第八十五話 それぞれの状況
あの地獄のような光景の後始末――生存者探しに遺品、遺体の回収あとは清掃に取り掛かった私たち。意外にも生存者は多かった。まあ、大けがの人ばかりで無傷の人はいなかったけど…無傷の人は自力で逃げたと思うことにしよう。一刻を争うような人に対しては、私が直接治療することで乗り切った。
「捕虜は占めて三百八十七人。そのほとんどがショックが大きかったようでまともに会話もできない状況だ。明日、まともな何人かを連れて、降伏勧告を行いに行く予定だ。この捕虜の数だと、食わせるのも大変だからな。さっさと降伏してもらって捕虜を引き渡したいのが本音だ。」
今は、簡単な状況報告会をしている。集まっているのは、私たち三人と、エーバルト、オリーヴィアに衛士隊長と衛士が数人だ。だけど、こちらの被害は全くと言っていいほど無かった状況での勝利なのに、皆一様に表情は暗い。アルトはいつも通りの表情だけどね。かく言う私の気分も落ち着いていた。罪悪感なんかも特には無い。あの女を殺した時もそうだったけど、転生してから、そういう感情を抱くことは極端に少なくなった。私の方に落ち度がある時ならまた違ってくるけど、こういう時は全くの皆無と言っていい。たぶんこれは、一ノ瀬杏樹の思考じゃなくて、ハイデマリー・キースリングの考え方なんだと思う。
「この結果なら、完全勝利と言っていいだろう。皆、ご苦労だったな。もう攻めてくることも無いだろうから、ゆっくり休んでくれ。ほかに何もなければこれで…」
「私の方から一つよろしいでしょうか。」
そこで声をあげたのは衛士長だった。
「構わない。」
エーバルトが了承したのを皮切りに、堰を切ったかのように語りだす。
「此度の戦に勝利したことで、密偵やスパイを送り込んでくる有力者も増えることだろうと予想します。その対策として、衛士隊と警備の増強を進言いたします。」
「確かにその必要はあるかもな。考えておく。」
「よろしくお願いします。」
警備の強化か。この戦争がひと段落すれば、私はまたここを離れるわけだから、確かに必要だね。
「それじゃ、今日はここまでにしよう。ハイデマリー明日は、一緒に来てもらえるか?」
「降伏勧告に行くんですよね。分かりました。」
「よろしく頼む。」
それだけ言ってエーバルトが去ったことで、今夜はお開きとなった。私もそのまま部屋に戻り、ベッドに飛び込んだ。疲れていたからか、すぐに意識が遠くなる。その寸前、アニが何かを言っていた気がするけど、私の耳にそれが届くことは無かった。
同時刻、ヘルマン侯爵家でも似たような報告会が行われていた。
「どういうことだ!!兵の姿が消えていただと!?」
声を荒げるヘルマン侯爵。物資の補給に行かせた馬車からの報告によると、伯爵家の周辺には、すでに進軍した兵達の姿は無かったという。というより戦闘の形跡すらなかったというのだ。
「考えられる可能性はいくつかありますが、おそらくはキースリング家の娘の仕業でしょう。魔法で軍その物を消失させてしまったか、殲滅後、戦いの痕跡を消してしまったのか。あと、可能性は低いでしょうが、何らかの理由で撤退せざるを得ない状況に陥り、どこかに身を潜めているといったところでしょうか。」
こう予測したのは侯爵家の参謀役。いわゆる軍師のような立場の者だ。奇しくも彼の予想の一つは正解だったのだが侯爵は半信半疑といった様子だ。
「あの数だぞ!!いくら何でもこの短時間に殲滅されるとは思えん。魔法使いの数も千人はいた。何の対策もできなかったわけでは無いはず…いや、こっちに待機させていた隊の魔法使いたちも無力化されていたな。それを向こうでもやられたとなると、何もできずに殲滅させられたのも考えられるか…だとしたらまずいなんてレベルじゃないぞ。ほぼ敗北が確定だ。あれだけの兵力を使って敗北となれば、俺の評判は地に落ちる…それに国軍から借り受けた兵士たちの件もある。戦力差は圧倒的だから、負ける心配はないと言って借り受けたんだぞ。戦死させたとなれば何を言われるか…」
後半に行くにつれてどんどん声量が下がっていく侯爵の言葉を最後まで聞き取れた者はこの場にはいない。ただ、聞き取ることが出来なくとも、自体が深刻であることは誰の目にも明らかだった。
「とにかく、事実を把握するのが先決です。もし本当に殲滅されたというのなら、敵側から何かコンタクトがあるものと思われます。今はそれを待つしかないでしょう。さらに兵を送るのはあまり得策ではないかと。中途半端な戦力を送れば、それこそ捕虜にされてしまうだけです。」
「そうだな。お前が言った撤退したという可能性も視野に入れつつ、今後の方針を考えよう。すでに、敗北している可能性もあるのだ。賠償についても考えねばならないな…」
この戦争は、侯爵家が婚約をしつこく申し入れたところから始まっている。宣戦布告は向こうからでも、原因はこちらにあるわけだ。そうなると、だいぶ吹っ掛けられるかもしれないな。という思考が侯爵の頭に走る。侯爵も理性では認識しているのだ。自分が敗北していることを。ただ感情がそれに追いついていない。五十年を超える長い人生の中で培った経験がそれを否定している。たった一人の魔法使いに一万人にも匹敵する軍隊が敗北するわけがないと。貴族の中でも珍しい、軍事関係の仕事をしているヘルマン侯爵だからこその思考的弊害だった。
「王国軍にも話をつけなければなりませんね。そこについては私にも考えがあります。」
やらなければならないことが山ほどある中、ヘルマン侯爵家の眠れぬ夜は更けていく。
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