第五十四話 商談の締結
出資をするにあたって、まず工房の中を見学させてもらうことにした。気分は工場見学だ。
「この工房は大きく分けて、三つの区分に分かれているわ。右に進むと植物から蜜を作っている工房、左に進むと魔物や蜂から蜜を作っている工房、最後にまっすぐ進んだ奥が開発工房ね。甘粉もここで作っているわ。」
ちなみに砕けた口調に戻っているのは、私がそうして欲しいといったからだ。一度、親しみやすい口調を聞いてから、敬語に変わるとなんというか、息が詰まる。前世じゃあそんなこと感じなかったのに、これも子供に戻ったせいなのかな。
「蜜の方も気になるけど、とりあえず今日は開発工房の方を見せてもらってもいいかな。」
一番重要なのはそこだからね。
「分かったわ。ついてきて。」
そのまま少し長めの通路を進んでいくと、たくさんの道具が並んだ部屋に案内された。
「すごいわね…」
熱気に当てられてかアルトがそう呟いた。
「ここが開発工房よ。いろんな物から新しい味のものを作れないか試している場所って感じかしら。といっても具体的に成功したのは、商品化している蜜と甘粉だけなのだけど。」
近代のように自動化された機械があるわけじゃないけど、十分な量の設備だと思う。作業している人は七人。開発工房だけでこの人数なら、全体で見たらもっと人がいるだろうね。これじゃあ人件費も含めた維持費もばかにならないだろうから、経営が苦しいというのは十分あり得る話だ。
「あ!それは触らないで。すごく高温になってるから。」
アルトが近くにあった大きい臼みたいなものに触れようとして怒られた。
「ご、ごめんなさい。」
ばつが悪そうな顔でそう言う。いたずらがバレた子供みたいだ。
「少し危ないものもあるから注意してね。ええと、これが完成した甘粉よ。」
そう言って、工房内の道具の一つから、薬包紙みたいなものを取り出し差し出してくる。包みを開けてみると、そこにあったのはやっぱり砂糖。少し手に取って舐めてみるけど、味もそう変わらない。純度が低いのか、前世のものには少し劣るけど、そこまで気にならない。調理してしまえば大丈夫だと思う。
「これだよ、これ!!私が求めてたものは!!」
アニとアルトにも味見してもらう。
「うーん、これはなんていうか…」
「たくさんは食べられなさそうですね。」
「甘粉はそれ単体で食べるものじゃないのよ。塩と同じで料理の調味料として使うものなの。」
分かりやすい説明。さすが製作者だ。というか私、言ってなかったっけ?塩と同じような物とは言った気がするけど…
「そういえば塩のように使う物だと、前に聞きましたね。」
やっぱり言ってた。アニは物覚えがいいね。
「前に…?さっきから気になってたんだけど、あなたたち甘粉のことに詳しいわね。扱ってるのはこの町の菓子店くらいのものなんだけど…もしかして、他にも作っているところがあるのかしら。」
「詳しいことは場所を変えて話さない?ここにいたら作業の迷惑になるかもしれないし。」
一応危ないものもあるって言ってたしね。移動するまでにそれっぽい言い訳も考えておこう。
「そうね、ならお店の方の応接室に移動しましょうか。」
専門的な知識がないから、設備の良し悪しは分からないけど、見た感じ、設備が不足してるとかはなさそう。これなら出資したとしても損はないね。事実、砂糖は作れてるわけだし。ていうか、応接室があるんだ。考えてみれば、大きな取引をするときとかには必要になるだろうから、これもあって困るものじゃないか。
そんなわけで応接室まで移動した私たち。さすがに冒険者ギルドのような豪華な部屋じゃない。ソファーにテーブルだけが置いてある簡素な部屋だ。応接室としての機能は本来それで十分なんだから、絵画や壺なんかが飾ってある冒険者ギルドの方が異質に思える。
「じゃあまず、きびの量産の計画について聞かせてもらってもいいかな。資金の面は一旦、置いておいて、どのくらいの規模にしたいとかある?」
これの規模によって、出資する額も変わってくるから結構重要だ。
「ええ。まずはさっきあなたが言った通り、きびの畑を作りたいと思っているわ。場所は工房の裏の土地を確保したいところね。広さは、店の裏の土地があったでしょ?その倍くらいは欲しいわ。」
テニスコート二面分ってとこか。まあ最初はそんなものだと思う。今後は売り上げ次第で拡大していけばいい。
「畑さえ作れれば、量産は可能なんでしょ?となると必要なのは土地の購入代、農具代、後は畑仕事をする人を新しく雇う必要もあるだろうから、その人たちの人件費か。」
一番かかりそうなのは土地代だけど、この世界の不動産売買のシステムがよくわからない。
「一つ聞いてもいい?」
「もちろん。構わないわ。」
「この町で土地を買うにはどんな手続きがいるの?」
「まず、二つのパターンがあるわ。自力で森を切り開く方法と、すでに売られている土地を購入する方法ね。どちらもこの町を治めている領主様の許可がいるのだけど、後者の場合、ほとんどの場合は許可されるわ。税金として広さに応じた金額を払うことになるけどね。問題は前者ね。森を切り開くってことは、町を広げるってことになるから、国からの、つまり国王陛下からの許可が必要になるわ。これはとんでもなく時間が掛かるし、待った結果、許可が下りないなんてこともあるようよ。ああ、町に隣接していない森の深い場所なんかならその限りじゃないわね。道なんかを繋げてしまったらだめなんだけど。」
