便利屋リックと贄の刑事

不来方しい

第1話 ストーカーから始まり、ストーカーで終わる

「だから、僕はやっていない!」

 机を叩くと思っていた以上に振動が起こり、書類が地面へ数枚はらりと落ちた。

 その様子を憐れみの目つきのまま、相棒のジローが拾って戻してくれる。

 さらにその様子を見つめるのは、一人は小太りの男性で、頭が寂しげで目を伏せたくなる。もう一人は。

 厳つい顔で、僕が机を痛めつけてもうんともすんとも言わない。むしろだからどうしたと、動揺をまったく見せずに無遠慮に僕を射抜く。戸惑うのは僕の方だ。

「最近、ストーカー事件で頭を抱えてるんだ」

「そう聞いてる」

「担当は?」

「代わった」

 言葉短に淡々と。そして手を差し伸べる。

「ウィリアム・ギルバートだ」

 指にもしっかり筋肉のついた大きな手を掴み、上下に振るう。

 些か乱暴だったか、と思うのもほんの一瞬だった。

 この男は。ウィリアム・ギルバートは、微塵も僕を信用していない。初対面でありながらそんな風に感じさせる、印象最悪の握手だった。




 ことの発端は、一か月ほど前になる。仕事を終えてアパートに帰ると、メールボックスの中に僕宛の手紙が入っていた。差出人の名前はない。

 買ってきたばかりのホットドッグの袋を置き、中を開けると、ご丁寧な文章でこう綴られていた。

──夕日に照らされる君はとても美しい。

 どうしたかというと、僕は封筒ごと手で握り潰し、作り置きしておいたミソスープとホットドッグで夕食の時間を過ごした。

 翌日、探偵事務所へ出勤すると、またもや異変が起こっていた。

──いつも君の近くにいるよ。

 昨日と繋がる文章が書かれた紙がドアに貼られていて、そこで僕はようやくロサンゼルス警察官を呼んだ。

 昨日からの事情を説明し、ついでに一度家に戻ると、くしゃくしゃになった封筒と紙も彼らに渡した。なぜ昨日の段階で連絡を寄越さなかったという責めるような目は、決して忘れない。

 それから一か月は、異変だらけの連続だった。手紙だけではなく、バラの花束が置いていたり、車への落書きなど。我慢ならなかったのは、猫の死骸だった。首をボーガンの矢で射られたまま、探偵事務所の前に放置されていた。まるで、これからの僕の人生を暗示しているような出来事に、爪先から震え上がった。

 当初は親身になって聞いてくれた刑事たちも、二週間過ぎる頃には疑いの目で見てくるようになった。本当なのか、自分で仕組んだのではないか、と。性能の良い防犯カメラをつけたとたん、ぱったりと止んだものだから、疑われても仕方ない。

「で、カメラに映らない角度で血だらけの手紙が置いてあったと」

 一週間前に来てくれたひょろっとした細身の体格の刑事は消え、新しくやってきたウィリアム・ギルバートと名乗る刑事も、懐疑の目で手紙を見る。

「血は渇いている。おそらく、この前の猫の死骸事件のときの血だ。猫の血かどうか調べてほしい」

「仕事だから調べることは調べるが、お前の血液型は?」

「A型だ」

 ウィリアムはメモ帳に書き足していく中、キムと名乗った小太りの刑事は、興信所が珍しいのか中を見て回っている。

「参考までに聞くが、隣のビルでガラス窓が破られる事件が起こった。知らないか?」

 刑事なんだから疑うのは当たり前だが、なんだか言い方にカチンときた。

「知らないね。いつ起こったんだ?」

「昨日の夜……十時過ぎだ」

「家にいたけどアリバイはない」

 ウィリアムの眉間に皺が寄る。

「むしろアリバイがある方がおかしいと思わないかい? 昨日は仕事が終わってからすぐにスーパーへ買い物に行った。その後はガソリンスタンドでガソリンを入れて、そのまま帰宅した。一応、買ったものは言うべきか?」

