第七十三話 キースリング領の町
キースリング邸へ身を寄せてから二日が経った。その間、やることと言えば、アルトが目を覚ましたか確認するくらいで、それ以外は特にすることも無く、ただただ怠惰に過ごしていた。身の回りのことは全部屋敷のメイドや執事がしてくれるし、冒険者は自由業だから仕事も無い。町へ出てみようにも、そもそもこの領地の中がどんな風になっているかもわからない。屋敷の外で行ったことがある場所は裏の森しかないし。
「今日は町の方に行ってみない?」
そんなわけで、隣でお茶を飲んでいるアニに声を掛けてみる。
「そうですね。ずっと籠りきりになるのもよくありません。」
「場所は分かる?私、行ったこと無いから…」
「何度か買い出しに駆り出されたことがあるので、知っていますよ。少し距離がありますが、歩いていけない距離ではありません。三十分ほどでしょうか。」
意外にも、アニに敷地外での仕事を任せていたこともあるらしい。呪いの件があったから、そんなことは無いかと思ってた。まあ遅効性のものだったから、少しの間なら問題無かったんだろうね。ちなみに裏の森は、未開拓地ではあるんだけど、道が整備されているエリアはキースリング家が所有している土地だ。
「そのくらいなら、たまには歩いていこうか。疲れたら車に乗ればいいし。」
簡単に支度を済ませていざ出発!!というところで、アニから声がかかる。
「エーバルト様に一声かけてからの方がよろしいのでは?」
まあ、それもそうだ。いきなりいなくなるんじゃあ、何かトラブルになるかもしれないし。
部屋を出て、エーバルトの執務室へ。日中は大体ここにいるって言ってた。
「あれ。いないみたいだね。」
ノックをしても返事が無く、扉を開けてみると、やっぱり誰もいなかった。こうなれば、使用人の誰かに伝えておいてもらおうと、今度は使用人たちの待機所へ向かおうとしたその時、背後から声を掛けられた。
「あら、ハイデマリー。お兄様に何かようかしら?」
声の主は、オリーヴィア。ちょうどいい。彼女に伝えて、さっさと町へ繰り出そう。
「少し、町の方へ行こうと思いまして。一声かけていこうと思ったのですが不在のようです。」
「そうなのね。お兄様は今、来客の対応をしてらっしゃるわよ。私の方から後で…そうだわ。私もご一緒してもいいかしら。もうすぐ学院に戻ることになっているのだけど、向こうで使う物をまだ買いそろえていなくって…」
得意断る理由もないけど、オリーヴィアが出かけるとなれば、護衛を連れて行ったり面倒な準備が必要になりそう。
「私は構いませんよ。どのくらいで出かけられますか?」
アニも特に反対する様子は無かったから一応承諾する。
「あなたがいれば、護衛も必要ないだろうし、馬車の準備させるくらいだから、すぐに出れると思うわよ。」
馬車…歩いていこうと思ってたけど、あれに乗るくらいなら車で行った方がいい。
「お嬢様。車を使ったらどうでしょう。」
アニも馬車に乗るのは嫌だったみたいでそう声を上げる。まあ、車に慣れてる状態であれに乗るのは嫌だよね。
「クルマ?というのは何かしら…」
「私が作った魔道具です。簡単に言うと、魔力で動く馬のいらない馬車ですね。乗り心地もいいですよ。」
「そう…ぜひ見てみたいわね。」
イメージするのが難しいみたいで不思議そうな顔をしているオリーヴィア。乗ってみたいとは言わないところがまた…
「それなら、車を使いましょうか。馬車と違って準備もすぐできます。私の魔法の中に収納してありますから。」
「わ、分かったわ。私は使用人たちに一声かけてくるから、準備をお願いできるかしら?」
「分かりました。」
となれば、サックと庭に出て、車を取り出す。アニにはエントランスで待機してもらって、オリーヴィアを連れてきてもらうことにした。
「お待たせしたわね。これがそのクルマ?」
「はい。馬車と違って乗り心地もいいですから、快適に過ごせると思いますよ。」
まあ、歩いて三十分の距離なら十分ぐらいでついちゃうだろうけどね。
「お姉さまは後ろに乗って下さい。操縦はアニに任せましょう。」
今回は道が分かっているアニが運転だ。後ろのドアを開けながら、まず私が乗り込む。そうしておけば、オリーヴィアも勝手がわかると思う。
「では、出発します。」
オリーヴィアに一通り説明を終えたのを見計らい、アニがそう合図をする。いざ町へ出発だ!!
