第百七十四話 ヨルダン

 「こんなところで出身地の話をするのは野暮だったかしら」


驚いた顔をしたクルトに対して嫌な顔をしたのはヨルダン。多分、ヨルダンに家名が無いってことが関係しているんだと思う。家名―名字が無いってことは、この国だと孤児とか家が取り潰された罪人とその家族ってことだから。それだと故郷にいい思い出なんてないよね。ちょっと失敗したかもしれない。でもまあ、ヨルダンの反応から日本のことを知っているのはほぼ確実だ。さすがに、家名の無い者に故郷の話を振られたからってだけであの驚き様は説明がつかないし。


「いえ、そんなことは…ただ少し驚いただけです」


上手い返しだね。クルタには故郷のことを聞かれて驚いたと思われるだろう。それでいて私に対しては、同じ日本出身の人がいたことに驚いたと伝えることができる。


「まあいいわ。では約束通り褒賞を与えましょう」


とりあえず、金貨の一枚でも渡しておこうか。ヨルダンがどのくらい給料をもらっているのかは分からないけど、喜んでくれるかな。久しぶりの演劇で私も楽しめたし、チップみたいなものだ。


「こ、こんなに貰っていいのですか?」

「あら。あの物語には最低でもそのくらいの価値はあると思うけど…ここに集まっていた人々から集めた料金は一人あたりは少なくとも、全員分集めたらとんでもない額になるでしょう?そのくらいの功績は認められてもいいはずだわ。貴方、お給料はどのくらい貰っているの?」


私がそう聞くと、あからさまに顔色を悪くするクルト。もしかすると、安い給料でこき使っているのかもしれない。


「一つお話を作るごとに買い取ってもらっているのです。大体一つにつき銀貨数枚と言ったところでしょうか…」


とんでもない値段で買い叩かれてた。ヨルダンはこの世界における物語の価値をわかってないのかな。


「それは随分な扱いね。クルトはこの世界における物語の価値をわかっていないのかしら…」


少しの嫌味を込めてそう言ってみる。さて、どんな反応を示してくるか…


「め、滅相もございません。ヨルダンには衣食住を保証しております。その金額を天引きして、報酬を渡しているのです」

「それは本当なのかしら?」


少し辻褄が合わない気がする。固定の給料でもないのに、天引きするのはちょっと変だ。物語一つ書き終わるのもどれくらいかかるか分からないし、なんなら売れるかどうかも分からないのに…


「確かに、衣食住は保証していただいていますが…」

「それなら、その保証はすぐに取りやめてもらいなさい。衣食住を自分で賄うことにすれば、今よりも随分と豪華な暮らしが出来るでしょう」


恐らく、この天引きはヨルダンに支払うための報酬をどうにか減らすための口実だろう。だって、この国で暮らすのに住居はともかく、衣食でそんなにお金がかかるはずがない。


「恐れながら…ヨルダンは罪人の子です。我が商会の庇護の外に出れば生きていくことすら難しいでしょう」


厭らしい表情でそう言ったクルトの言葉を聞いて、顔を顰めるヨルダン。明らかに触れてほしくないところに触れられたって感じだ。ああ。そういう口実でピンハネしてたわけだね。家名が無いのは孤児だったからじゃなくて犯罪者の子供だったからってことか。連座処分がされていないってことは、そこまでの重罪ではなかったんだろうけど、この世界、犯罪者とその親族に対する扱いは、向こうの世界と比べ物にならないくらい酷い。確かに普通に生きていくだけでも苦労するだろう。


「では、わたくしが後見になりましょう。貴方の才能はこんなところで腐らせておくのは勿体ないわ。もちろん、ヨルダン。貴方が望めばだけど…」


まさか、罪人の子に庇護を与えるつもりであるなんて思わなかったんだろう。クルトどころかアニとアルトまで驚いている。そもそも、イザベルだってこの国の法だと、貴族に逆らった罪人の一族だ。それを分かっているからか、イザベルに驚きはないんだろう。なんなら私だって、王族に逆らっているわけだから、表沙汰になっていないだけで広い目で見れば罪人だしね。二人は何をそんなに驚いているんだろう。


「罪人の子供だからといって、不当に搾取される必要はないわ。ここを離れれば今度はそこのクルトが物語を売ってくれと頼みこんでくることになるわよ。もちろんあなたがいいなら、適正な値段で売ってあげればいい。何もここで搾取されていたのは、何も欠点では無いわ。実績をつけることが出来たわけだし、わたくしが後ろ盾として宣伝すれば、貴方を雇いたいという者は数えきれないほど出てくるでしょう。もちろん、わたくしに売ってくれてもいいのよ。完成度や長さにもよるけど、一つにつき、最低でも金貨一枚は払いましょう」


苦汁を飲むような表情のクルトとは反対に、明るい表情のヨルダン。これは決まりかな。


「お嬢様、そのようなことをご当主様であるキースリング伯爵にご相談せずに決めてしまってよろしいのですか?」


最後の足掻きとばかりに、そう言ってくるクルト。別にエーバルトの許可はいらない。私たちの拠点で生活と仕事はしてもらえばいいし、報酬の支払い能力も十分ある。言い方はわるいけど、金ならあるってやつだ。


「問題ないわ」


それだけ言って黙らせる。わざわざこっちの内情を教える必要もないからね。


「後は、貴方の意志次第よ。まあ、表情を見ればどうこたえるのか予想は出来るけど」


軽くウィンクしながらそう言ってみる。この片目瞬きの意味も向こうの世界の記憶が無ければ分からないだろう。


「謹んでお受けいたします」


そう、恭順の姿勢を取るヨルダン。契約スキルで細かいところは決めないとだけど、まあそれは、じっくり相談しながら考えていけばいいだろう。


「よろしい。なら、すぐにでも住居を移せるようにしなさい。この劇団を離れることを嫌がり、何か害してくる人がいないとも言えないわ」


私の釘差しともいえる言葉を聞いたヨルダンは顔を青くする。他所に取られるくらいならばと、強硬手段に出る人もいないとは言えない。特にヨルダンは犯罪者の子で身分が低いからね。クルトとか絶対何かしてくるでしょ。


「では、あなたの住居に案内してちょうだい。そこにうちの使用人を向かわせるわ」

「かしこまりました」


ヨルダンのその言葉で、私たちはその場を後にする。後方から向けられていた深い憎しみの視線にその時に私は気が付いていなかった。

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