第七十六話 宣戦布告

 怒り狂った様子のハイデマリーは今にも魔法を放ってきそうな勢いだ。普段、全く魔法の気配を感じることのできない俺にもそれが何となくわかるほどには、膨れ上がっている。

「お、落ち着け。ハイデマリー!!」

何とか彼女を落ち着かせなければ、屋敷が消し飛ぶどころか、命が危ない。

「問答無用!!」

その声を聞いた途端、ヘルマン侯爵が窓ガラスを突き破り、吹っ飛んでいった。

「ハイデマリー!!やめなさい!!」

遅まきながら、血相を変えてオリーヴィアが応接の間へ飛び込んでくる。

「ふう。すっきりした。」

部屋中を包み込んでいた、威圧感が消え失せる。どうやら落ち着いてくれたらしい。ってそれどころじゃない。ヘルマン侯爵を助けなければ。

「遅かったようね…」

状況を認識したらしい、オリーヴィアがそんな声を上げる。まあ、間に合っていても、止められたとは思わないが…。

「ヘルマン侯爵の介抱を頼む…」

騒ぎを聞きつけ、集まってきた使用人に声を掛ける。

「ハイデマリー、お前…」

「私は悪くないですよ。悪いのは、さっきの侯爵とお兄様です。でも、お兄様には何度かお願いを聞いてもらった恩があるので今回は、許してあげます。」

「そ、そうか。」

俺の口から洩れたのはたったそれだけだった。

「では、私はこれで。」

そう言うと、満足げな顔つきで、ハイデマリーは部屋を出て行ってしまった。今回の件は、完全に彼女が悪いとも言い切れない。さすがにやり過ぎだとは思うが、確かに彼女からすれば、怒るのは当然だろう。実の母親に道具扱いされ、実際に売られる直前までいったのだ。普通の子供ならトラウマどころじゃない。今回の件も、道具扱いという面では似たようなものだ。俺にその意思がなくとも、彼女がどう思ったかは火を見るより明らかだ。

「それで、そっちはどういう状況だったんだ?」

立ち尽くしたままのオリーヴィアに問いかける。

「ハイデマリーの魔法で、お兄様たちのお話を聞いていたのですが――」

オリーヴィアからことの顛末を聞くと、どうやら自分の話をされるだろうと考えた、ハイデマリーの発案らしい。オリーヴィア自身も自分に飛び火する可能性があると考え、その場に同席したということか。結果的にオリーヴィアの話がされることは無かったが、侯爵は吹き飛ぶ寸前。オリーヴィアの名前を口にしていたからな。その予想は間違いではなかったのだろう。

