第3話 『煩雑の怒り』

 この物語は私の夢である。でも、これは現実の私なのである。

 暗闇が外を包み込む頃、私は母が運転する車に乗っていた。

 今は母が通うバトミントン教室に向っている所だった。

 私自身も小学生の頃は、そこに母に連れられていたものだ。

 バトミントンというのが好きではなく、そもそも運動が苦手だった私は、ただ夜の学校がいつもと違う雰囲気が好きで行っていたのだ。

 でも、今夜は違う。

 大学生になった今、私は当時のような感情は無かった。

 ただ、母が行くと言ってきて、私は連れられてきたのだ。

 私は家を出るときに何か嫌な感情が生まれた。

 別に馴染みの場所に向うのに、どうしてそのように思ったのだろう。

 行かない方が良いのではと。 

 そう思うのは、私が大学四年生において後ろめたい事があったからだと思う。

 私は一様、就活や成績に問題は無かった。

 だが、それでも他人に良いと言い切れる自信は無かった。

 私の大学は私立で、全国的に見ても、中の上か上の下の下に当たる大学だった。

 これが一般で入ったのなら、何も問題は無かった。

 でも、私は一般で入ったのではない。

 編入試験を利用して、二年間、いや厳密には浪人時代を含めると三年間を費やして大学に入ったのである。

 これが意味するのは、三年間も費やしたのに入れたのが、そこまでの価値のない大学で会った。

 周りの人達はそんなことはない、と言ってはくれるが、そこには場の雰囲気を戻す何かがあったのだ。

 そう思っていると学校の門の前についた。

 私は車から一人降りた。

 門の前に着くと、私は力の限り押した。

 それはいつも母と来たとき、門の開け閉めは私の役割だった。

 門が車一台分開くと母の車が校舎の中に入り、私は門を閉じた。

 ふと、右側を見ると暗闇の中でも明るい体育館があった。

 私は徒歩で向った。

 近づく度に中から、シューズが床に擦れる音が響いていた。

 私は懐かしいト感じた。最後に来たときは、浪人生時代だっただろうか、まだ私が自分に自信を持っていた頃だ。

 あの頃は失敗しても、次は成功する。達成出来ると思い込む癖があった。

 今では正反対に、私は一回で失敗したら挫折する癖があった。

 それはこの四年間が私を私自らの怠惰によって変えていったのである。



 体育館に入るとそこには以前とは違っていた。

 前は年配の人達がメインで行なっていたのが、今では小学生か中学の少年達も見受けられる。

 一瞬、それが違和感にも思えたが、自分も小学生の頃、居たことを思い出すと普通なのだと悟った。

「あれ、もしかして・・・・・・」

 近くで休憩していたお婆さんに声を掛けられると、

「やっぱりだ! ええ、見ない間に大きくなったはねえ」

 その大きな歓喜で私の事を知る人達が集まってくる。

 一斉に話されるので、私はどう反応したら良いのか分からず、混乱していた。

 助け船として母を探すも側には居なかった。

 集まってきた人達の向こうを見ると母は居た。

 母は少年達と話しをしていた。

 何を話しているのか分らなかったが、母は少年達を私の所まで連れてくると

「あそこで泣きべそをかいているのは私の息子なの」

 母は少年達に言った。

 私はなぜこのタイミングで母がそういうのか分からなかった。

 複数の少年達が私の方に向ってきた。

「ねえ、お兄さんって大学生なんでしょ」

 メガメをかけた丸い顔の少年が言った。

 私は一度、そうだと言うつもりが普段から声を出さなくて声が上手く出なかったのと、喉の奥で鼻水が流れていて、ガラガラ声だった。

 少年達はキョトンとした表情を互いに向き合っていた。

 私はもう一度、喉に手で押さえて、言った。

「そうだよ」

 今度は私の言っていることが理解出来て、眼鏡の少年が会話を続けた。

「僕もね、大学生なんだ」

 私は驚いて声を漏らした。

 見た目は私よりも若く、そして私の記憶が正しければ周りの子達が着ている体操服と同じであれば、私の母校である中学生のハズだ。

 すると間髪入れずに眼鏡の少年の隣にいた少年が説明してくれた。

 この少年は数年前まで、昏睡状態だったらしい。

 目覚めた時には同級生が大学生になっていたのだと。

 彼は特別に昏睡状態になる前の中学二年から再開したらしいが、彼は目覚めてから自分に起きた事を知ると、直ぐ大学受験の勉強を半年間始めたらしい。

 その時の結果は全て合格で、大学共に有名な国立のところだった。

 その後、この国では珍しく、飛び級で大学に入学することが許されたんだって。

 私は恥ずかしくなった。

 彼は短い期間で、偉業を成し遂げた。

 それに対して私は三年も費やして、得たのは普通に頑張れば一年で通れる程の学歴だった。

 私は悔しかった。でも、それを言葉や表情には表さなかった。

 表したら私の負けだ。

 コーチが休憩時間の終わりを告げる。

 少年達が笑顔でラケットを手に取り、大人達とダブルスを組み始める。

 眼鏡の少年は最後に、またねと言う。 

 私は走り去る少年の背中を見て、独りで誰にも届かぬ掠れ声で呟いた。

「私のような人生を知らないでくれ」

 眼鏡の少年達は母の元に行き、こう言った。

「あの人、凄くおもしろい人だった」

 何がおもしろいものか、こんな人生なんて愚かで惨めの他に何ものでもないのだ。

 私は母にもう帰ると言った。

 母は何をすねているのと皆の前で私を叱責した。

 そうだ、いい年した大学生が中学生の少年に嫉妬したのだ。

 でも、それは私にとって怒りを出すのに十分な怒りであった。

 私は母の制止を振り切り、体育館から出た。

 

