第126話 ※マインドクラッシュ
「もう平気そうかな?」
「ええ。しばらくはね」
ドクターは盾を仕舞い、立ち上がる。
服は高熱で多少よれていたが、直接熱されたのは盾とそれに繋がる背中だけなので燃えてはいなかった。
「うわ。本当に凄い星空だ。ていうか星かなアレ。見覚えのある星座がまるで見当たらない……それにどこか色がおかしいような」
「ん……? よく見たらあれ人工物ね。照明弾よ、全部」
「嘘!?」
山奥で晴天、かつ新月で大気の揺らぎがまったくないときの絶好の天体観測日和のときならありえるくらいの満天の星空の正体を、ジョアンナの五感は容赦なく暴く。
と言っても多少の無理は必要なようで、少し眉間に皺が寄っていたが。
「相手の視力がどんなものかは知らないけど、あんなもんが必要なあたり、どうやら最低限の明かりがないとこっちが見えないのかしら。でも妙ね。それなら雨と雲越しにこっちを攻撃できたのはなんでかしら」
「下手な鉄砲数撃てば……ってヤツじゃないの? さっきの攻撃、大規模すぎたし」
そうなると先程の前方からの攻撃は、注意を上空から逸らす以外にもう一つ。
広範囲の迎撃ができるメルトアから、二人を離れさせることが目的だったのかもしれない。
メルトアは五香の傍を離れない。そして、五香はそこまでの機動力はないし、火炎を使うときのメルトアに近付きすぎるのは危険だ。彼女を抱き上げて移動しながらの迎撃はできない。
「で。ウチには見えないんだけど。相当上を飛んでるのかな?」
「見つからないだけよ。そこまで遠くを飛んでるって感じじゃないわ。それにしてもわかりやすいわね。あの見た目、完全に――」
カリ、と地面を引っかくような音が聞こえた。それも、そこかしこで虫のさざめきのように。
「……ああ、なるほど。なんとなく読めて来たよ。さっき降ってきたものが何だったのか」
普段なら薄ら笑いを浮かべているドクターの顔は険しい。その音の正体は、地面に落ちた数多くの破片が動く音だった。
射出されたときのような俊敏さはない。というか、誰に対しても攻撃行動は取っていないのは見ればわかる。
ひとりでに集まって、玩具のように組み上がっていくだけだ。
ただ先程地面に散らばった破片はその数は千や二千では利かないわけで。阻止しなかった場合、何が起こるのか。ロクでもない想像ばかりが働く。
「まずいわよ、アレ! 絶対!」
「見ればわかるよ! どう見ても! 早く撃って撃って撃って撃って!」
ジョアンナは出し惜しみという選択肢をすべて頭から叩き出した。適当なアサルトライフルを両手持ち。撃てば当たるのだから姿勢は考慮しなくていい。今必要なのは攻撃の手数だ。
とにかく組み上がっていくその傍から破片を砕いていく。そのつもりだったのだが――
「は!?」
硬度が上がっている。銃弾で付けられる傷の程度が、完全破壊からヒビが入るくらいに変化していた。
「なんで!?」
「もしかして……!」
ドクターは近場を浮き上がって通り過ぎようとする破片を、爪で軽く薙ぎ払う。こちらは先程同様、普通に破壊できた。
「ピストルちゃん! 多分これ集合すると硬度がハネ上がるんだ! 組み上がってる最中の破片に攻撃しても手遅れなんじゃない!?」
その予測が正解ならば、ジョアンナは初手で攻撃対象を間違えていた。すぐに組み上がっていくそれに合流した破片は無視して、集まる途中の破片に攻撃する。
だが数が多すぎる。ほぼ焼け石に水だった。それでも対処を止めるわけにはいかないので、二人は目に付いた先から破片を破壊していく。
完成そのものが止められなくても、これから出来上がるものが少しでも弱くなるように。
そうして破片が集合し、出来上がったものを見てドクターは納得した。
「ああ……そう。なるほどね。破片じゃない。鱗だったってわけか」
まるで魔法でも見ていたような気分になる。
材料は間違いなく破片だけ。出来上がったのは、どれだけ完成度が高かろうがセミの抜け殻と同じく、中身の伴わない無機物じみたものになると思っていた。
