第4話 被疑者

 甘い香りと心地よい音に包まれながら、目が覚めた。

「……お腹空いた」

「第一声がそれか。健康で何よりだ」

「胃もあまり強くないんだ。肉より魚をよく食べるよ……でもソーセージは好きだ」

「好みが一致していて嬉しいよ。けど冷蔵庫にフルーツしか入ってないじゃないか」

「うーん…………」

 大きな欠伸をし辺りを見回すと、見慣れすぎた部屋に安堵の息をつく。とりあえず、変態に捕まってあちこちいたぶられるようなマネはされていない。

「まだいたのか」

「意識不明の成人男性を放置してとっとと帰れと? 起きたのなら食え」

「ミルク? 甘い匂いがする」

「ミルヒライス。キッチン借りた」

 恋愛映画が好きでコーヒーにはミルクを入れるタイプで世話焼きの料理好き。どうでもいい情報ばかりで脳がいい加減にしろと怒っている。

「ミルヒ……もしかしてドイツ系なのか」

「祖父がドイツ人だった」

 厳格な顔つきは、ドイツの血を受け継いでいると知れば納得がいく。

「美味しい……もしかして牛乳から米を煮込んだ?」

「ああ。砂糖とシナモンを加えただけだ。誰でも作れる」

「僕にぴったりの料理だ。美味しい」

「日本では、甘いライスは食べるのか?」

「牛乳で煮込む料理はほぼ浸透してないよ。でも僕は好き。胃に優しい」

「本当に身体が弱かったんだな」

「僕が重度の喘息患者だって病院に確かめにいったんじゃないのか?」

「一応はな。胃も弱いとは聞いていなかった」

「こっちは重度じゃないさ。アルコールを摂りすぎたり、朝から油っぽいものを摂りすぎるとおかしくなるだけで」

「ついでに明日の予定も聞いておきたい」

「仕事だよ。立派な成人男性なんでね」

「休め」

 いきなり警察官の顔になり、僕も口に運んでいたスプーンを下げざるを得ない。

「僕の仕事に対し、刑事様が言える権利があるのか?」

「縛る権利はないさ。俺個人からの忠告だ。いいか? 初めにメールボックスに入っていた手紙には、お前への愛を語るものが多かった。好きだのいつも見ているだの、一方的なものだ。だが今回の手紙を見てみろ。特に三行目からだ」