「ホントに乗り心地がいいわね。家にも一台欲しいくらいだわ。」
ちらっとこちらを見ながら、そう言うオリーヴィア。おもちゃをねだる子供みたいだね。
「この車の動力は魔力ですから、動かすのは難しいと思います。魔力が尽きたら、私が補充するということもできますが、その補充先になる魔力炉というものが貴重過ぎるので、難しいですね。」
「そう…」
ちょっと悲しそうな顔をするオリーヴィア。なんかこっちが悪いことをした気になっちゃうね。
「それなら、王国軍の前でなんかは使わない方がいいかもしれないわね。馬のいらない馬車なんて、とんでもない軍事的価値があるわ。知られればすぐに没収する動きがされると思うわよ。予備が作れるならまだしも、一点物なら避けた方がいいわね。」
王国側がそんなことをしてくることは無いと思うけど、末端まで、私たちの情報が行き届いているわけじゃないだろうから、絶対にないとは言い切れない。
「肝に銘じておきます。」
「そろそろ到着しますから、この辺りでおりましょう。」
そこから特に実のある会話もなく、適当な雑談をしながら過ごしているとアニからそう声が掛かる。
「あら、まだ少し距離があるんじゃない?」
オリーヴィアがそう声を上げる。
「人が多い場所に乗り付けるのは危険です。車に慣れていない者が不用意に近づいてくる恐れがあります。そうなれば、衝突事故は避けられません。」
アニがオリーヴィアの問いにそう答える。ハイデマリー自動車学校の成果だね。
「そういう理由があったのね。いいわ。ここからは歩きましょう。」
「こちらです。」
クルマを収納し、アニの案内に従って歩き出す。収納魔法に驚くかと思ったオリーヴィアもそれほど反応しなかった。事前に魔法で収納しているって言ったからかな。
そこから、数分で町に到着。身分証を見せて中に入る。守衛の反応は面白いほどたじろいでいた。まあこの町の領主一族が突然来たわけだからね。
町の雰囲気的には、ブルグミュラーが一番近いかな。バッハシュタインや王都ほど人も多くない。商店の数もそこそこあるみたい。
「お姉さまは何をお買いになるのですか?」
私たちは明確に用があってきたわけじゃないから、先にオリーヴィアの買い物を済ませてしまおう。私たちが欲しい物も、アニが使ってみたいっていう降霊術の道具くらいだし。
「そうねえ…向こうで着る洋服と、装飾品、それに文具くらいかしら。衣類の方はすでに注文してあるから、受け取るだけね。そういえば、荷物持ちを連れてくるのを忘れたわね…」
「私の魔法に収納しておけば問題ないですよ。」
「そう?おなら願いしてもいいかしら。」
「構いませんよ。まずは洋服店からですね。」
今度はオリーヴィアの案内で洋服店へ向かうと、受け取り自体はスムーズに終わった。そこで何点かアクセサリーも買ってるみたいだった。そんなに高い物じゃないけど、貴族がつけていても、全然違和感のない、言うなれば高貴なデザインのネックレスと指輪を買っていた。
「次は文具店ですね。私たちも欲しいものがあったのでちょうどよかったです。」
オリーヴィアが買い物をしている間に、アニに術に使う道具を聞いておいたら、必要なのは魔法陣を書くインクくらいらしい。直接地面に書く予定だから、特殊なインクが必要みたいだけど、普通の文具店で手に入る物みたいだ。
「それなら、先に行けばよかったかもしれないわね。」
「どちらでも変わらないと思いますよ。」
「そうかしら。とにかく、行きましょうか。」
オリーヴィアが買ってきたものを受け取り、収納魔法に仕舞ってから、歩き出す。ここからだと少し距離があるみたいだね。
「おや、そこにいるのはキースリング家のお嬢様ではありませんか?」
後ろから、そう声を掛けられる。声を掛けた相手はオリーヴィアだろう。
「まあ、ヘルマン侯爵ではありませんか。どうしてこちらに?」
どこかで聞いたことのある名前とともに、私の首筋に、嫌な予感が走った。
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