だが、そうはなっていない。どのタイミングからかは必死すぎて観察できなかったが、外殻ができあがったそれには眼がある。歯があり、舌があり、息遣いがある。
背中には被膜の翼。歩かなくても一目でわかる、戦車のような重量感。
赤いドラゴンがそこにいた。体長はおおよそ二十メートル前後。始点世界原産のどの陸生脊椎生物よりも大きいだろう。
最初は四本足で地を這うような姿勢だったそれは、上半身を上げ、後ろの二本足で直立する。
そうなればもう、ちょっとしたビルも越すような体躯なので。顔を見るには見上げるような姿勢になるしかない。
笑えるような強敵。その分身体だった。どの程度の大きさなのかはわからないが、これが地上にあともう一体いるというのだから笑うしかない。
「ピストルちゃん。発狂して逃げたり飛び掛かったりしないようにね。特に飛び掛かるのだけは絶対ダメ」
「わかってるわよ……! 肌で感じてる!」
前にちょっとした刀剣ブームが起こったとき、ジョアンナは鍛冶場に見学をしに行ったことがあった。
思い出せるのは刀鍛冶で最も有名な工程、鍛錬のときの温度感だ。肌が焼け付くような空気の熱。それと同じものをジョアンナは受け、頬を焼かないように外套の首回りの布に深く顔を埋める。
まだ我慢できなくはないが、都市部の屋外にあっていい熱量ではない。しかも段々とその熱が強くなってきている気がする。
「……逃げたら後ろから攻撃されるのはわかりきってるけど。でもそれなら、これどうすりゃいいのよ。ていうかこれに急所なんて概念あるのかしら」
「いや。タイミング良く、どうにかなるかもしれないよ」
「いい案でもあるの?」
「いるでしょ。ウチらにも。最強の竜の王女様が」
そんな話をしていることなど目もくれず、ドラゴンが一歩進む。
それだけで。それだけなのに。
「……いやっ!」
今まで気丈に振る舞っていたジョアンナも流石に悲鳴を上げてしまった。外套の端が自然発火してしまっている。
限界だ。そう思った瞬間。
びゅん、と流星のように白い氷が飛来した。
それは無防備だったドラゴンの頭に直撃。そして――
「……あ」
温度が急激に下がった。ジョアンナの外套に付いた火炎も、あっと言う間に鎮火する。
「い、今のは!?」
「ウチもビックリしたんだけどさー。いつの間にか習得してたみたいだよ?」
思わず後ろを振り向くジョアンナ。そこにいたのは、堂々と佇む混竜種の王女。
目に強い光を灯し、ジョアンナたちを見守るメルトアだった。その肌には、雪の日の窓のように軽く霜がかかっているのが見える。
「四麻の言ってた超冷却ガス!? 使えないって聞いてたのに!」
「子供の成長は早い……と言うしかないよねぇ、アレ。でも使い慣れてないから、連発ができるかどうかは未知数かな」
ドクターはメルトアの方を振り向かない。爪を装備し、隣のジョアンナを焚きつける。
「ほら! 諦めたら死にそうだし! さっさと迎撃するよ! もう状況はクレアがどうとか言ってる場合じゃなさそうだ!」
「……ッ!」
この時点でドクターの言ったことは間違いなく正論だっただろう。
だが、ジョアンナにとってドクターは大嫌いな女で。
そして、そんな大嫌いな女に正論をぶつけられたというのが、我慢ならなかった。
なので、溜めるのをやめた。
「ウチが先行するから、ピストルちゃんは援護! アレはもう立ってるだけで周囲を焼くことができるみたいだし――」
「待って。フィオラ」
「なんだよ!? 今議論する暇……」
頭に上っていた血が、その理由を知る前に下がっていくのを感じる。
「なんか……」
冷や汗が流れて来る。気温はまだ暑い方なのに、寒気がする。
「な……なんて?」
声が、震える。悪夢と見紛うほどに現実感がどこかに消えていく。足がふわふわとしてくる。
それほどまでに衝撃的な名前が聞こえた気がした。
「……ビンゴ。五香の情報は正確だったようね」
「は――!?」
ジョアンナの笑顔を見たとき。ドクター――フィオラはやっと、自分の失敗を自覚した。
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