第6話 『壊された心』

「今日、私は人を傷つけてしまった」

 この言葉をポツリと呟いた瞬間、私の中で何かが壊れた。

 いつも他人に迷惑ばかり掛けて申し訳の無い感情に襲われる毎日を送ってきたがその日、一線を越えてしまった。

 この悲劇さえ無ければ、関わることの無かったであろう赤の他人に私は一方的に罵倒された。

 まるで私だけが悪いかのように罵倒した。まあ、その赤の他人が普段から癇癪持ちだったのかと思えば、今となっては気が楽になる。

 だがその時、相手を気遣う心で接した私の気持ちはズタボロになるまで傷つけられた。今までも、似たような傷つけられ方を人間から受けたことは、数え切れない程ある。その痛みを知っているから、私はどの立場に立っても、慈愛で接しようとしてきた。

 悲劇に遭ったときこそ、人間は互いに冷静になって気遣う優しさを大事にしなければならないのに、私の出会ってきた人間達の多くはこの重要さを身につけていない。

 言ってしまえば自分だけが正義である世界しか見ないようにしているのだ。

 相手の立場や心境を理解せずに一方的に自己中心的な世界でしか物事を捉えない。

 そんなことでは、どちらも深い溝ができて、後味の悪い空間しか生まれない。

 その結果、私は四日前に自殺をしようとしたのだ。

 当時の私は、色々な不安や不条理に押しつぶされて、心はもう折れていたのだ。

 そんな心境で赤の他人から吐き捨てられた言葉で、「私はこの世界にいちゃイケない存在なんだ」と自問自答していた。

 今思えば阿呆な事だが、ホームセンターに立ち寄りスマホで自殺の仕方を音声検索をしてたりと、かなり危ないというか他人から見ればヤバイ奴とも見られたであろう。実際に僕の独り言が聞こえたのか、一人の女性が私の事をチラ見していた。

 実際に恥ずかしいという気持ちにはなったが羞恥心に負けずに堂々とした。多分、私は壊れていたから出来たことなのだと思う。

 首を吊るためにロープを購入した。でも、ロープの売り場を探すのに凄く時間が掛かった。外に出たら、もう暗くなっていた。

 ロープを買ったのは良いが、肝心の吊る場所を検討していなかった。家を事故物件にして迷惑を掛けたくないし、外で死ぬにも納得の出来る場所が思いつかなかった。

 行く当ても無く、近所の神社か寺だか分らない場所で一人、座って右目から涙を流しながら、後悔に押しつぶされた。

 こんな時に誰か――。

 ふいに旧友の顔を思い出した。

「そう思えば昔、こんな時間になるまで彼らと遊んだモノだ」

 彼らは元気にしているだろうか。それは今では分らない。彼らと最後に会ったのは三年前の成人式以来だった。いや、実際には一人だけ来なかった――来れなかった人物がいた。

 彼は昔から周りとなじめない性格をしていた。所謂、智恵遅れというレッテルを同級生や先生から貼られて忌み嫌われていた。私も五年生の時に彼を遊びに誘うまでは不気味な奴だと思ってはいたが、同じマンションに住んでいた事もあり、私と彼の母親同士では知り合いであった。それでよく私の母から、彼の母親というよりかは彼の家庭環境は狂っていると聞かされていたのを覚えている。

 だからこそ、私や母はそんな環境で孤立させられている彼がかわいそうであると気にはかけていた。

 それで私は別のマンションに住む友達と一緒に彼を遊びに誘った。

 それからの彼は少しずつ変わっていったが、確か私が大学二年か三回生の時に事件を起こして、警察に捕まった。

 彼は今も独房で何をしているのだろうか。

 また、彼も今の私の見たいに思い出しているのだろうか。

 やめろ、男同士の相思相愛みたいな気色の悪い想像などしたくもない。

 ふいに口角が上がった。さっきまで死のうと考えていた私が笑ったのだ。

 その時に私は真っ暗な夜空を見上げた。実家では見ることの出来ない星空がよく見える。

「もう、どうでもいいや」

 その瞬間、何か私の中で新しく何かが芽を出した。

 死んだら、確かに自由になれる。でも、それは本当に自分の納得のいく答えなのだろうか?

 いっその事、このまま嫌われ続ける生き方をして迷惑を掛けまくるモンスターになりきり楽しむのも悪くないかもしれない。

 害悪だとか言われてもいいや。それで私が捕まって刑務所に入れられるのも悪くは無い。むしろ、今の普遍的に続く辛い現実をより酷く、より色濃くしてくれるのではないかと思う。それに刑務所で彼に出会えるのなら、それはまた幸運なのかもしれない。

 自殺することが馬鹿馬鹿しくなり、吹っ切れた私はそれまでの生き方を変えた。


 それを体現するかのように自殺を考えた四日後――つまり今あった出来事であるが、その日の夜にトラックを運転していると道のど真ん中に二十代前後の男性が飛び出してきた。慌てて急ブレーキをかけたから大事には至らなかった。

 以前の私ならトラックから降りて、優しくしていたのだろうが、私はその男性に向って、

「オイ、どこ見て歩いてやがるこの能無し! こっちは急いでいるんだ早どきやがれ!」

 と罵倒した。

 その男性は顔をクシャクシャにして何か訳の分らない言葉を言いながら、去って行った。

 気分が爽快だった。今まで自分がされてきた事を他人にするのは例えようのない開放感でスッキリした。

 しかし、まだ心の中の善意が少しだけ先程の男性を気にかける一面性を持ってはいたが大丈夫だ。

 彼もまた、人間のように壊れれば、私と同じ生き方を見いだせることが出来れば、死ぬ事はないのだから。




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