「そうだな」

 ミルク、バゲット、冷凍食品のフルーツや野菜など、思いつく限り並べていく。レジ前でブルーベリーのカップケーキをカゴに入れたと付け加えて。

「こんなもので参考になるのか?」

「少なくとも、お前の食生活は理解できた。自炊をし、野菜もしっかり口にするタイプだ」

「健康には気をつけているんでね」

「ほう」

「喘息持ちなんだよ。しかもそこそこ重度」

「それを証明できる人は?」

「僕の家族だ。分かってるよ、家族はアリバイにならないんだろ。いつも診てくれる医師がいる。よければ紹介しようか?」

「あいにく、健康体なんでね。だが一応、聞いておこう」

 何度も口にした医師の名と病院を告げる。ウィリアムはしっかりとペンを走らせた。

「お前の名前は?」

 普通、名前を聞くのが最初なんじゃないのか。

 いろいろ言いたくなったが、二度も机を叩きたくなかったので、素直に答えた。

「リック・モリス」

 最低最悪の出会いは、ガタイの良い刑事の声と共に、終わりを告げた。




「ったく、失礼な奴だな」

 同じ興信所で働くジローが味方についてくれたおかげで、怒りを鎮めることができた。

 ジローは二歳年上で、僕の兄貴分だった。同じ高校に通い、大学に入ってから仲良くなった。図書館で本を読んでいたのがきっかけで、どちらかともなく声をかけ、仲良くなった。よくある話だが、趣味を通じて知り合った間柄だ。

「前のやせ細った刑事の方が、まだ気楽だったよ。完全にターゲットを絞ってる感じ」

「ここの建物を中心に窃盗やら空き巣狙いやら起こっているからな」

 ギルバート刑事はジローには形式的な質問をしただけで、時間は僕の半分ほどで終了した。名前、家族構成は父母弟、それと昨日の夜十時のアリバイ。以上。彼もまた、アリバイはない。

 ジローはハーブティーとコーヒーを新しく入れ、片方を僕に渡す。

「本当に犯人の手がかりがないのか?」

「まったくない。そもそも、ストーカーにあうような人生を送ってきてないよ」

 身体が弱く、スポーツはさせてもらえずプロバスケットボール選手の夢も物心ついたときには諦めざるを得なかった。そこで出会ったのが本だった。

 ミステリーに出会い、いわゆるオタクとなってからは新しい夢も見つけ、将来はシャーロック・ホームズを超える目標を立てていても、母親には危ないからダメだの猛烈な過保護の中で弄ばれ、早々に僕は魔の反抗期がやってくる。

 過保護を逃れ、ようやく探偵となれた今は仕事も軌道に乗り出したところで例の手紙だ。

「過去に付き合ってた人がストーカー化したとかは?」

「多分、ない……と思う。そう言われると自信なくなるけど。後腐れのない別れ方だよ」

「連絡は今も取ってる?」

「いや。スマホが水没して、データが飛んだとき、彼らのも消えたんだ」

「ああ……そう」

 苦い思い出だ。飼い猫が外に逃げたため、捕まえてほしいと依頼があったのだ。あと少しというところで、足を滑らせて川に落ちてしまった。アパートより実家の方が近かったため、猫はジローに任せてシャワーを借りに実家へ戻ると、母親の悲鳴に出迎えられた。喘息で僕が神の元へ行くより先に、彼女が心臓麻痺で死ぬ可能性が高い気がする。

 だから探偵は反対だの仕事を辞めろだの散々言われ、土産に焼いたばかりのチーズケーキを持って事務所へ戻ると、猫は僕の机に置いたいた書類の上で、腹を出して眠っていた。

「なあ、カップ知らない?」

「カップ?」

「リックがいつも使っているコーヒーカップだよ」

「洗って棚にしまったけど……」

 まさか。

 温かなコーヒーが入ったマグカップを置き、棚を覗くと確かに一つ無くなっている。

「…………冗談だろう」

「変態の考えてることなんて分からないさ」

「変態って、」

「変態は変態だろう? リックに手紙を送りつけて、猫の死骸まで事務所の前に置くような、イかれた野郎さ」

 念のため窓を見るが、こじ開けた跡はない。ドアもだ。

「今日は僕たち以外、誰か入れたか?」

「ああ、入れたよ。さっきの優秀なロス刑事たちをね」

 僕の中で、一つ辻褄が合う仮想が思い浮かんだ。余計な心配をかけたくなかったので、ジローには言わずじまいで探偵事務所を閉めた。

 車に乗るときも降りるときも、かなり神経をすり減らしたが、誰かに会うこともせず、人の気配も感じなかった。

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