第127話 ※真実の名

 邪鬼種イビルは数が少ない。

 その不死性と引き換えなのか、どの人類種よりも圧倒的に繁殖力が低いことが原因だ。成人したくらいのタイミングで老化が止まるので、繁殖力が下がることも失われることもないが、それだけだ。


 一説によれば、原因は邪鬼種イビルの身体が妊娠をだと認識して早めの段階で阻止と修正をしてしまうかららしい。


 無論、国によってはいることにはいる。

 いるが、絶対数が少ないのだから始点世界にいればそれだけで目立つ。


 殺し屋としての活動をいくら上手く裏に隠そうと、表の世界で名が売れやすいということだ。


「私が日本語できるのは事前に結構勉強したのと、実際に住んで長いからだけど。あなたの場合はどうも事情が違いそうだったし。医療方面での高度な教育を受けてるようだし。褒めるようで癪だけど只者じゃないことは能力値からわかりきってたわ。だから調べれば結構簡単に身元が割れると思った」

「ぐ……ぐ……!」


 自称ドクター。自称裏切升代。

 本名、


 始点世界において初めて医師免許を取った邪鬼種イビルだ。


「所属していた教育機関、研修場所、活動してた職場。十代後半から先の経歴全部が始点世界側だったわよ。逆によくこれで隠せると思ってたわね。伝手を使って調べてた五香も唖然としてたわ」


 各国各地のNGO医療施設と病院を転々とし、インタビューの類は一切受け付けないものの、ときに苛烈な活躍を見せ、またどこかへ去っていく小さな医者。

 必死に目立たないようにしている形跡は見えたものの、伝説になって当たり前だ。


 何故今までバレていなかったのかと言えば、それはただ単に五香が調べなかったからという一点に尽きる。

 ジョアンナにお願いされなければ最後まで発覚しないままだっただろう。


「……ガチの才媛エリートね。わかりきってたことだけど」

「黙れよ。キミに褒められても神経が荒れるだけだ」


 今までのフィオラが見せたことのないような憤怒の表情。余裕の仮面が剥がれ落ちた本当の素顔がジョアンナの目の前にあった。


 怒りの理由は至極単純。嫌いな女に名前がバレたからだ。知られるだけでも腹立たしい。

 全部が終わったら、そのときはメルトアにだけ教えるつもりだったのに。


「ふ。ふふふふふふふ! やぁね! そんな目で見ないでよ! 予想以上すぎて嬉しすぎるから!」

「キミ……は!」


 対して、ジョアンナはそんな剥き出しの表情を受けて本当に嬉しそうだった。いつもは大人気ないながらも多少はお姉さんぶっていたのに、その取り繕いすらやめて喜色満面だ。


 完全に立場が逆転していた。冷静さを失っていたフィオラは、その事実にやっと気付く。


「まさかウチの本名を呼んだのは!」

「ただの嫌がらせ以外の意味はまったくないわよ! だってほら、あなた言ってたじゃない。『五香の秘密主義にはそろそろウンザリ』って! どの口で言ってんのよって思うでしょ!」


 まったくもって当然の心理だ。納得感しかない。それは認めるしかない。

 それはそう。それはそうなのだが。


「状況わかってる!? 今言うことじゃないでしょ!?」

「私がムカついたと思ったときが、私があなたを背中から撃つときよ」

「この……っ!」

「それに!」


 ジョアンナは笑顔を一瞬消し、続ける。


「あなた、全然裏切らないんだもの。この名前、偽名を呼ばされてる感があって嫌いだったし。いい機会かなって」

「まさか普段使いする気!? ウチの本名を!?」

「当然よフィオラ。何か文句あるのフィオラ。あら? 何を顔を赤くしているのかしらフィオラ? ふぃーおーらー!」


 完全におちょくっていた。真面目な台詞を吐いていたのは最初の内だけ。今はもう我慢できないとばかりにフィオラのことを笑顔で呼びまくっている。


「……ふっ」


 一度精神を落ち着けるために、フィオラは自嘲的な溜息を一つ吐く。


 フィオラは迂闊にキレることができなかった。ここで怒りに任せてジョアンナの身体を引き裂いても、今は強敵との戦闘の真っ最中。

 メルトアの冷却ガスによるダメージがまだ抜けてないのか今は小康状態だが、いつ動き出すかわかったものではないし、ジョアンナは大事な駒だ。斬れるわけがない。


 いっそ激昂できたら、と思うくらいに怒り狂っているのは確かだが。ここは落ち着かなければならない。


 そうしてフィオラがとして捻り出した行動は――


「今すぐ死ねババァーーーッ!」


 口汚い言葉で罵りつつ拳を振り被ることだった。刃物は出さないし殺傷力もあまりない。実に人道的な判断(そのときのフィオラ主観による)だった。


 意外にも拳はジョアンナの頬にクリーンヒット。しかし笑みは消せない。


「お返しよバカガキ!」


 ジョアンナも弾数がもったいないので銃は出さない。反撃するように全力のパンチ。足場が不安定なので、格闘技素人のジョアンナに大した威力は出せないがそれでも体格に劣るフィオラを仰け反らせるには十分だった。


 果たして、何の気高さもないただの殴り合いが始まる。


 それを見ていた五香とメルトアは、二人がどんな会話をしていたのかは聞こえないにしろ、揃って同じ感想を抱いていた。


「……状況わかってねーなァ。あの二人」

「ドクター……ジョアンナも……」


 ――死ぬほど大人気ない。

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