──ずっとずっと、見ていたのに。好きだったのに。

──僕を煽る君が悪い。

「僕にはどれも気持ち悪く見えるね」

「確かにすべてがクレイジーだ。だがこの二つ、お前はストーカーと必ず接触している。しかも長い期間だ。一方的に遠くから見ていたわけじゃない」

「僕の知り合いってこと?」

「可能性は高い」

「そんなにモテるような人生は送ってきていないんたけどね」

 スプーンを弄くり、目を閉じて過去の友人関係を探ってみる。

 薬も手放せなくて、学校にも行けない時期があった。

 友人関係もままならなかった。

 ミステリーの本ばかり読んでいた。

 高校へ入学する頃、だいぶ病気の辛さは軽減された。

 友人もある程度できるようになった。

 ゲイだと自覚した。

 本格的に探偵になろうと決めた。

 大学では、ジローやジェフと出会った。

 いろいろあって、ジェフとは連絡を取ることはなくなった。

「駄目だ。そもそも友人らしい友人はいなかった。大学時代はジローとジェフとは仲良かった。サークルのメンバーとは今は連絡先を知らない」

「……『僕を煽る君が悪い』。お前が倒れている間、この意味をずっと考えていた。どう掘ってもジェフはお前に近づいたから腹いせに殺ったとしか思えん」

「それは、僕が、」

「違う。お前のせいじゃない」

 言い終わる前に、被せてくる。

「くだらんことは考えるな。ストーカーする人間、殺す人間が悪いに決まってる。お前に罪はない」

「なあ、なんでこんなによくしてくれるんだ?」

 彼と目が合う。凝視というほど、僕を見ている。唐突に逸らされた。彼をよく知らないが、らしくない。

「……とにかく。お前は悪くない。仕事が休めないならしばらく母親の元で世話になれ。ここのアパートはすでに割れている」

「母親に迷惑はかけられないんだよ」

「死なれるよりは迷惑をかけた方がいい。一度連絡をしろ。これ以上……」

 ギルバート刑事の端末に、電話がかかってきた。

 言葉少なめに話し、一分足らずで電話を切る。

「俺は帰るが、戸締まりはしっかりしろよ」

「ジュニアスクールのとき以来だよ、言われたのは」

「懐かしくて涙が出るだろう? 鍋にまだ入ってるから後で食え」

 一体、どこまで世話を焼けば気が済むのだろう。

 彼が出ていってからすぐに施錠し、僕は残りのミルヒライスを食べた。

 鍋にはあと二食分残っている。皿に分け、後で食べるとしよう。

 僕は久しぶりに実家へ電話をすることにした。彼に言われたのもあるが、数か月連絡を入れていなかったのも事実だ。

 数コールののち、切羽詰まった母の声が聞こえてきた。

『ハロー? もう! どうして連絡くれないのよ』

「忙しいと思って」

『仕事はどう? 軌道に乗った?』

「乗ったよ。僕、もう三十路なんだけど」

『親にとって子供はいつまでも子供よ。ジェシーに代わる?』

 ジェシカは、僕の妹だ。学生の彼女とはけっこう年が離れている。僕の父には似ていない。母は二度目の結婚をし、今の旦那との間に生まれた子がジェシカだ。

「変わりない?」

『ええ、トムも会いたがってるわ』

「そのうち顔を出すよ。変わりないならいいんだけど」

「ちゃんとご飯は食べてるの?」

「たんぱく質もしっかり摂ってるよ。胃も前より丈夫になった」

「あなたはたまに意地を張るから。ちゃんと帰ってきなさいね」

 声も普通。怯えた様子はない。いつも通り心配性な母親だ。実家には被害は及んでおらず、ひとまず安堵した。

 次に連絡を取らなければならないのはジローだ。明日でも良かったが、なるべく早く伝えたかった。

 待てども待てども、電話からはコール音しか聞こえてこない。

 留守電には入れず、僕は電話を切った。今になって、彼もプライベートを満喫していると遠慮が生まれたからだ。

 一日待っても、彼からはメール一つ来なかった。




 彼を見送るにふさわしい、晴れやかな日だった。ユリの香りが鼻に届くたび、ジェフは死んだんだと思い知らされる。

 教会の席は隙間の方が多いくらいだった。ずっと泣いているのは、おそらくジェフの妻。年老いた母と父。何人かの友人。狭い枠に入れた僕は幸せ者だ。

 ひと通りの葬儀を終えたとき、声をかけてきたのは、ジェフの奥さんだ。

「少し、話せませんか?」

「構いません」

 なるべく日陰になるところへ行き、太い幹に身を委ねる。

 彼女の顔は赤く膨れ、古い涙の跡もある。昨日から泣き通しなのだろう。

「ご連絡を下さりありがとうございます。どうして連絡先を分かったんですか?」

「亡くなったときに着ていた彼の服からあなたの名刺が出てきたんです」

 ギルバート刑事が来た理由に合点がいった。警察はすでにジェフと僕の繋がりを知り、徹底的に調べ尽くしているのだろう。その証拠に、入り口には見覚えのありすぎる二人が見える。

「まだ分からないんだそうです。車の事故か殺人か……。ジェフは人に恨まれるような人ではなかったんです」

 警察は話していない。先延ばしにしてもどうせ真実はばれるだろうに。殺される原因を作ったのは僕だと。

「大学時代の彼しか知りませんが、心の優しい人でしたよ」

 これくらいしか言えなかった。何の慰めにもならない。過去形で話さなければならないのが辛い。

 警察が話していないのであれば、僕が閉じた蓋を開けてもいいのではないかと考えていた。罪滅ぼしか、僕が楽になりたいだけか。どちらにしても、僕という存在は死神でしかない。いつも周りの人間を死に追いやる。一言「ジェフが死んだ原因は僕にある」と。

「あの、実は…………」

「ミスター・モリス、よろしいですか?」

 この前、キムと名乗ったふくよかな刑事と、刑事の顔に鳴ったギルバート刑事。

「奥さん、彼と話をしたいんですがよろしいですね」

「え、ええ……」

「葬儀にまでやってきてぶち壊すのか? 土荒らしと同レベルだな」

「彼は重要参考人です」

「重要参考人?」

「ミスター・カーターと最後に会った親しい友人は彼だった」

 ギルバート刑事は即座に付け足す。「あの日のことは他言無用だ」僕にはそう聞こえた。僕のアパートに来たこともミルヒライスも忘れろ、と。

「葬儀にやってきたのは、もし奥さんに何かあったりしたら大変だからですよ。まだ事故か殺人かの区別もついていないんでね」

「僕がひとり行けば済みそうだね」

「そういうことになるな」

 キムは僕を犯人だと疑っている。それはそうだ。なんせジェフが死ぬ前に会った親しい人間は僕なのだから。

 人の気配がない場所へ変えて、僕とキム刑事はベンチに腰を下ろす。ギルバート刑事には目で合図を送っても、頭を振るだけだった。

「ミスター・カーターが亡くなった日、何をしていた?」

「仕事が終わって、バーに飲みに行った。防犯カメラでも見せてもらえ」

「君はミスター・カーターと揉めていたと聞いたが?」

「揉めていた?」

 揉めていた記憶などない。

 キム刑事は、探るような目でこちらの出方を伺っている。

「揉めるって、君の言う揉め事はどの程度なんだ? 目玉焼きの焼き方か? サニーサイドアップ? オーバーハード?」

「ステーキの焼き方一つで銃乱射事件を招いた事例もある。詳細をお聞かせ願いたい」

「防犯カメラに音声も残っているだろ」

「残念ながら。古いカメラで声までははっきり分からなかった」

 しっかり調べているじゃないか。

「さあ……忘れたね」

 ジェフのためにできることは、もうこれしかない。

 どのみち事件とは関係がないのだ。彼の持つ秘密は、墓場まで持って行こう。妻も子供も、これ以上苦しむ必要はない。僕が吐き出せば楽になれるだろうが、そうしようと思えなかった。僕が苦しめば、ジェフは楽になれる。そう信じて疑わなかった。

「僕が揉めていたことと彼が死んだ理由は関係あるのかい? 車の事故と言っていたが、万が一僕が細工をしたのなら、それ相応の技術を持っていないとね」

「ミスター・モリスは興信所で働いている。細工なんかは得意なんじゃないのかね」

「探偵とどう結びつくのか理解できない。僕は彼の乗る車は知らなかった。メーカーも色も何もかも。ピンポイントでジェフの車を当てて、どうやって細工をしたんだ?」

 キム刑事は押し黙った。返しようのない正論には黙るのが手っ取り早い。

「謎を解けるシャーロック・ホームズになれたなら、もう一度来てくれ。それまで、重要参考人扱いはされたくない」

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