第八十七話 知の戦
侯爵家の門を潜り、案内された先は応接室。さすが侯爵家というべきか、うちの部屋より調度品が豪華に見える。ソファーだって、私とエーバルト、ヴァネッサが腰を掛けてもまだまだ余裕があるほどの大きさだ。
「わたくし、キースリング家の専属調停官をしている、ヴァネッサ・ハルデンベルクと申します。今日は降伏勧告をしに来ました。」
すでに着席している、侯爵ともう一人の男に向かってヴァネッサがそう言う。
「ということは、やはり我々が送った兵は全滅させられたようですね。」
侯爵ではない方のもう一人の男が言う。たぶんこの人が、侯爵家の調停官なんだろうね。
「私が昨日全滅させた。証人はそこの捕虜。ほかにも三百八十五人、生き残りの捕虜がいる。あと、アメリア・ハインケスって女も捕まえてる。捕虜交換は出来ないから、返してほしいなら何か対価を支払ってね。」
軽く補足をすると、信じられないとばかりに連れてきた捕虜に目を向けている。その捕虜たちもこくりと頷き、全滅の証明をしてくれた。
「もう降伏を受け入れるしか道はないな…」
現実が見えたとばかりにそう呟く侯爵。これで話が進められるね。
「それでは、こちらが求める賠償についてです。数日間、領内の経済が止まった影響、領民の避難先での生活費用、復興費を合わせて白金貨二十枚を請求します。もう一つ、王家の許可が下りた場合、キースリング領との境界から、一番近い村までの領地要求します。」
矢継ぎ早にヴァンネッサが攻める。白金貨は十枚って話だったけど、領民たちを食わせたり、衛士たちに手当を払ったりと様々な出費がかさんだ結果、これだけの額を請求しようってことになったらしい。昨日の戦いの結果屋敷の周りはとんでもない惨状になってしまったから、その清掃費なんかも兼ねているみたいだ。まあ、私とアニ、アルトが水魔法できれいにしちゃったから、その費用は掛からなかったんだけど、普通ならとんでもない費用が掛かる規模だったらしい。私たちが魔法で掃除したなんてことを侯爵は知らないんだから、吹っ掛けても問題ないってことだろうね。白金貨二十枚もあれば、キースリング家の財政もある程度は回復するだろうし、エーバルト、内心ウハウハなんじゃないだろうか。
「領地を求められるのは予想外でしたが、変動自体は昔の戦争の結果ではよくあったことだと聞きます。妥当なところだと思いますよ。」
侯爵に向けてそう告げている向こうの調停官。もしかしたらスムーズにいくかもね。
「だが、キースリング家から一番近い村と言ったら、ベルグ村だ。あそこを渡すわけには…」
ベルグ村。聞いたこと無いね。何か重要な拠点だったりするのかな。
「渡すわけにはいかないと言いましても、あなた方は敗者だ。法外なことを要求しているわけでもないので拒否することは出来ませんよ。」
ヴァネッサがさらに詰めるが、向こうの調停官も黙っているわけじゃないみたいだ。
「いえ、拒否するわけではありません。交渉です。双方が納得した結果なら、問題ないでしょう?例えば、ベルグ村ではなく、別の場所をそちらに譲るというのはどうでしょう。」
「それは出来ません。場所を変えれば飛び地になる。そうなれば、統治の難易度は格段に上がってしまいます。土地を手に入れるメリットがありません。」
今度はエーバルトがきっぱりと断りを入れる。こういうのは隙を見せちゃだめだ。断固として譲らないという気概を見せておかないと、そこを攻められてしまう。エーバルトの発言は正解だったと思う。
「侯爵さま――」
エーバルトの言葉を聞いて、何やら二人が相談を始めたみたいだ。正面というほど近い距離にいるのに、聞き取ることが出来ないほどの小さな声。
「では、こういうのはいかがでしょう。領地の件をお考え治していただけるなら、白金貨を先ほどの賠償金と併せて七十枚お支払いします。」
白金貨を追加で五十枚。領地の境界から最初の村までの面積はそんなに広くない。そう考えると、破格の値段に思える。でも、短期的に見ればそっちの方が得かもしれないけど、長期的に見れば領地をもらった方が得だ。税収も入ってくるし、何より後の世代に残すことが出来る。エーバルトの考え次第ってところだね。
「それは飲めません。土地の要求を取り下げることはありません。」
あの表情はエーバルトも気が付いたみたいだね。白金貨五十枚でベルク村を守ろうとした侯爵。だけど、逆に言えば、ベルグ村にはそれ以上の価値があるってことだからね。こっちを選んだ方が利益は大きいはずだ。でも、一つ思いついてしまった。白金貨を大量に手に入れて、さらにベルグ村まで手に入れる方法を。
「お兄様。そう悪い話ではないのでは?ただ、白金貨五十枚では少なすぎますね。」
その一言で何かを悟ったらしいエーバルト。さすが貴族家の当主をやっているだけのことはある。
「そうだな。少なくとも白金貨が―」
「百五十枚は貰わないとですね!!」
突然始まった私たちの小芝居とも呼べるやり取りに侯爵側はおろか、ヴァネッサさえも唖然としている。
「百五十枚はさすがに…うちに出せるのは賠償金と併せても九十枚が限界だ…」
侯爵が口を滑らせた。この言葉を待っていた。
「じゃあ、それで構いません。合計白金貨九十枚で賠償は結構です。お兄様も良いですか?」
「支払えないとなれば仕方がないだろう。分割で貰うという手もあるが、それでは今度はうちの財政が苦しい。」
「では、白金貨九十枚を支払い領地の移動は無しということでよろしいですね。」
ヴァネッサが気を取り直してそう言う。
「分かりました。お支払いします。」
侯爵もそれを飲んだ。その言葉で侯爵家側は安堵の表情を浮かべている。もう、何とかなったとでも思っているのかな。でもそうはいかない。侯爵家からは、搾り取れるだけ搾り取ってやる。私を怒らせた罰だ。
「では、次は捕虜の引き渡しについてですね。条件は、キースリング領との境界からベルグ村までの領地です。あの中には王国から貸し出された兵士もいるのだとか。取り戻さないとまずいのではないですか?」
こう告げたときの私はきっと、すごく悪い顔をしていたと思う。
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