第117話 ※グレートエスケープ

「メルトアに言っておいてくれない? 後で位置情報を目安にして助けに来てって」

「え? 何? 逃げないの?」


 ドクターだけは『逃げなくても死なない』上に『仮に死んだとしてまったく心が動かない』のでジョアンナは冷静に訊いた。

 ドクターは気にする素振りは一切見せず、両手に拳を作ってやる気満々のポーズを取り


「証拠保全。頑張る」


 と一言だけ決意表明をした。


「……あ、ああ。そう」


 流石に『死んだとしても心が動かない』と思ったのは冷淡すぎたか、とジョアンナは心の中で反省する。


「前から思ってたけど、あなた全然裏切らないわよね……?」

「この偽名、キミへの嫌がらせ以外の意味ないし」

「……あ。いいこと思い付いた」

「ん? なんて?」

「何でもない! 後でね、おろかな埋葬女!」


 ジョアンナ、脱出。チームメンバー内では一番早かった。矢筒の外套の中にはラペリング用の器具があり、ある程度降りたところで窓を破壊。

 少々危険なペースで懸垂下降した。


「さてと。どうにか十色ちゃんの死体に傷一つ付かないように頑張らないとな……でも一人じゃちょっとキツいかもー?」


 一人残されたドクターは困ったように首を傾げる。あざとさ全開で。に演技する。


「まあ二人ならできるよ! ね? 雨桐ユートンちゃん!」


 ガバリ、と起き上がる十色とは別の死体。

 当然全裸なので傍らに隠しておいた着物をそそくさと(明らかに異常なスピードで)着込み、顔に付いた血色を悪く見せるファンデーションをすべて(普通はできないはずなのに)手で払い落す。


「……お前……神経疑うヨ……さっきまで殺し合ってたヤツと共同作業したいとか言う? 普通」

「ウチは全然言う! あ、それとありがとね! 情報提供その他もろもろ!」

「ていうか私もそろそろ脱出しないと瓦礫でヤバくなるんだけど……」

「ねえ? 雨桐ちゃん?」


 隻眼の犯罪者に、黒い笑顔でドクターは告げる。


「契約は『情報提供の見返りに、この町を出るまでの身の安全をできる限り保証した脱出ルートを提供する』だったよね? そのついでにサービスとして『弾痕だらけで今にも死にそうだった身体の補修』も請け負ったけど」

「は……? それが?」

死体これ、キミが安全に外に出るのに必要。手伝って?」


 確実に嘘、というかそんなことを言い出したらキリがないような理屈だった。当然反感しかないので口答えしようとしたが。


「身の安全保障すればどんな脱出ルートを指定しようがウチの勝手でしょ? もしウチの提供する脱出ルートを、その結果としてとしても、ウチは絶対に責任取らないよ?」


 機先を制されてしまった。

 完全にこんなヤツと契約してしまった雨桐のミスだった。いくら必要だったとは言え。


「……時間制限」

「あ。了解了解了解りょりょりょ! 流石に一生終える寸前までいろとは言わないからさー。これ終わったら脱出の条件に『三時間以内、またはウチが脱出手段を入手したらすぐ』って追記するよ! 時間ないから急ご!」

「……仲間との連絡の許可も追記で……」

「んー? 絶対ダメ。脱出の後までは絶対に許さない」


 サディスティック感満載の笑顔でドクターは言い切った。


(ブチ殺してぇー……!)


 しかし生命線なので、雨桐はそう思うだけだった。結局、手伝わされてしまったのだし。


◆◆◆


 地震でガタが来て崩れた建物の例は日本だけに限定しても百は下らないだろうが、流石に超高層ビルの基礎そのものが傾いて自壊するデータなどあるわけがない。


 更に設計段階から自壊装置の存在を盛り込んでいたとなると、ある一定の方向に傾いたときにだけ崩れやすいがそれ以外の強度は一般的なビルと同等というふざけた建築をしている可能性もある。


 やはりメルトアの大暴れを自制させておいて良かったのだ、と五香たちは自分たちの判断の正しさを確信するのだが。


「流石に被害はジェンガタワーの比じゃないだろうな」


 涼風の計算は概算でしかないが、概算でも弾き出せる程度には状況は絶望的だった。


「私なら確実に『一階まで満遍なくぺしゃんこ』になるようにこのビルを設計する……ていうか実際にそうしてるだろうな。五香の言うことには一分ごとに一定の方向に向かって三度弱傾いてるらしい。ヤツは三十度傾けば、と言っていたから猶予は多く見積もって十分。むしろこんな高層ビルが『三十度も持つ』って方が私には信じられないが……実際に嘘かもな」


 涼風の計算ではビル倒壊の際に弾け飛ぶ瓦礫や粉じんもかなり致命的で、少なくとも下に降りるだけでは不十分。あとはできる限り逃げて、別の丈夫なこれまた背の高いビルの中に隠れ、やり過ごすのがベスト。


 ビルの陰に隠れるのは健康上の理由からベターにも入らないらしい。


「さっきやったみたいに余が下に向かって、お前たちを抱えて走れば問題はないのではないか? コバヤシは体格上厳しいから別の脱出手段は必要だが、少なくともお前たちだけは無事に……」

「考えた。考えはしたんだ。一応。でもな。メルトア。お前、?」

「ひゃっきろ越えてるらしいぞ? 余裕で」


 百kg。

 かなりアバウトだったが十分だった。


「軽すぎる」

「……は? 涼風さん、なんて?」

「さっきは『上へ上へ』だから問題はまったくなかった。だが今度は下に降るんだぞ? さっきのF1レベルのスピードで駆けても同じスピードになるかどうか怪しすぎる。制御をしくじったらメルトア本人はともかくとして私たちは……」

「……そうだな。多分、涼風の言う通りだ。降りであのスピードとなるとかなり前に傾いた体勢になるから……五香お姉たちの身体が床に擦れるかも。それを考慮した速度で降りるのなら、昇るのよりも遥かに遅くなってしまう」


 かと言って『落ちる』ようなスピードで降るのも論外。

 メルトアは大丈夫でも抱えられた誰かは衝撃で身体がグシャグシャだ。


「必要なのは降りに使える『摩擦』だ。高速で降りる私たちの身を守るのは結局それしかない」

「摩擦……普通に考えりゃそれは『体重』と『斜面の角度』だよなァ。そうか、だからメル公の体重でも『軽すぎる』って」

「あとは物理のド基本だけど地面と接する『面積』。今のところどれも足りない……」

「いや。大丈夫。最適解はあるにはあるぜェ。危険には違いないけどなァ」


 やはり涼風は連れてきて正解だった。

 五香はどうにかギリギリのラインでビルからの脱出路を見つける。


 僅かに博打要素が勝つのだが。


「まずはギリギリまで下に降りる! 行くぜェ!」

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