第33話 最後の事件2

 夕食は久しぶりに手の込んだものを作り、リックが帰ってくるまでは適当に暇を潰した。

 二十時を過ぎても帰ってくる様子はなく、気づいたときにはリビング中をうろうろしていた。これでは、動物園のトラだ。

 そうこうしているうちに、玄関で物音がした。リックは腕に食い込むくらいの紙袋を抱えている。

「なんだそれは」

「お裾分けだって言われたんだ。大量のフルーツ。……冷凍できるかな?」

「待て」

 アップル、オレンジ、キウイ、チェリー。調べた限り可能だ。さすが文明の利器。

「明日の朝食はスムージー確定だね」

「農家の手伝いでもしてたのか?」

「いや、子守り。可愛い女の子でさ、将来僕と結婚するなんて言ってくれて」

「天性の人たらしの才があるな、お前は」

「明日も来てほしいって頼まれて、夕食もあっちでご馳走になることになったよ」

「おい、大丈夫なのか?」

「僕がいなくて寂しいのか?」

「そりゃあ寂しいさ。お前がいないと俺の食生活はまた肉食に戻るしな。公私混同して、平気なのかって意味だ」

「今までもご飯ご馳走してもらうこともあったし、別に情は移ったりしないよ。僕が帰らなきゃって言ったら、ドーラがギャンギャン泣いちゃってさ」

「ドーラ?」

 まさか。いや。そんな。

 否定の言葉で祈りを捧げるが、願いは叶わない。

「赤髪の女の子で、絵本が大好きなんだ。僕の読み聞かせにすごい喜んでくれて」

「……俺も行っていいか?」

「え。なんで?」

「興味がある」

「子供に?」

「まあな」

「ドーラからすれば、遊んでくれる人がいるってだけで喜んでくれると思うけど……でも給料は俺の分しかでないぞ」

「給料より大事なことがある」

「分かった。僕から連絡しておくよ」

 これ以上、被害が出る前に。大事にしてきたものが壊されないように、祈るしかなかった。


 ブラウンの外壁で、形に特徴のあるマンションだった。つくづく、ブラウンには縁がある。

 エレベーターで向かい、いつもとは違いリックが前に出た。

 リックがインターホンを鳴らすと、連動するように俺の心臓も大きく蠢く。

 中から出てきたのは、モデルのような女性。長かった髪はばっさりと切り、奥からは子供が覗く。名前は知っている。エリー・ブラウン。

「……モリスさん、ありがとうございます」

 一瞬の間があったのは気のせいではない。彼女は俺の顔を見て、言葉を失いかけた。

「こちらは俺の友人のウィリアム・ギルバート。今日どうしても来たいって言うものだから。無理言ってすみません」

「いえ、構いません。お茶を入れます」

 魔女のように恐ろしい女だ。痛切にそう感じている。何の感情も出さず、出迎えができるとは。

  リビングは子供のおもちゃで散らばっていた。自我が芽生え始めたくらいの年齢では、一人で片づけるのは無理だ。これだけ足の踏み場がないくらいなのに、ドーラはさらに箱をひっくり返そうとしている。この子には何の罪はない。いろんな意味で。

「ドーラ、次のおもちゃで遊びたかったら、まずはここを片づけるんだ」

 名前を呼ばれたドーラは反応を見せるが『片づけ』という単語に無視を決めたようだ。子供は可愛い。この子に罪はない。

「なら、一緒に片づけよう。それでいいだろう?」

 縦なのか横なのか分からない首の振り方をし、ドーラはいやいや箱におもちゃを投げ入れた。

 エリーは三人分のコーヒーとジュース、皿に綺麗に並べたクッキーを持ってきて、テーブルに置いた。

 ドーラはむしり取るようにクッキーを奪い、口に入れる。

「こら、ドーラ止めなさい。あなたの分は別にあるから」

「いいですよ。たくさん動けばお腹が空きますし」

「ほんとにもう……」

「それで、今日はこの子の相手でいいんですよね?」

「え? そうね……モリスさんにはお願いがあるの。買い忘れたものがあって、それを買ってきてほしくて」

「買い物ですね。分かりました」

 ドーラはメモに走り書きをして、リックに渡した。

 リックは部屋を出ていく。ドーラは淡々とクッキーを口にしていた。

「どういうつもりだ?」

 当時の憎しみが沸いても沸いても止まることはなかった。悲しみに変わることもなく、無にもならず、ただ憎い。

「趣向が変わったなんて知らなかった。いつから男性を好きになったの?」

「あいつとはそういう関係じゃない。なぜマンションに来てメールボックスに写真を入れた?」

「私の子を見てもらおうと思って。可愛いでしょ?」

 可愛いのだ。自分の子であれば、もっと違う可愛がり方ができただろう。

「だって、私とあなたの子じゃない?」

 エリーは得意気に笑い、口の回りがべとべとになったドーラを抱きしめる。

「これからも、めいっぱい二人で愛情を注ぐのよ」

 駄目だ。

 彼女はもう壊れている。

「俺の子じゃないと決着はついたはずだ」

「この子には父親が必要よ」

「充分分かる。なかなか家に帰ってこない父に、俺は寂しい思いをした。けどな、俺は善人じゃないし、お前の望むままに動かない。お前とは終わったんだ。これ以上は、別々の道を歩むべきなんだ」

「私に対して、情はないの?」

「嫌な聞き方だな」

「エリーさん、買ってきましたよ!」

 大きな物音を立てて、リックが入ってきた。……少々わざとらしく。

 コンビニで買ったビニール袋を下げて、彼女に渡した。

「ドーラ、絵本を読もうか?」

「うん」

 ドーラは目を擦る。寝る直前だ。勢いよく食べていたクッキーはぼろぼろで、カスが下に落ちていた。

 リックはドーラを連れていく。ドーラの足取りはふらふらで、これならベッドに入ればすぐに寝息を立てるだろう。

「時間は元に戻せないし、どんどん先に進んでいく。でも私はあなたとやり直せると思うの」

「子供はいなかったことにはできない。可愛い子じゃないか。エリーにそっくりだ」

 玄関のドアが開く音がした。リックではない。あいつは部屋にいるし、足音が違う。

 リビングにやってきたのは、赤ん坊そっくりの髪色をした男性だ。

 男は俺を見るなり顔がこわばり、抱えた荷物に助けを求めるように強く掴む。

「別に牢獄にぶち込むために来たわけじゃない。ちょっとした野暮用でな。すぐ帰る」

「そ、そうですか……」

 赤毛の男はトイレを借りると言い残し、リビングを出ていってしまった。あの様子だと、俺が帰るまで出てこないだろう。俺にとって因縁の相手だが、別に取って食おうとしているわけじゃない。

 空気の読める相棒が入れ違いにきて、ドーラは寝たと報告する。

 仕事は終わりだ。リックを連れて出ようとすると、エリーは俺の裾を掴んだ。

「私は、ほしいものはどんなことがあっても手に入れるわ」

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