冒険者ギルドで聞いたときは切り開いた土地は所有権を主張できるって聞いてたけど、飛び地じゃないとだめみたいだね。まあ、バッハシュタインの周辺は街道なんかが引かれていて、町に隣接して切り開けるような場所はなかったからそう説明したんだろう。
「まあ要するに、町の中に土地を所有するには売られている土地を買うしかないってことね。この町の場合は、開拓期にすごく広く開いたらしくって、土地が余っている状況だから、お金さえあれば購入自体の難易度は低いわ。」
なるほどね。確かに、ここに来るまで町の中を歩いたけど、結構空き地も多かった。人もそこそこいるのに、不思議に思ってたけど、たぶん観光客だろう。王都からバッハシュタインを挟みこの町があるのだから、アクセスも悪くない。それに、この世界で甘いものが食べられる場所は少ない。となれば、それが名物であるこの町に人が集中するのは頷ける。住むのは王都、遊びに行くのはブルグミュラーって感じかな。
「なるほどね。そのお金が問題なわけだ。とりあえず土地だけでどのくらいかかるかわかる?」
まずここを解決しないことには始まらない。
「金貨五十枚ってところかしら。」
あれ、想像してたよりはるかに安い。まあ、土地が余ってる状況なら安くて当然か。
「分かった。なら、そのほか費用も併せて、金貨百枚を出資するよ。条件は甘粉の提供でいい。とりあえず、金貨百枚分までは提供してもらう。もちろん一気にじゃなくて、私が頼んだ時に頼んだ分だけ貰うことになるかな。安心して。その時に、供給できる分だけで構わないから。あともう一つ。これは甘粉事業が軌道に乗ってからでいいから、利益の一割をもらう。返済ってことだね。返済分ってだけじゃ取りすぎかもしれないから、こっちからさらに、Aランク冒険者の名前を提供する。これがあれば、何か因縁をつけられたり、強盗に入られたりとかいうリスクは格段に減らせるでしょ?何せ、手を出せば、文字通り、Aランク冒険者が出てくるわけだからね。」
こんなもんかな。一通り話し終え、ふと横に座るアニとアルトを見てみると、まさに借りてきた猫状態だ。こういう話はやっぱりよくわからないみたいだね。
「願ってもない話ね…その条件でぜひお願いするわ。」
少し考え込んだ様子を見せてからそう答えが返ってきた。
「商談成立だね。じゃあ、これ…」
収納魔法から金貨を取り出す。ちなみにこれは依頼で稼いだ三人の共有財産ではなくて、私が赤ん坊の時に浄化で稼いだお金だ。こっちのお金は私が自由に使っていいことになっている。今回のことは完全に私の都合で、主導だからこっちのお金を使っておく。
「たしかに。そういえば自己紹介がまだだったわね。私は、ハンネ・レルナーこの店の責任者よ。」
やっぱり責任者だったか。まだ若いのにすごいね。
「そっちの名前は知ってるわ。冒険者ギルドから聞いてるから。ハイデマリーさんに、アニさん、アルトさんね。」
名前を聞いただけじゃ、身分証を見せた私以外の区別はつかなそうだけど、そんなことは無いみたいだ。しっかりと目線を向けている方向と名前が一致している。
「ええ。」
「よろしくお願いします。」
長い付き合いになることを見越してかアニがそう返した。
「それにしても、ハイデマリーさん。あなたほんとに見た目通りの年齢なの?やってることが大人顔負け…いえ、そこらの商人なんて軽く凌駕しているわ。」
異世界のブラック企業で鍛えました。なんて言えるわけない。
「私は見た通りの年齢だよ」
正確には成長促進の魔法のおかげで見た目は少し上に見えるだろうけど、今は、年齢を低く言うメリットは特にないから言わないでおく。というか、このままだらだら話を続けたら、砂糖のことを知っていたってことに話題が移りそうだから、そろそろ退散しないと。
「それじゃあ、私たちはお暇させてもらうよ。パーゼマン商会に荷物も届けないといけないし。」
「今から戻るの?暗くなると色々危険だから、明日にしたらどうかしら。」
「大丈夫。帰るのにも魔法を使うから、王都まで一瞬で帰れるよ。あ、忘れてた。今決めたこと、契約スキルをつかって、正式なものにさせてもらうね。お互いの同意なしに解除できないようにしとかないと。」
さすがにお互い、初対面の相手を完全に信用するのは無理だ。収納魔法から紙とペンを取り出して、今回の商談の内容をまとめる。
「はい。これで問題がなければ契約を結ぶってことで。」
ハンネが渡した紙に目を通す。
「ええ。大丈夫よ。」
「じゃあ手を出して。」
伸ばされた手を握り握手の形をとる。契約スキルに握手なんて必要ないけど、そうした方がイメージしやすい。アニの時もそうしたしね。
『契約の締結を受理しました。』
紙の声とともに私たちを青白い光が包み込む。それはまるで、新たに生まれた関係を祝福しているかのようだった。
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