 体育館から出ても誰も追いかけてくれなかった。

 そこにあったのは、大人達や少年達の眼がこちらを向けていた。

 色々な視線が混じり合い、私を殺そうとした。

 私は彼らの視線から逃げる為に暗闇に走り出した。

 門の前に着くと、私一人が出れる隙間から学校から出て行った。

 

 私は今から体育館に火を放ち、母もろとも焼き殺そうと思った。

 あの神様に愛された少年の希望を燃やしてやりたい、そう思った。

 あの少年は私の母の愛を奪い、母も少年を私には向けなかった眼差しで褒めていた。

 もう、いらない。

 その感情が頂点にまで高ぶると、止められない、そう知っていた。

 でも、直ぐに私は自分を責めた。

 これでは私は世間で問題となっている〝無敵の人〟になってしまう。

 彼らの事件を起こす度に私は彼らの卑劣さと行動が理解出来なかった。 

 でも、私は完璧に彼らだったのだ。

 絶対にでは無い彼らに私は煩雑な気持ちと嫉妬による怒りで殺人衝動に駆られていたのだ。

 無能な私を希望ある少年達とその少年達に愛の眼差しを送る母を消してやりたいと思ったのだ。

 しかし、私の中にはやり場の無い自己責任の怒りをぶつけることが出来なかった。

 その時に遠くから車が一台、暗闇をライトで照らしながらこちらに走ってくるのが見えた。

 私は涙で視界がハッキリとしなかったが、派手なライトをしたトラックが薄らと見えた。

 その時、私は一つの答えを見つけたのだ。

 私は何も思わず、トラックの前に飛び出した。

 だけどトラックは急ブレーキで私のいるところよりも遠くで止まった。

 早すぎたのだ。するとトラックの窓から、こっちは急いでいるんだ早どけと罵倒された。

 私は叫きながら、這いながら車道から出た。

「ゴ・・・ゴメンナサイ。イキテイテ、ゴメンナサイ」

 私は泣きながら、言った。

 でも、トラックの運転手達は私の言葉など気にもせず、走り出した。

 私は走り去った方を見ると空が紅く染まっていた。

 それから私は誰もいない場所で、誰にも向かい入れる事無く泣いていた。

 泣くのが憑かれると、私は自分の家に向って歩み始めた。

 

 その日、私の知らない所で母は帰ってこなかった。


 翌日、私は風呂にも入らず、服も着替えぬまま自分の部屋で目覚めた。

 洗面所に向うと、鏡に映る自分の顔を見た。

 そこには眼をウサギのように紅くなり、涙後が残っていた。

 私は自分の顔を洗い流した。

 リビングに向うが家族は誰もいなかった。

 朝の九時であるから、皆仕事に行ったのであろうと思ったが、今日は日曜日だった。

 私はテレビを付けると食器棚から自分のコップを取りだし、冷蔵庫の牛乳を注いだ。

 外からヘリコプターが飛んでいるのが気になった。

 珍しくと思い、私はマンションのベランダに出た。

 空にはヘリコプターが三機飛んでいるのが見えた。

 こんな町でヘリが複数台飛んでいるのを見たのは、二ヶ月前の事件以来だったろうか。

 私はヘリコプターのエンジン音で気づくのが遅れたが、下ではマンションに住む女性達が談話し合っていた。

 その表情は昨日の視界とは違って、ハッキリと見えた。

 女性達の表情は神妙なモノだった。

 それは政治とか日常の不満に対するモノではなく、何か恐怖を秘めた顔をしていた。

 さすがに表情は分かっても、話している内容は理解出来なかった。

 すると隣の家に住む老婆が私と同じようにベランダに出てきて、鉄格子から身を出しているのに気づいた。

 老婆は私と目が合うと、挨拶をしてくれた。

 私も挨拶を返した。

「今朝から事件で物騒がしいですね」

 老婆は私にそう話しかけた。

 私には何のことだか理解出来なかったので、訊きかえした。

「何かあったのですか? 昨日は疲れて寝てしまい、何があったのか分からないのです」

 すると老婆は驚いた表情を向けて、私の方に指を指した。

 厳密には老婆は私を指しているのではなく、私の背後を指していた。

 私は首だけで無く、体全体で老婆の指す方を見た。

 遠くに黒い煙が細く狼煙があがっているのが見えた。

 そこは昨日、私が逃げてきた学校の方だった。

「あれは今朝燃えたのですか」

 私が訊くと老婆答えた。

「いいえ、あれは昨晩に学校の方で放火があったそうです。犯人はまだ見つかってないそうです」

 私は急いでリビングに戻り、テレビを見た。

 そこには私が昨日いた体育館の焼け落ちた跡地が空から映し出されていた。

 ニュースのテロップには大勢の死傷者とあり、中には子供の遺体が沢山あったと加えられていた。

 私は部屋中に母の名前を呼んだが誰もいない、返事も無かった。

 急いで電話機に向い、母の番号を打った。

 受話器を耳に当てるが、聞こえてくるのは何度も繰り返される母の声で登録された留守番電話の案内だった。

 私は何度も、留守番電話に母はどこにいると残した。

 でも、返事は返ってくることはその後無かった。

 涙は出なかった。

 昨日の己の為だけに流した涙で出なかった。

 母が死んだというのに、あの少年達が死んだというのに嬉しさも悲しさも何もかも出なかった。

 あったのは、叫びだけだった。

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