通の味だ」
「あれに比べればね。気付け薬が美味しかったら、役割を果たせないし。いや、そんなことより、早くここを離れないと。医者が来たら鑑定スキルを掛けられて、勇者になったことがバレる」
「知られたらよくないの?」
「そりゃあそうだよ。世界にたった一人しかいない存在なんだから、いろんなことに巻き込まれるし、取り込まれる。そうなったら最後、今後の自由は望めない。まあ、逃げることも出来なくはないと思うけど、人を捕らえておくためのスキルなんて腐るほどあるし」
回復薬でよくなった顔色を再び悪くするヘレーネ。
「そんなことになるなら早く言ってほしかった…」
「力を得るのに代償は付き物だよ」
「他に隠していることは無い?」
こういうのをジト目って言うんだっけ?別に隠してたわけじゃないんだけど…
「たぶん…」
「ホントかなあ…まあいいや。とりあえず、今はここを離れないと…」
「手を出して。瞬間移動で行こう」
「え?」
そんな素っ頓狂な声を合図に瞬間移動で僕たちが移動した先は、この町の食事処。とにかく、ヘレーネは何か胃に物を入れた方が良いかと思ったからだ。貴族の令嬢であるらしい彼女は給仕がいない食事は慣れていないかと思って給仕付きの高級店を選んだ。ああ。お金が無くても大丈夫。人間の生活していた頃に荒稼ぎしてたから。確か、今も同じ貨幣が使われているはず。
食事を済ませた後、行った先はこの前見つけた、森の中の空き地。たぶん、誰かが切り開いた土地だろう。なんか結界もどきが張ってあったけど、これくらいなら無視できる。多分、土地を奪われないようにだと思うけど、ちょっと使うくらいなら問題無いでしょ。持ち主が来たところで、それこそ金で黙らせられる。
「さてと、ここに来たわけは分かる?」
「さあ?」
二度目の瞬間移動では、一度目ほどの驚きは無かったのかそう返してくるヘレーネ。この子、なんとなく、順応能力が高い気がする。
「さっき―二日前に風魔法の知識を流し込んだでしょ?使えるようになったはずだからそれを試してみるのと、後は、勇者になる時に使った剣を―」
台座に刺さったままのオリハルコンの剣を取り出した時、ヘレーネの纏う空気が一気に塗り替わった。
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