「そうか…盗み聞きは感心しないが、ハイデマリーの発案じゃなぁ…」

彼女に直接関係していることだから、蓋をするのは難しい。

「話は分かった。俺は、侯爵に謝罪をしなければ。今は気を失っているらしいが、目を覚ませば、まあ…怒り狂うだろうな…」

そう考えると、気が重い。何をされるかわかったもんじゃない。なるべく穏便に解決できることを願うしかないか…



「お疲れ様です。お嬢様。お茶の準備が出来ていますよ。」

私たちが泊まっている来客室へ戻ると、アニがお茶を入れてくれていた。

「ありがとう。」

あ、おいしい。味はアールグレイに近い。でも、たまには緑茶が飲みたくなるね。どっかで売ってないのかな。

「あちらの様子はどうでした?」

侯爵とエーバルトのことだろうね。アニも話は聞いてたからね。気になるのも当たり前だ。

「大丈夫。ちゃんと懲らしめてきたから。」

「何が大丈夫なのかはわかりませんが、お気が済んだならよかったです。」

まあ、軽く吹き飛ばしただけだし、死んでは無いでしょ。

「あ、そういえばこの前、ブルグミュラーで蜜を買ってきたんだった。パンに合うやつにしたから、お茶菓子の代わりに食べてみようか。」

いつも通り執事を呼び出し、パンを持ってきてもらおうとするけど、誰も来る様子が無い。

「忙しいのですかね。私が貰ってきます。(おそらく、お嬢様がしたことの後始末をしているのでしょうね…)」

それだけ言って、部屋を出て行ってしまった。アニは働きすぎなんだから、ここにいる間くらいは、他の使用人たちに任せればいいのに…

 数分後、ノックとともに扉が開かれる。

「お嬢様、エーバルト様がお呼びでございます。」

そこにいたのは、戻ってきたアニではなく、執事のスヴェン。ここに住んでいたころには、外に出ようとして、よく彼に捕まっていたっけ。

「要件は?」

まさか、お説教か?さすがに今回は怒られる筋合いはない。

「私には分かりかねます。ただ、お怒りになっているという様子ではありませんでした。」

私の懸念が伝わったのか、そう付け加えるスヴェン。

「アニが戻ってきたら行くよ。」

「左様でございますか。では、医務室の方までお願いします。」

使用人たちは、もともとメイドだったアニの扱いに戸惑っているようで、名前を出すとすぐに引き下がってくれる。というか医務室?もしかして、侯爵の治療をさせられるのでは?それなら行くなんて言わなければよかったよ。

 



 せっかく取ってきてもらったパンを食べることなく、医務室へ。中にはエーバルトにオリーヴィア、後はベッドに横たわる侯爵。意識はあるみたいだね。

「ああ、来てくれたか。侯爵がお前と話したいらしくてな…」

どうやら、治療をさせられるわけじゃないみたいだ。

「私は話すことなどありません。」

正直、顔を見るのも嫌だ。あれだけで済ませてあげたんだから、感謝してほしい。そのまま、踵を返そうとしたところで、侯爵から声がかかる。

「そんなことを言って、いいのですか?このままでは当家と戦争になりますよ。我が侯爵家は軍とも太いコネクションがある。そうなればそちらに勝ち目はない。」

エーバルトとオリーヴィアがぎょっとした顔をしている。そもそも貴族同士の戦争なんて成立するんだろうか。王家が相手ってわけでもないから、内戦とも違う気がする。

「はあ、それで何が目的ですか?」

仮に戦争になったとしても私が参戦すれば、まあ勝てると思う。私だけじゃない。アルトも目覚めれば参加することになる。そうなると、さすがに相手側がかわいそうだ。この愚かな侯爵に巻き込まれ、参加した人は命の危機に瀕するわけだからね。目的を聞いて避けられるならそれに越したことは無いだろう。

「フッ。知れたことよ。お前は、お前たちは侯爵である私に対して、無礼を働いた。」

かろうじて取り繕われていた敬語も外れ、そう宣う。そんなことで戦争になるのか。まあ、向こうからすれば勝てる戦だと思っているだろうからね。賠償として、莫大な利益を生む戦争をしたくてたまらないんだろう。

「いや、無礼って…先にとんでもないこと言ってたのそっちでしょ。自由を保証するとか言いながら、管理だ手綱だって。」

私を自由があると称して婚約した後、洗脳でもして、傀儡にしようとしていたのは見え見えだ。それが出来てしまえば、私の方から自由を望むことは無くなるわけだから、約束を破ったとも言われない。

「そんなのあたりまえだ。貴族の婚姻の目的は、互いに利を得ることなのだからな。」

開き直ってそう言う侯爵。そんなのは知っているけど、それに私を巻き込まないでほしい。こんなことになるなら、貴族の身分なんて完全に捨てるべきだった。まあ、エーバルトが絶縁宣言でもしない限りは無理だろうけど。

「私の方から謝罪させてください。」

エーバルトが謝罪を申し入れている。悪くないのに謝る必要はないのにね。この侯爵まるで、ブラック企業時代の無能上司みたいだ。そう思うと、なんだか腹が立ってきた。

「お兄様。頭を下げる必要はないですよ。もういいです。侯爵家は私が滅ぼします。今後も何かちょっかい掛けられると面倒ですし。」

他の人を巻き込まないようにすれば、問題無いでしょ。

「早速、本邸を襲撃してきますね。大体の場所を教えてもらってもいいですか?」

エーバルトに聞いてみるけど、口は重い。教えてくれないなら、冒険者ギルドで聞けばいいか。

「おっと、その前に――」

確か、戦争をするときには、攻撃を仕掛ける前に宣言をしなくちゃいけないって、オリーヴィアが教えてくれた歴史の授業で言ってた。

「私、Aランク冒険者ハイデマリーは、ヘルマン侯爵家に宣戦布告する。」

私は、ハイデマリー・キースリングとしてではなく、冒険者として、戦いを挑んだ。

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